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「わたし」という大地への帰還〜自分を愛するってなに?〜

わたしが子どもの頃、「自分に自信がある」のは、恥ずかしいことだった。
自分の存在を「なんかいい感じ」と思ったり、
自分を褒めたり、自分を愛していると言うことは、
気持ちが悪くて、バカバカしくて、
「現状に満足せずにもっと上を目指そう」という文化から強烈にはみ出た、調子に乗った愚か者の考えだった。

「自分を大切にしよう」という声を上げやすくなった今でさえ、
社会が定める「完璧」の基準に達していない自分を認め、
肯定しすることは、ものすごく勇気のいることだ。
インスタの投稿や、有名な心理学者の本や、
セルフケア特集の雑誌に「自分を愛しましょう!」といくら書かれていても、
怖いものは怖い。
「そっか、自分を愛せばいいんだ!今日からやってみます!」と気軽にコメントやレビューを書いている人の気が知れなかった。

もしも私が、この私が
今の自分を愛していると言ったなら——

「www」「あ、自己啓発系ね」という嘲笑の大合唱。
「自分に甘い」という叱責。
「その程度の自分で満足なの?」という冷ややかな目線。
上を目指す人だけが手に入れることのできる「幸せ」に一生手が届かないのでは、という恐怖。
そのすべてに怯えきっていた。

他の誰かが自分を愛しているのは素敵なことだけど、
私だけは、絶対にそんなことできないし、してはいけないと思っていた。

私が自分を愛したら、嫌われる。
私が自分を愛したら、落ちこぼれる。
私が自分を愛したら、この世での「まっとうな人間」としての居場所がなくなってしまう。
それが、私が人生で学んできたことだった。

自分を愛したら生きていけない。
でもこの苦しさから抜け出すためには、自分を愛さなくてはいけない。

二重の苦しみに疲れ果てた私は、
たくさんのお金を「自己投資」の名の下に使った。
それがスピリチュアルやセルフラブの「探究」だと自分に言い聞かせて。

自分を愛するって何?
自分って何?愛って何?
どの本に答えが書いてある?
どのワークが一番効果がある?
誰のセミナーに出ればいい?

何をどれだけやっても、
「私は自分を愛している」とは、堂々と言えなかった。
言ってみたことはある。
ピンクのバラを買って家に飾り、オーツミルクのラテを飲み、
アロマキャンドルを焚いた部屋で瞑想とストレッチをして、感謝日記を書いた。「私は私のことを愛しています」と鏡に向かって唱えた。

だけど実際は、自分を愛してなどいなかった。
ただ、他の人に、
私のことを「自分を愛している人」だと思って欲しかっただけだった。
幸せな女性だと、思って欲しかっただけだった。

何かを得たいと願うとき、どうしてそれが欲しいのかを考えることが、
実は一番重要だったりする。
私が「自分を愛したい」と願ったのは、
とにかく、生きづらさを解消したかったからだ。
どうしてそんなに生きづらかったのかを考えてみると、
「社会が定める幸せ」を手に入れるレースに疲れ果てていたからだった。
そして「自分を愛しさえすれば、このレースに勝てる」と思いこんでいた。

「自分を愛している状態」というのは、
マリオカートで、スターを手に入れることと同じだった。
無敵になっている間に一気に敵を蹴散らし、「幸せの国」にゴール。
ゴールすれば、もう二度と走らなくていい。疲れなくていい。
そこには幸せと豊かさと愛と感謝だけがあって、
もう何も恐れなくていいのだと、そう信じていた。



自分を愛するとは、
社会が決めた「幸せの国」に入れるように努力することでもなければ、
幸せの国に無事にゴールインすることでもない。

幸せの国を目指すのをやめて、
コースから逸脱し、走り去り、自分のふるさとへ帰ることだ。
<わたし> という名前の壮大な大地。
わたしそのものである無限の王国レルム

幼い頃、
「そんなところには何もない。資源もなければ観光名所もない、貧しい土地だ。そこにとどまっていたら生きられない。豊かで安全な幸せな国を目指すことでしか生き延びられない」と教わり、見捨てざるを得なかった、ふるさと。

思い返せば、
自分のふるさとを探検する前に、
幸せの国を目指すレースに強制参加しなければいけなかった。

本当は、ふるさとのどこに何があるのか、全く分からない。
どんな植物が生え、どんな泉が湧き、どんな風が吹き、
どんな土壌がそのすべてを支えているのか、何一つ、知らなかった。

コースアウトして、 <わたし> という大地に帰ること。
無限に広がるふるさとを探検し、そこに住まうこと。
「幸せの国」にはない種類の、自分だけの新種の幸せを発見すること。
幸せだけじゃなく、悲しみの谷や、嘆きの海や、
怒りの砂漠を見て、その自然の美しさに震えること。


この土地と、この土地を好きだと言ってくれる人を愛すること。
生きて、愛し、傷つき、最期の時を迎えること。

自分を愛するとは、そういうことだと思う。




ドリゼラ
Instagram↓
@drizella_jpn


お読みいただき、ありがとうございました。わたしという大地で収穫した「ことばや絵」というヘンテコな農産物🍎🍏をこれからも出荷していきます。サポートという形で貿易をしてくれる方がいれば、とても嬉しいです。