透明な人間になることについて

左隣に透明な男が座っている。
 
厳密に言えば、完全に透明ではなく、透き通った薄い水色くらいの感じなんだけど、そいつの向こう側が透けているので、透明ってことには間違いがない。

光学迷彩を着ているのかと初めは思ったが、横目でチラッとみた感じでも、服のつなぎ目が存在していなさそうだし、光学迷彩にありがちな、服の皺の部分に存在してしまう歪みがない。
完全に透明でないというのも、光学迷彩ではないと思う理由のひとつである。
身体の反対側の映像を服に投影しているのであれば、色は微妙に違うことはあれど、水色に濁るというのは考えづらい。もしかすると、透明にはなりたいが完全に透明に近いと日常を過ごすのに不便だから多少の色付けをしているのかもしれないが、さっきいったように身体の屈折した部分に歪みがそんざいしないというのが理由で僕はその男を生物学的に透明なのだと判断した。

そんなふうにいうと、君たちはこういうかもしれない。
「幻覚では?何か変なクスリやってるの?」
僕も初めは一瞬そう思ったが、特にいつもの違うものを口にした覚えはない。
夢という可能性も考えてみたが、夢にしては解像度が高すぎる。
現に手に持っている本もきちんと読めている。
夢で本や活字をきちんと読めたことがない僕は、夢かどうかの判断に活字を見ることを利用している。
 
本を読むふりをしながら、隣の席の男の様子を伺う。
席には半分ほどに減ったバナナジュースみたいな飲み物がグラスに入って置かれている。
よくフィクションで出てくる透明人間へのツッコミとして、口にしたものは透明にならないのでは、というのがある。
これは最近ようやく解明されつつあって、説明が長くなるので端折ると、量子物理学的な理由で透明になっているらしい。詳しく知りたい人は今年の春くらいに出たNEWTONの「最先端の量子物理学」を読むとなんとなくわかると思う。
超ひも理論とかの話よりは多少なりとも凡人の僕でも理解できる内容だった。
 
男は何もしていない。
座って、両手をふとももの上で組んだまま、頭の角度的におそらく俯いている。
何を考えているのだろうか。
表情が読めないので、わからない。
表情がわからないというのは、結構便利だなと思う。
 
透明人間になる方法がGithub上にアップロードされたのが去年の10月5日。
「とお(十)」と「めい(May)」ってことで、日本人がアップロードしたのではないかという憶測が囁かれたが、そのくらいの言葉遊びなら少し他言語に興味がある人間なら問題なくできるので、あまり確証はない。
 
誰が発表した、ということより、匿名でGithubというエンジニア寄りのプラットフォームにアップロードされたということの方が世間を賑わせた。
よくある意見としては、軍の開発者がリークしただとか、アナーキストの思想的な理由だとかであるが、まあそこらへんは開発者本人が出てくることがなければ確定はしないだろうし、多くの人はその技術的なブレークスルーにフォーカスしていたので、そこまで発表のモチベーションについての話題が白熱することはなかった。
 
透明人間になる方法は、比較的具体的に書かれていた。
 
前提として以下の4項目がまず挙げられており、
A、動物性タンパク質を完全に避けた生活を5年以上続けていること
B、ドーパミン受容体の数が優位に(D1R、D2Rともに一般人平均に比べ10%以下)であること
C、視覚、聴覚、触覚のうち視覚が優位であること
D、両眼平均の視力が0.3以下であること
 
上記の条件を満たしている人物を対象に、下記の方法を行うとおおよそ23~35%の確率で透明人間になることができる
1、120日以上、自分の全身が映る鏡に向かい、服やアクセサリーを一切纏わずに毎日90分以上自分の身体をすみずみまで観察する
2、メガネやコンタクトレンズを着用するする習慣があるものは、上記の期間それらの着用を止める
3、十分な睡眠を毎日取る
 
