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いまはさよならぼくのくろいねこ

このポストは一緒に暮らしていたねこの最後の1週間の記録です。自分の行動はおそらく一部の方には受け入れられないものかも知れませんが敢えてそのままさらけ出します

1.

闇ねことツイッターで呼称していたねこと暮らしていた。真名をもすこみゅーる・ザ・キャット。通称みゅる。a.k.a. 闇ねこ。

2011年、一緒に暮らしていた彼女と最初に迎えた保護ねこは、ねこ・じんじゃ。通称じんじゃ。a.k.a. 普通ねこ。たしか5月頃だったと思う。偶然拾ったという保護主さんから貰った当初、まだ乳離れ直前だったじんじゃは、ミルクやおしめをぼくが担当した。そのためじんじゃは自分の事をにんげんだと思っている。じんじゃは自由奔放に育った。にんげんふたりとねこひとりの生活は、自分をにんげんだと思っているねこ中心にまわった。

じんじゃに遅れること数ヶ月、彼女が黒猫が欲しいと言い出した。曰くしっぽの長い黒猫が欲しいと。そして迎え入れた保護ねこがみゅるだった。みゅるは、多数のねこを保護している本格的な保護ねこ活動家さんから貰った。そのためワクチン接種後のお迎えとなり、多数のねこの間でもまれてすでに自我が確立した状態の仔猫だった。当初はまだ寄生虫がいて、動物病院で貰ったクスリを毎日目に投与していた。声を出さずに鳴くみすぼらしい仔猫だったが、即席のダンボールケージの中ですくすくと育ち、クスリが終わる頃には毛並みもつやつやして元気でよくしゃべる仔猫になった。ダンボールケージをたたんで、じんじゃとみゅるをいっしょにした日は、1日ふたりともしっぽを太くして大興奮だったが、翌日にはすでにつかず離れずの関係性を確立した。じんじゃはかみ癖があったが、みゅると暮らし始めて甘噛みをおぼえ、ツメも立てなくなった。じんじゃもねこたるもののありようについて理解したようだ。みゅるは実に正しくねこだった。

年末には避妊手術を済ませ、仔猫から大人ねこへと成長していった。翌年にはふたりはほぼ成熟し、にんげんふたりとねこふたりの暮らしはおおむね穏やかで幸せなものだったと思う。

2012年の7月に彼女が別れを切り出した。ぼくは別れたくなかったが、別れるならと出した条件に、8月末に予定されている長期海外出張中に出て行くこと、ねこはつれていくことという条項を設定した。いつものようにねこと彼女に挨拶して出発した出張の行き先はアマゾン川。帰ってくると彼女の分の荷物が消えたがらんどうの部屋の中に手紙が一通とふたりのねこがいた。彼女の手紙には

あなたにはねこが必要だと思います。だからこの子たちは置いていきます

とあった。手紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てた。そしておもいなおして拾い上げ、しわを伸ばしてどっかにしまった。いまでもどっかに手紙はある。その夏の終わりからぼくらはにんげんひとりとねこふたり暮らしになった。


2.

ぼくとねこたちの暮らしはシンプルだった。みゅるは彼女になついていたので、ぼくとは一定の距離を保っていた。じんじゃはぼくになついていたので甘々だった。朝トイレに行くとじんじゃがついてきてひとしきりあそぶ。みゅるは影からこっそり見ていた。時々なにごとかをしゃべりながらやってきて、じんじゃを追いかけ回した。

昼はふたりともねていた。窓が好きで時々外を眺めながら日光浴をしていた。じんじゃはぼくの服の上で寝るのが好きで、みゅるは彼女が使っていた紫色の毛布をフミフミするのが好きだった。でもねるときはぼくがつかっているピンクの毛布にもぐって寝ていた。

夜はふたりとも活動的だった。仕事から帰ってくると、コンピュータの前で配信やアニメやツイッターを見ている僕のそばにやってきて、じんじゃは背後でねそべり、みゅるはなにごとかをしゃべりながらちょっかいを出してきた。みゅるは距離をとりながらも愛を要求した。寝るときには必ずぼくはみゅるをなでてやらなければならなかった。なでなければなにごとかをしゃべりながらツメでちょいちょいして催促した。なで方が気に入らないと切れて部屋中を走り回った。じんじゃは適当に寝ているが、時々とばっちりを受けて追いかけ回されていた。気が済むとちょっと離れたところで寝た。

