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23.イベントが持つ意味

2005年に、欽ちゃん球団茨城ゴールデンゴールズとのイベントから誕生した鹿児島ホワイトウェーブ。
実はこのイベント、2005年だけではなく2006年、2007年にも対戦している。(2021.8.28追記:2010年までの6年間、毎年親善試合を行っていたようだ)

監督たちと、総監督と。

2005年のイベント時は定岡正二監督。
日本野球連盟に正式登録直後の2006年は鵜狩道夫監督。
2007年には、こののち長くホワイトウェーブを率いることとなる末廣昭博監督。

チーム立ち上げ当初で内情が落ち着かなかったことは、こうして毎回監督が違うことからも伺える。

そして2006年と2007年は、総監督として坂上二郎さんをお迎えしている。
萩本欽一さんとはコント55号でコンビを組んでいる、鹿児島出身の坂上さん。イベントはいつにも増して華やかだったことだろう。

運営側と、現場と。

このころまだ、週末だけの練習だったホワイトウェーブ。
その週に一度の練習さえ、3人のこともあったほど集まりはよくなかった。

運営側の國本球団代表は「練習場所を確保して時間を決めたら、あとは勝手に動き出すくらいに思っていた」そうだが、当時は公式戦すらメンバーを揃えるのに苦労していたという。
でも、「欽ちゃん球団とのイベントのときはみんな来るんだよね」と、苦虫をかみつぶしたような表情で話していた。

対して、現場の想いはちょっと違ったようだ。

エース竹山さんは「欽ちゃん球団との試合は充実してた」と明るい声で話してくださったし、斉藤コーチも「イベントだから、そういうのもアリよね」と受け入れておられた様子。

こういったお話をお聞きしたのはすでに半年以上前のこと。
その当時は運営側と現場の想いの乖離を感じたし、「選手たちって意外とゲンキンなのねぇ」とも思ったものだが、今は少し考えが変わった。

イベントのときだけは参加率が高い。
この事実は同じだけれど、運営側は渋い気持ちで見ているのに対し、現場はよきモチベーションにしているように感じられた。

高校野球と、社会人野球と。

ホワイトウェーブの選手はみな、甲子園を目指していた元高校球児たち。

多くの観客からの視線や声援といった華やかさも”甲子園”を彩るひとつの要素であり。
永遠の野球少年の集まりである選手たちが、これで燃えないはずはない。

ただ、高校野球は勝っても負けても終わりがある。
だからこそ選手たちもモチベーション高くいられるし、応援する側もドラマを見出せる。

でも、社会人野球は。
いつまで続くのか分からない、果てしない道。
続けることも、辞めることも、練習することも、しないことも、すべて自分の選択。
自分の気持ちをどう盛り上げていくか、ということが常に課題となる。

イベントの持つ意味

立ち上げたばかりのチーム運営がまだ軌道に乗らない中、毎年華やかに開催される欽ちゃん球団とのイベント。「コント55号対決」なんて打ち出せるのは、坂上二郎さんを擁する鹿児島だけなわけだし。

これは私の想像だが、あまりにも、あまりにも地味な日ごろの練習を踏ん張れたのは、もしかしたらこのイベントがあったからなのかもしれない。

仕事と野球の両立、野球に対する姿勢の温度差。
まだまだチーム内にはたくさんの課題があったけれど、この日ばかりはきっと選手たちも、思いっきり笑いながら「野球楽しい!!」を爆発させたことだろう。
まばゆい照明と、大きな歓声に包まれながら。

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