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球団ヒストリー24.忘れられた年

少し前に書き始めていた、ホワイトウェーブ第二章。
そろそろ、その続きを書いていこうと思う。

チームの立ち上げに尽力くださった鵜狩監督、斉藤コーチがお辞めになったあと、2007年から末廣昭博新監督が就任。
毎回は練習にいらっしゃらなかった前監督に対し、末廣監督は必ずおみえになり、丁寧に技術指導をしてくださった。

2007年の戦績

この年の公式戦の戦績はこんな感じ。

第32回クラブ選手権九州地区二次予選
・4月28日(土) ★
【アイビースタジアム(宮崎県)】
北九州市民硬式野球クラブ 13-3 鹿児島ホワイトウェーブ

第78回都市対抗野球九州地区(※二次)予選
・6月16日(土) ★
【藤崎台県営球場(熊本県)】
宮崎梅田学園自動車学校 2-0 鹿児島ホワイトウェーブ
      (※当時九州予選は二次予選のみ)

第34回日本選手権九州地区予選
・10月14日(日) ☆
【長崎市営かきどまり野球場】
鹿児島ホワイトウェーブ 6-0 佐賀魂

・10月15日(月) ★
【長崎県営野球場ビッグNスタジアム】
Honda熊本 17-1 鹿児島ホワイトウェーブ
    (7回コールド)

・10月16日(火)(第二、第三代表決定戦) ★
【長崎市営かきどまり野球場】
九州三菱自動車 8-1 鹿児島ホワイトウェーブ
      (7回コールド)



5戦して、1勝4敗。

2006年が、2勝3敗。
とてもとても単純な比較だけれど、数字の上からはまだまだ駆け出し感満載といった印象だ。

それはそうか。
まだ正式登録から2年目。やっと、いつも見ていてくださる指導者を得たばかりなんだし。

クラブチームの苦しさ

公式戦の試合結果を見ていて思った。

勝ち進むと、しんどい。

ひとつ勝ったら、確実に翌日までの連戦。
初戦突破した10月の日本選手権九州予選は第三代表まで決めねばならず、そのための試合がさらに続いている。

仕事を持つ選手たちには、なんとも苦しいスケジュール。
きっと試合ができるギリギリの参加人数だったはずだ。

長崎まで遠征して、連戦して、敗戦して、帰鹿して、翌日仕事。
社会人野球、特にクラブチームの苦しさだろう。

忘れられた2007年?

ところで、改めて今、2007年ごろのことを調べている。
そこで判明したことがいくつか。

当時の新聞を読み返してみたところ「練習は週に一度」と数誌に書いてあった。これまでわたしは土日の練習、と書いていたが、どうも当時の練習は土曜日だけだったようだ。

また、末廣監督就任と同時に、キャプテンが宮田さんから磯辺さんに代わったとお伝えしたけれど、宮田さんはもうしばらくいらしたらしい。


「…ようだ」とか、「…らしい」とか。
どうも不透明な表現になってしまうのには理由がある。
このあたり、國本代表や、当時の末廣監督、磯辺キャプテンにお聞きしても、記憶が定かではない。

そう。2007年当時ってどうにも資料が少なく、また関係各位の記憶があいまいで、確かなことがつかめずにいる。

試合結果こそわかったものの、鹿児島ホワイトウェーブ(現在は鹿児島ドリームウェーブ)のホームページに記載されていた2007年のトピックは
『ホームページ開設』
の一行のみ。

いやいやいや、ほかにも何かしらあったでしょう!?
と思わずひとりツッコんだ。


華々しくデビューした2005年、勢いのまま走り始めた2006年。
そして誰しも予想外だった監督交代から始まる2007年。

せっかくの第二章のスタート。
もっと勢いよく真っ白い波に乗るんだと、なんとなく思っていたのだけれど、思い通りにはいかないものだ。

選手はもちろん、きっとバックアップするスタッフも足りていない。とにかく現場を回していくのに精いっぱいだったことが、記録も記憶も抜け落ちている事実から垣間見えた。



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