ご飯は自動給餌器、お水は循環式の給水器。自動掃除機を導入して部屋は一応きれいだった。彼女の手紙にあった「必要」とはこのことかと思った。彼女とのなれそめは、以前住んでいたぼくの汚部屋を掃除してくれたことからだった。アマゾンにはそれからも何度か行ったが、その際にはキャットシッターさんをお願いした。穏やかでやさしい女性のシッターさんで、じんじゃはクールに接していたそうだが、みゅるは非常になついた。そして結果から言えば彼女の手紙の真意はそういうことではなかった。

そうしてぼくらの日常は続いていた。家での時間は空気のようにねこたちがいて、じんじゃのおなかをなで、みゅるになにごとかをしゃべりながら愛を要求され、ルンバのゴミを捨て、爪研ぎをする床にひいたゴザはすり切れていった。仔猫用のカリカリは避妊成猫用になり、そしてシニア用になった。平凡な日常はずっと続くように思われた。


3.

みゅうみゅう1

みゅるには吐き癖があった。時々吐き始めて1日か2日元気が無くなる。しかし、しばらくすると元のようになにごとかをしゃべりながら走り回り、よく食べ、よく飲み、よく出した。一度動物病院に見せて、腎臓の数値が少し悪いけれど異常値ではないので、吐き癖でしょうといわれていた。

たしか12月26日頃からだったと思う。みゅるが吐き始めた。元気はあったが、そのうち全て吐き尽くして何も出なくなった。27日に外勤に行き、その夜もみゅるは吐いていた。いつもの感じならそろそろおさまる頃合いだが、おさまらなかった。なでなでの要求が激しかった。夜はいつものように距離をとらず、ぼくのすぐ隣で寝た。

VTuberの幸糖ミュウミュウ(*)のツイートが気になっていた。確かに動物病院に見せるなら今しか無い。年始4日から長期出張が予定されていた。ケニアに新たな共同研究の可能性を探りに行くのだ。専門家が自分しか行かないのでキャンセルは出来ない。でもまだ動物病院に行く決断を出来ないでいた。

みゅうみゅう2

28日に入ってみゅるは元気が無くなっていた。吐くのは止まったが水もご飯も口にしない。チュールをあげても吐いてしまう。それでもみゅるは愛を求めた。しかしなにもしゃべらずツメも出さなかった。遊んでみる。じんじゃは食いつくがみゅるはじっとしている。心臓を冷たい手で掴まれるようないやな心地がした。明らかに異常だった。行きつけの動物病院は29日が仕事納めだった。心臓を掴む冷たい手は危険信号を送ってきた。29日の朝イチでみゅるを病院に連れて行くことにした。

みゅるは愛を求めるときに決まった手続きがある。何事かをしゃべりながらやってくるとぼくは彼女をころがしておなかをしゅしゅっとなでる。彼女はそれにじゃれついてねこキックをする。右にころん、左にころん、そして噛む。ぼくは頭をぽんとする。みゅるは脱兎のごとく駆け出す。この日の夜、いつもの儀式は行われなかった。ただただ静かになでなでを要求した。なにかを悟っているように見えた。ぼくは心臓を冷たい手で掴まれている心地を感じながらみゅるをひたすらなでた。手で全身をおおって、背中やおなかを吸った。太陽のにおいがした。おでことおでこをあわせた。みゅるは静かになでられていた。じんじゃはしずかにみていた。ねこふたりとにんげんひとりは1カ所でまるまって寝た。


4.

翌日29日、良い天気だった。動物病院の診療時間を確認し、みゅるの症状を確認した。ぼくは腸閉塞を疑っていた。しかしおなかを触るのをいやがることは無かった。腎臓病の可能性も考えたが、特に多飲の傾向が無かったのでこの時は考慮していなかった。車をとりに行くときみゅるは寝ていたが、車をマンションに横付けして部屋に戻ると窓から外を眺めていた。一瞬何でも無いのでは?気にしすぎでは?と思ったが、抱き上げてみるといつものような元気はなくとてもやわらかかった。冷たい手が再び心臓を掴む。みゅるをキャリーに入れてふたをする。「だいじょうぶけ」と声を掛ける。両手でキャリーを持って車に運ぶ。みゅるはいやがって鳴く。

