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26.23年ぶりの公式戦

2008年5月6日。
鹿児島のメインスタジアムである県立鴨池球場(現在の平和リース球場)で、都市対抗野球大会一次南九州予選が開催された。

23年ぶりの鹿児島開催は、誰も過去を知る人がいない。
そんな中での準備はとにかく大変だったと、当時鹿児島県野球連盟理事長でもあった鹿児島ホワイトウェーブ代表國本さんは話してくださった。

23年ぶりの開催

昭和62年に鹿鉄(鹿児島鉄道管理局)が廃部になって以来、鹿児島は社会人野球(硬式)とは無縁だった。

そのため鹿児島県で社会人野球の公式戦が行われるのは、実に23年ぶりのこと。これは新聞各誌でも取り上げられた。

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鹿児島からは鹿児島ホワイトウェーブと薩摩の2チーム、宮崎からはのちに企業チームとなる宮崎梅田学園。
平等を図るため、この年は鹿児島宮崎両県でそれぞれ総当たり戦だった。

球団代表國本さんは、この鹿児島大会を主催者として取り仕切ることとなる。

手探りの大会

しかし。

誰も過去の大会を知らないし、何をどうすればいいのかわからない。
経営者でもある國本さん、仕事もほぼ一人でやりながら、手探りで大会を作り上げていった。
球場の手配、審判との交渉、お弁当や飲み物の準備、報道との連携。
名もなき仕事が山ほどあったはずだ。

日本野球連盟という大きな組織下で、このときすでに80回に迫る歴史ある大会。それは“そこなりの決まったやり方がある“ということでもある。

連盟に所属してまた3年の鹿児島県野球連盟に、それを知る人はなく…というか県野球連盟は完全に國本さん1人だったわけで。
それはもうどんなに大変だったことだろう。

長い長い一日

大会当日、國本さんは誰よりも早く球場に入り、一人準備に走り回った。

プレイボールがかかると、つかの間ホッとした。
試合は、審判さんにお任せしておけばいい。
とはいえ雑務の山だから、気を緩めることはできないけれど。

余談だが、この約10年後の2017年、鹿児島で都市対抗野球二次予選(九州地区)が開催された。そのときは私もウグイス嬢として本部席横に座っていた。
主催者である國本さんのビリビリした空気が正直怖かったのをよく覚えている(今だから言えます汗)。


この日は3試合。

第一試合:宮崎梅田学園 9-0 薩摩
第二試合:鹿児島ホワイトウェーブ 15-1 薩摩
第三試合:宮崎梅田学園 22-0 鹿児島ホワイトウェーブ

結果からも予想はつくが、特に第三試合は長かった。
訪れた報道陣からは「まだ終わんねぇのかよ」という無言の視線が痛い。
自分のチームは不甲斐ない。

試合が終わりチームが帰宅の途に就いたあとも、國本さんは一人球場を片付けた。

「なにやってんのかな…」

長い長い一日が終わり、球場の重たい門を閉じながら、そう口からこぼれ落ちたそうだ。


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