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【エッセイ】「知りたい!」と「作りたい!」

僕の好きなビートルズを評して、それまで専門家の領域だった作曲を、専門性に縛られる事なく自由な感性で取り組んだことが偉大な成果に繋がった、という旨の文章をよく目にします。
彼らは知らなかったから革新できたのだ、という訳です。
また、もの凄い天才アーティストがある一時期に信じられないクオリティの作品を量産したにも関わらず、ある時点からそれ程印象的な作品を作らなくなってしまうように見える事もあります。

音楽に対する知識や経験が、新鮮な作品を作る妨げになるのだろうか?
知り過ぎることが逆に足かせになるのではないか?
長いあいだ疑問に思っている事です。
この疑問は学校教育について語られる詰め込み式の教育からの脱却という文脈で語られるテーマにも近いものを感じます。
知識偏重の教育ではなく、もっと子供ならではの自由な発想を育むべき、という考えです。
僕も与えられた知識をいつまでも無批判に詰め込み続ける事が、斬新な発想に繋がるとは考えていませんでした。

この問いには、もしかしたら明確な答えはないのかも知れません。
ただ最近、音楽については知識そのものが制作の足かせになる、というのは誤解では無いかと思うようになりました。
斬新な作品と呼ばれるものも、既存のものの新しい組み合わせです。
そもそも全く聞いた事すら無い音楽に、僕は多分感動しないのでは無いかと思います。
そうなると既存の音楽の豊かなデータベースを培うことは、新鮮な発想を助ける事はあっても、邪魔する事は無いのではないかと思うのです。
どんなに優秀な料理人でも、材料が無ければ料理は作れません。

もしかしたら大事なのは知識の量よりも、音楽に対する好奇心ではないでしょうか?
与えられた材料をいかに使って何を作りたいのか?
自分が求める音楽は何か?と真摯に探求すること。
「知りたい!」という強い欲求がテンションの高い作品を生むような気がします。
「知りたい!」と、「作りたい!」はかなり近い欲求だと思うのです。
そう考えると、そもそも自分が何を知っていて、何を知らないかを知らない人は、「知りたい!」「作りたい!」という欲求を持たないと思います。
つまり知識の獲得が、知識の空白を埋めたいという欲求を生む。
そんな気がしています。

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