みゅるは車が嫌いだ。車内ではずっと鳴いている。しかし元気なときのように動き回ることはなかった。何もかもが異常だった。病院が見つからずすこしまよった。「だいじょうぶけ」と声を掛けながらスマホで位置検索をした。引っ越したようだった。大きな葬儀場の横に立派になった病院があった。着いたときはまだ病院は開いておらず、寒い中5分くらい並んで待つ。待っている間、みゅるは鳴かなかった。待合室に入ってみゅるをみながら診察を待つ間もほとんど鳴かなかった。診察室に入る。先生に症状を説明し腸閉塞を疑っている旨を伝える。血液検査に加えてレントゲンと超音波検査をすることになった。一旦帰って昼過ぎに来てくださいと言われる。ちゃんとみてもらえよと声を掛けてみゅるをおいて一旦家に帰る。スーパーで買い物をして部屋に戻るとすぐに着電があった。検査の結果が出た。腸閉塞ではないが「ご相談」することがあるとのことだった。


5.

車を走らせて病院に戻る。レントゲン、超音波、血液検査の値を見せられて説明を受けた。受けた説明の内容については、出張中にシッティングを依頼する予定の新しいシッターさん(みゅるがなついていたシッターさんは引っ越しのため交代することになっていた)と診て頂いた先生に状況を整理して共有するために出したメールを引用する。

改めて、状況について情報を共有させてください。
おとといよりみゅるが吐くようになり、もともと吐き癖がある子なので様子を見ていたのですが、昨日から逆に吐かなくなると同時に食べ飲みが止まり、昨夜からは、動きが徐々に静かになり、寝る前恒例のなでなで要求(+なでが足りないと全力疾走して抗議する)がほとんどないなど、彼女の行動パターンから見て全く普通ではない状態に見えたため、本日午前に○○動物病院を受診しました。
同報している○○先生に見ていただき、最初は異物を食べてしまった可能性を疑っていたためX線、超音波、尿検査、血液検査をしていただいたところ

・腎臓が片方大きくなっている
・血中尿素量・腎濾過の数値が平常の10倍近い非常に悪い数値

との所見から、腎機能が低下し、尿毒症でかなり悪い状態になっているとの診断を受けました。
他の検査結果はほぼ問題なく、一部正常値から逸脱している検査結果がありましたが、これらは腎臓および尿毒症による効果であると理解出来るとのことでした。
治療方針として、喫緊の問題である尿毒症の対処療法として1週間をめどに点滴による直接水分補給を行って血中尿毒素の排出を促し、血中尿毒素量が平常値に近づくまで低下するかどうか観察、充分低下して安定するようなら在宅療法に、その他の場合は本人(猫)の入院適性や症状から判断してそのまま入院かまたは在宅で往診または在宅通院などの方策を考えるという方向性を考えることになりました。

この時点では腎臓病に関する知識がほとんど無かったため、出張中に退院になったらどうしようとか、ずっと入院だとかわいそうだなとかそんなことを思っていた。しかし、見せられた腎臓の数値は驚くほど悪いものだった。

血中尿素量(BUN):120.0
腎臓濾過量(Cre):11.52
リン(IP):10.2

ほぼ末期の腎不全の数値である。帰るときに先生に「帰る前にみゅるにあって行ってください」といわれた。みゅるはふつうにみゅるだった。すわってこちらをみている。唐突に世界が暗転した気がした。大丈夫だと思っても不安に押しつぶされそうになって思わず泣いてしまった。みゅるはきょとんとしていた。そしてみゅるは入院した。

翌日は朝森に行き、リタートラップの中身を回収して職場で乾燥機に掛け、出張用の資材を買い出して部屋に戻った。戻ると病院からメールが来ていた。みゅるは吐いていない。ご飯は食べている。尿は出ていない。超音波の結果は変わらず。血液検査の結果は悪化。

BUN: >140.0
Cre: 13.89
IP: 8.6

ねこの腎不全について調べれば調べるほどみゅるのこの数値は異常に見えた。腎臓のサイズは普通か大きい(尿管が詰まっているときに起きる水腎に見える)ので、腎機能がほぼ失われているこの数値は非常に奇妙だった。とにかくおしっこが出始めれば数値は改善するはずだった。

