もしも村上春樹がスポーツボウリングをしたら

そこにはいるはずのないものがいた。まるで城を護る門番のように、それは立っていた。あるいは僕にだけ見えていた幻かも知れないと思ったが、スコア画面を見る限り、確かにそれは存在するようだった。
「あれは何かな?」隣の女に聞いた。彼女はオードリー・ヘプバーンの様に整った眉と、シガニー・ウィーバーのように高い身長を持っていた。(他の人の目にどう映るかは分からないが、少なくとも僕の目にはそこそこの美人に映っている)
偶然目に入った彼女の耳を、僕は美しいと思った。
「あれは9番ピン」「9番ピン」
僕と彼女はしばらくの間、その9番ピンと呼ばれる物質を見つめた。1分ほど、あるいは5分ほどかもしれない。
「1つ教えて欲しいんだけど」僕は再び彼女に聞いた。「あれはなんで立っているのかな?」
彼女はこちらに目線を合わせ、「なんでそんなことを聞くの?」という表情をした。まるで理由もなく部屋を荒らす子猫を見るように。
僕はしばらく彼女の美しい耳に垂れるピアスを見つめながら、彼女が次の言葉を発するのを待った。
「それはつまり、ちゃんとポケットに当たったのに、何故残ってしまったのかということかな?」
「うん」僕は頷いた。「それで合ってる」
彼女は腕を組み、白い門番の方をしばらく見つめて黙った。僕は彼女の答えを待つしかない。次の投球で倒されるのを待つ9番ピンのように。
「少しだけ厚く入ってしまったわね」彼女は言った。「アングルが良すぎた」
「なるほど」僕は頷いた。首は縦に振ったが、その動作によって頭の中に浮かんだ疑問が消えたりはしなかった。
「良いことが行き過ぎて悪いことに繋がることもあるのか」「あるわよ」彼女は笑みを浮かべた。それは右側(僕から見て右だ)だけの眉と口角を上げた、非対称コアのような笑みだったかも知れない。「良いことが行き過ぎて悪いことに繋がることもある」
僕はまた頷いた。「なるほどね」
9番ピンは尚もあそこに経っている。いい加減に受け入れろとでも言うように。僕はボールを持ってアプローチに立った。あの9番ピンが立っていることを受け入れようと。あるいは、あの9番ピンと一緒に頭の中の疑問も倒してやろうと思ったのかも知れない。
きっとこれまでにも、もっと信じられないタイミングで同じ目に遭った人がいるのだろう。夏の終わりに、涼しい店内での食事を終えて店を出た瞬間に降る夕立みたいに。例えば、テレビ決勝の優勝決定戦、カウント勝負の第9フレームとかで。
僕はボールを投げた。
滑らかにスキッドしていったボールは大外3枚目でむくりと起き上がり、目標を見つけたとばかりにピンの手前で前進力を上げ、倒すべき9番ピンに命中した。
「ナイスゲーム」彼女が言った。「289ピン」
僕は笑った。きっとその笑みも、アンバランスで非対称な笑みだったように思う。

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