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27.23年ぶりの公式戦・グラウンド側

2008年、23年ぶりに鹿児島県で開催された都市対抗野球大会一次南九州予選。
前回を知る人が誰もいないこの大会を、鹿児島県野球連盟理事長と鹿児島ホワイトウェーブの球団代表を兼任していた國本正樹さんは、ほぼ一人で準備から後片付けまで担った。

バックネット裏の人間

私は日ごろからウグイス嬢という仕事をしていて、完全に運営側(バックネット裏本部席)の人間だ。
チーム側(グラウンド)だったのは、30ウン年前の高校時代。しかもマネージャーであって、泥にまみれて白球を追う選手や監督ではない。

だから、選手たちって大会や開催地が違うと感覚が違うのかどうか。そういうことがイマイチ分からない。

運営側の端っこに座っているだけでも、そのピリピリした雰囲気は痛いほど感じるのだけれど、果たしてグラウンドではどうだったのか。

グラウンド側の選手

おそらく感覚はだいぶ違うのではないかと大方の予想はついたが、一応尋ねてみた。

予想通り。
キャプテン磯辺さんも、エース竹山さんも、マネージャーのかおりさんも
「…覚えてないですね」

スコアやオーダー用紙も見ていただいたけれど、やはり思い出さないそうで。
予想はしていたが、こんなにも覚えてないとは。

そうだ。
選手たちにとっては、突破すべき試合の一つ。ほかの大会となんら違いはない。たまたま鹿児島開催で、移動に時間とお金がかからないからちょっとラッキー、というくらいだったのかもしれない。

そして運営側も、それを選手たちに見せる必要はない。
バックネット裏のピリピリが、グラウンドに伝わっちゃいけないのかもしれない。

鹿鉄野球部を知る世代

ただ、ちょっと違う想いを抱いておられたのが、鹿児島鉄道管理局野球部(以下『鹿鉄』)出身の末廣監督だ。

鹿児島ホワイトウェーブは、鹿鉄が1987年に廃部となって以来、鹿児島で初の本格的硬式野球チーム。

もともと野球人気の高い土地柄で何十年ぶりに社会人チームが生まれ、県内にきっとたくさん残っておられた元鹿鉄のOBたちが、末廣監督を訪ねてホワイトウェーブを見に来ておられたそう。

2008年の鹿児島開催はそんな鹿鉄OBの方々にとって嬉しい大会だったようで、何人もの元野球少年たちが試合を見に訪れたという。

それは、末廣監督にとっても少し心躍る景色だったようだ。


バックネット裏とグラウンドで、23年ぶりの鹿児島開催に対する想いは違った。予想はしていたが、予想以上に大きく違った。

ちょっと待て。実は若手は

と、ここまで書いてきたところで、当時の若手のお話を聞くことができた。

鹿児島ホワイトウェーブで初めての『社会人野球』を経験していた選手たちは、ベテラン勢にはない緊張感に包まれていたらしい。

2006年に行われた2回目のトライアウトで入団した大内山渡さんは、当時20代半ばだった。
彼は前出のキャプテン磯辺さんやエース竹山さんと違い、社会人野球を経験していない。

南九州予選とはいえ、地元鹿児島で、都市対抗野球大会が行われることで、大会前からずっと緊張があったと話してくださった。

「鹿児島の人も、ちょっとは見に来るよなぁって」
そう。それまでは新聞等でホワイトウェーブの活動を伝え聞くだけだった鹿児島の野球ファンが、地元開催となれば来場するだろう。

「社会人野球のレベルってどんなものなのかを実は知らないし、まして自分たちがそのレベルに至っているのか分からない」わけで。

来場するとしたらきっと、かなりの野球ファン。現に鹿鉄OBたちも観戦に訪れている。
その方々に恥ずかしくない試合ができるのか…という緊張感が、実は若手の間では流れていたらしい。


「覚えてない」というグラウンド側の気持ちを何人も聞いたあとだったからか、なぜか嬉しくて笑みがこぼれた。

その緊張感が、いつも見ている鴨池の高校球児たちとなんら変わりがないと感じたからかな。野球をしている若者は、野球をしていた先輩たちの想いを、なにかしら感じているんだろう。


そして「鹿児島で社会人野球の公式戦を開催した」ということは、この地に鹿児島ホワイトウェーブというチームを根付かせることに、少なからぬ自信を生んだのではないかと思うのです。

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