しかし翌日大晦日の先生からの報告は残酷だった。

この時点で腎臓の数値は

BUN:>140
Cre:14.83
IP: 7.9

血中尿素量は測定限界を超えている。さらにサイズに異常の見られない左側の腎臓からの上部尿路に拡張が見られ、なにか詰まっている可能性があるとのことだった。電話をすると状況は非常に深刻で、詰まりを解消する手術は50-70万円の見積もりで、最終的に100万円以上かかることも普通。そして二次診療施設(大学病院など)へ転院して行う必要がある。また、年末年始のため近隣では対処が不可能とのことだった。

はずかしながらぼくには貯金がほとんどない。歳的に考えれば100万円くらいだせなくてどうするとは思うが、無いものは無い。そしてねこには保険も掛けていなかった。飼い始めた当時はあまり良い保険がなかったので掛けていなかったのだが、とにかく保険はこれからかけられるはずもなかった。すでに病院には25万円のデポジットを支払っていた。それにプラス出来るのはどうがんばっても50万円が限度だった。この金額で出来ることを先生に探って貰うことをお願いした。かなり無理を言っている。


開けて2020年の元旦、さらに悪化が続いた。

BUN:>140
Cre:15.02
IP:12.5

左腎臓が拡大を開始、明らかに尿管閉塞による水腎症だ。
手術の検討余地は50万円で収まるものとなると旧式のものしか無い。しかし、旧式の手術は手技が極めて難しく出来る人が少ない。腎臓の数値的には腎不全の末期中の末期、しかし本人はけろっとしているという。
まだ、詰まりは流れてくれるのでは無いか。しれっと数値は下がるのではないか・・・。

みゅるがなついていた旧シッターさんのおすすめで購入したケージ、自宅療養に切り替わった後でみゅるを収容するつもりで購入した。大晦日に組み立てたが、元旦にはほぼ使われる見込みがなくなってしまった。


2日。森に行って、職場に行って、帰ってくる。先生の報告は絶望的だった。腎臓の数値はほぼカンスト。尿毒症に端を発する電解質バランスの崩壊が始まっている。吐き始めている。

BUN:>140
Cre:17.87
IP:>15.0
K+(電解質・カリウムイオン):6.1

まだ手術の可能性を探ってはいたが、旧式手術を引き受けてくれるところは年明けからになりそうだった。それまで持ってくれと祈る気持ちだった。出張出発前日の翌3日に面会する予定だったが、それを待たずに面会に来てはどうかと言われる。勇気が出なかった。予定通り3日に会うことにする。ぼくは中々に汚らしいニンゲンだと思った。これもそういうことではなかった。


6.

ねこは砂漠の動物だ。尿をなるべく濃くして水分を限界まで再利用する。そのためか、ネコ科の動物には共通してとある欠陥がある。

Apoptosis inhibitor of macrophage(マクロファージ性アポトーシス阻害因子:AIM)というタンパク質がある。免疫系細胞生物学で山のように出てくるシグナル伝達因子の一つで、何をしているのかよく分かっていなかったのだが、発見者の宮崎さんによって様々な病気に関係する因子であることが分かってきている。そのなかで注目されているのが、ネコ科に特有の腎臓の欠陥との関係だ。

多くの動物の体内で、AIMは普段血液中でIgMという免疫タンパクと結合しているが、腎臓の尿細管(血管との間で水分や老廃物を交換し、尿を作る場所。ここから尿が流れ出す)中でこわれた細胞などのデブリがたまって尿細管が詰まって炎症が発生し、軽い急性腎不全状態になると、IgMから離れて血管から尿細管に移行し、それらの異物に付着する。デブリに付着したAIMは尿細管上皮細胞表面にあるKidney Injury Molecule-1(KIM-1)という受容体と結合することによって異物として認識され、尿細管上皮細胞によってデブリごと取り込まれて分解される。その結果、尿細管の詰まりは解消され、急性腎不全状態は自然治癒する。いわば天然の尿細管お掃除システムだ。

腎臓の尿細管は加齢と共にかならず死細胞などのデブリによる詰まりを起こすが、通常はこのお掃除の仕組みが働くために重篤な急性腎不全を起こす前に詰まりが解消される。しかしネコ科の動物のAIMタンパク質は他の動物のものとは異なる配列を持ち、IgMとの親和性が1000倍も高い。このため、異物をラベルするAIMが急性腎不全状態が起きてもIgMから離れないために、異物を取り込む側の尿細管上皮細胞のKIM-1は正常に働いているにもかかわらず異物を認識出来ず、尿細管が詰まってしまう。宮崎さんらは、ねこ型AIMを持つトランスジェニックマウスを作成するとこの状態を再現することが出来、そこにマウス型の正常なAIMを投入してやると尿細管の詰まりを解消出来ることを見出した。つまり、ねこは腎臓お掃除システムが元々壊れている仕様のため、年齢が高くなるとそもそもかならず腎障害を起こすような身体のつくりになっていることが分かった。こういった事が起きる年齢は通常5-7歳くらいとされているようで、通常はこれがトリガーとなって慢性腎不全へとゆっくり移行し、10歳以上で見える形の腎不全を発症する。今回のみゅるのケースはこの最初の急性腎不全の段階で重篤化したものと考えると全てが理解出来る。そして、両方の腎臓の細管中で炎症が発生している(実際にみゅるの検査結果では詰まりの見えない右の腎臓も肥大している)場合は、見えている詰まりを解消する手術を行っても意味が無い事になる。

いずれにせよ、ねこはかならず腎不全を発症する。これはもうそのように元から出来ているので避けることは出来ない。ねこというシステムそのものの設計寿命が5-7年に設定されているといっても良い。宮崎先生らは現在ねこのAIMのIgM結合ドメインを改造し、急性腎不全状態が起きたときにIgMから離れて通常の動物のように異物をラベルして細管上皮細胞に処理させる事の出来るタンパク質をクスリとして開発している。つまり人工お掃除システムだ。ねこでこれに著効があることはすでにNature Medicine誌という世界的なハイインパクトジャーナルに掲載されているそうで、現在治験を開始しようとしているということだ。これが完成すれば(免疫反応による副作用の可能性はあるものの)ねこの寿命は格段に延びるだろう。

しかしみゅるにそれは間に合わなかった。


7.

1月3日。出張出発前日。動物病院で状況を確認し、みゅるに面会する予定の日。約束は11時。少し前に着いた。タバコを吸いたい。車を置いて周囲を歩いてみる。病院の裏手に川が流れていた。工場の喫煙所をお借りして一服する。桜の並木だ。春はきれいだろう。

病院に向かう、新シッターさんが待っている。出張中に安心して貰うため、みゅるがいつもふみふみしていた紫色の毛布を助手席から取り出して病院に入る。

先生にまず会ってくださいと言われる。バックヤードのステンレスのケージにみゅるはいた。昨日まではけろっとしていたということだったのに、顎が吐いた泡でよごれて横たわっている。ケージにはアクリルの板がはまっている。使われていない点滴装置が床に置いてある。

窓を開けてなでてあげてくださいと先生が言う。みゅるにふれるといつものようにびくっとふりむくが鳴かない。なでると頭をすりつけてくるが力が無い。先生が説明する。

朝に急変した。起きられない状態になっていたので酸素室に収容した。おそらく電解質バランスの喪失により非常に危険な状態になっている。説明を聞きながらなでる。みゅるはなにもしゃべらずなでられている。何度か泣き崩れたような気がする。なんか言い訳とかしていたような気もする。あんまりおぼえていない。

一旦ちゃんと説明をして貰うために診察室に戻る。もどるとき、みゅるはこっちをみていた。診察室で手術の可能性について聞く。多分腎臓が両方とも機能を停止している。詰まりが見えている左の腎臓からの尿管閉塞を開通しても、予後が良いとは思えない。一応50万の範囲で手術出来る二次受け入れ施設が開くのを待って相談して貰うことにする。おそらく一時帰宅は無し。予後が良いとしても自宅で点滴しながらの療養になるだろう。もしもの時は葬儀を病院で出して貰う。残念ながら遺体は長期保存出来ない。帰る前にもう一度会っていってくださいといわれたような気がする。もういちど病室に戻った。

みゅるをなでる。今度は必死に起き上がろうとする。なにかが詰まったような声を出す。泣きながらなでた。いつものおあそびプロトコルを実施したいのだなと思った。もう耐えられないと思った。今帰らないと出張にはいけないなどと思った。彼女が残した手紙に書かれた本当の意味は多分これだろう。「お前は他人をちゃんと愛せるのか?」

それでも「帰ります」と言った。診察室に引き上げた。先生が何かを言いかけたとき病室にいた新シッターさんが大声を上げた「みゅるが呼んでます!」

もうだめだった。かけよってみゅるをなでた。みゅるは必死に起き上がって鳴いた。なでろと、愛を求めた。いつものように。先生が2人の時間を作りましょうかと言った。10分だけふたりにしてくださいと言った。診察室に酸素ボンベが持ち込まれた、シューシューと酸素が出てくる。診察台にみゅるの好きな紫の毛布を敷き、みゅるを酸素室から出す。

ふたりになるとみゅるは甘えた。全身を包むように抱きしめて背中を吸った。いつもの太陽のにおいがする。みゅるはがらがら声で鳴いて頭をすりつける。みゅるは愛を求めるときに決まった手続きがある。何事かを訴えかけてくるのでぼくは彼女をころがしておなかをしゅしゅっとなでる。彼女はそれにじゃれついて弱々しいねこキックをする。右にころん、左にころん、そして噛む。ぼくは頭をぽんとする。みゅるは脱兎のごとく駆け出す。もちろん駆け出せなかった、その代わりにみゅるは口から大量の薄ピンク色の液体を吐き出してけいれんを始めた。あばれるみゅるを抱きながら先生を大声で呼んだ。先生が飛び込んできてみゅるを取り上げると隣の部屋にみゅるを運んだ。一瞬立ち尽くしたけれど、ぼくもその部屋に入った。

みゅるは口に開口器を付けられ挿管されるところだった。びくびく身体が跳ねるがそれは意識を伴ったものではないようだった。心拍モニタが付けられるが音はめちゃくちゃだ。自発呼吸が停止していると先生が言う。胸を挟むようにもみながら息をしろと叫ぶ。助手さんが手早く強心剤を留置針から入れる。呼吸は戻らない。ぼくはみゅるの下半身をなでながら息をして!と叫ぶ。一瞬しっぽが太くなり、そして徐々に細くなった。呼吸は戻らない。人工呼吸器を助手さんが操作し、みゅるの胸を直接先生がマッサージし、ぼくはなんの意味も無く下半身に手を当てていた。みゅるの暖かみを感じるが、ぐんにゃりしている。随分長いことマッサージをしている。先生にこれはどういう状況です?と聞く。自発呼吸が停止しています。心臓は動いているので自発呼吸を回復させます。助手さんが挿管された管にたまるピンク色の液体を時々すてる。先生がマッサージをする。心拍モニターが外れる。つけなおす。心拍のビートは安定し始めている。自発呼吸が回復した。

こっちに来てなでてあげてくださいと先生が言う。みゅるの正面に行く。目が飛び出さんばかりに見開かれている。一瞬これはだめと言いかけた、先生は確かにと言ったが思い返した。いまはそんなこと言っている場合ではないだろ?見開いた目を正面から見据えてみゅるをなでた。先生はこのまま意識が戻るのを待ちますと言う。ぼくは覚悟を決める。帰れる状態ではない。

みゅるは目を見開いている。でもなにも動かない。息はしている。心拍は乱れながらも一定の調子で打っている。ただなでる。先生は席を外して時々見に来る。ぼくはみゅるをなでる。時々まぶたをさわって目を閉じさせようとしてみた。目は飛び出していてまぶたが閉まるような状態ではなかった。いつもの愛を要求するプロトコルは最後まで行われた。みゅるのはっきりした意識の最後に刻まれたのはぼくの腕の中だろうとか思った。どのくらいのスピードで時間が流れていたのかわからないけれど、徐々にみゅるの目が閉じていった。先生に依れば意識が戻ったときに暴れて今度こそ帰らないことがあるという。目や耳が動いたら知らせてくださいといわれる。目が閉じてきましたと言ってみる。そういうことではなくて瞬きや耳が動いたらということらしい。耳は静止している。みゅるとふたりになった。ぼくはみゅるをなでる。ときどき先生か助手さんが様子を見に来た。ぼくはみゅるにぜんぜんだいじょうぶじゃなかったなと声を掛ける。みゅるみゅると呼んでみる。反応はない。

13:48とノートに書いてあるので多分1時間半弱くらいこうしていたと思う。先生がやってきて酸素室に収容してゆっくり醒まさせることにしましょうと言う。少し待合室にいてください。ぼくはタバコを吸うところはありますか?と聞く。駐車場でどうぞと言って先生は犬用療養食の空き缶をくれた。

こんな時でもタバコ吸うんだなとか思いながらタバコを吸った。年始の街は静かで黄色い斜めの太陽の光がさしていた。病院の隣のペットホテルから大きな犬を連れたハンドラーさんが出てきてちょっとまわりを一周して帰って行った。車のトランクを開けて座りながら2−3本タバコを吸ったところで先生が出てきた。タバコを消して先生について行く。

病院に来たときの酸素室にみゅるは寝ていた。吐いたピンク色の液体で顎についていた泡はなくなり、いつものみゅるにみえた。横になった上側の目は少しだけ開いていた。横になった下側の目はまだ大きく開いていた。口は軽く開いて舌がでている。この状態で醒めるのを待ちますと先生は言う。醒めるかどうかは半々の確率だと。いられる限りいますとこたえる。18時ごろには洗濯をしてパッキングしないといけない。先生は短くそうしてくださいと言う。

時々先生が来て話をする。ぼくはみゅるをなでる。心拍モニターは安定している。ワイアレスなんだなとかぼんやり考える。助手の人がくれた水を飲む。みゅるをなでる。みゅるの目が閉じてゆく。おなかが普段とは違う感じで動いて息をしている。なでると暖かい。しずかな時間だった。

時々タバコを吸う。帰ってくるとタバコ吸ってきてやったけとみゅるに話しかける。なでると心音がすこしみだれる。感覚はあるのかもしれない。先生はゆめうつつの状態ですねと言う。しずかな時間だった。そしてこんなに静かになでさせてくれるみゅるは初めてだった。だんだん覚悟が決まってきた。3回目のタバコに出たときには暗くなってきた。みゅるをなでる。目は閉じている。しずかな時間だった。

写真を撮って良いですかと聞く。良いですよと言われる。2枚だけ写真を撮る。

画像1

17時に「帰ろうと思います」と先生に声を掛けた。「そうですか」と先生は言った。万一の時にはその時の写真を撮ってください。あと出来れば切れる余地があればツメを切って残してくださいと伝える。わかりましたと先生はこたえる。みゅるを置いて帰るとき「いってくるけ。また会おう」と声を掛けた。なんとなく心拍モニターが反応した気がした。しずけさの中にみゅるを残してぼくは帰った。

その夜、じんじゃはぼくの服にしみこんだみゅるの体液のにおいを嗅ぐと興奮状態になった。寝てくれない。何かを察したようだった。くろねこはいない。ふたりで寝た。


8.

翌4日。予定通り出張に出かけた。15時出発の飛行機は羽田空港をぐるぐる回って15時半頃に離陸した。最初の経由地広州で携帯端末を開くと病院からメールが来ていた。

朝、一度場所を移動した形跡があったが終始寝ていた状態で、14時過ぎから呼吸心拍がゆっくりになり、16時前に静かに逝ったとのことだった。多分ぼくがちょうど病院の真上あたりをとんでいる時のことだと思う。

多分彼女の最後の意識はぼくの腕の中だっただろうと思う。



いまはさよならぼくのくろいねこ。この世界での最後にぼくを呼んでくれてありがとう。この世界で君と出会えて良かった。
いましばらくはじんじゃとふたりでこの世界でがんばるつもりだから、そっちで先に行った仲間たちと待っていてくれ。

おれらがそっちにいったらまたいっしょにあそぼう。


みゅうみゅう3


ケニア出張は生命の連鎖を強く感じる旅だった。それについては近々noteを書く予定。昨日帰国し、じんじゃと後片付けをしながらこれを書いた。ぼくに愛を要求するくろいねこはもうこの世界にはいない。にんげんひとりとねこひとりの日常が明日から始まる。多分バージョンがひとつ上がった。


*)幸糖ミュウミュウは2021.12.31限りで活動卒業


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