DeepLで日本語訳した文を軽く直しながら久々に読み返してみると、本当にこんな方法で透明人間になれるのかと思ってしまうが、実際に透明になれた人が数は多くはないが世界的に出現したので、まあ本当なんだろうなと思う。
 
透明になることに成功した人へのインタビューによると、身体が透明になるのは、一瞬で、というより気づいたら透明になっていたという感じらしい。
初めは自分が気づいて、周囲の人がそれを認識するまでは2、3日のタイムラグがあるとその人物は言っていた。
 
魔術の本に載っている悪魔を呼び出す方法とたいして変わらないような難易度で、物理的な常識を覆すことに、多くの人々がかなり動揺はしたが、世界は今の所いつも通りに動いている。
 
魔術なのか科学なのか、そこらへんの境界線や法則が歪んだことが原因なのではないかと思うが、正直誰もよくわかっていないと思う。
 
この世界が仮想現実という、昔からよく言われるような戯言の信憑性が上がったくらいだ。
世界のリアリティはそのまま特に変わっていないので、その世界に住んでいる私たちも特に変わらない。
 
透明人間が昔フィクションで出てくる時は、たいてい人間の悪い部分や欲望がフォーカスされることが多かった。しかし、実際にこの世界で透明人間になった人々によってわかりやすい罪が犯されたという話は未だ聞いていない。誰も気づいていないだけかもしれないし、罪を犯すような人間は透明になれないという、筋斗雲的な法則があるのかもしれない。
 
悪いことをしない(できない?)となると、透明人間になる意味は何かあるのかというと、身近なことでいうと匿名性の心地よさ、というのがあるようだ。
 
透明になることで、存在は知覚されるが「透明人間」とうラベルを貼られることで個という認識が行われないのが良いと、透明になれた人々が複数人言っている。
 
動物として、異質なものは逆に注目を浴びるのではないかと初めは思われていたが、人間がもともと視覚からの情報を世界の認識の多くに使っていることからか、いざ存在を目の当たりにしても存在を知覚はすれど、興味を強く抱くことは少ないようだ。
 
言い換えれば、視覚的にだけではなく、存在的にもかなり「透明」になることができるとう。
 
逆に人間以外の動物や、視覚を持たない人々からは、普通の人間と同じように知覚されるらしい。
 
透明人間になるということ。
いざなってみると、自分も周囲もそのことに関して興味を強く持てないという事実が、この現象が単に物理的な話ではなく魔術やスピリチュアル的な要素を際立たせている。
 
仏教的な解脱の一つの方法ではないかと考える人もいる。
世界に存在することへのウェイトがかなり少なくなる、ということは、生物として持つ種の保存欲求も薄くなり、先祖や子孫とのつながりが限りなく薄くなる。
 
カルマ、というとスピリチュアルに考える人も多いが、その生物史的なものからへの離脱という点では、透明になるということは間違いなく解脱に近いと考えられる。
 
 

私が隣の男の存在に気づいてからおおよそ30分、男はほとんど動きもせず俯いたまま。
バナナジュースもさきほどから減っていない。
 
このまま会計をすることなく、たとえば閉店まで居座ったとしても、従業員は特に気にせず、下手すれば会計も行わず機械的に飲み物を片付け、机を清掃するであろう。
 
もはやそれは幽霊への対応と変わらず、透明になるとは幽霊になることと同一では、と考えてしまう。
 
幽霊といえば、多くの人が想像するのが生者に対して害をなすものというものだろうが、実際にはそのイメージは怨霊と呼ぶべきもので、本当の幽霊というのは透明人間のことなのかもしれない。
 
透明になるということは、緩慢な自殺とも呼べるだろう。
一般的な自殺と異なるのは、インパクトや苦痛が少ないということと、緩やかに消滅するということ。
 
初め見た時よりもなんだかさらに薄くなったような気もする隣の男に、私の興味も薄れてきた気がする。
透明人間自体についての関心が薄れ、私は持っていた本を再度読み始める。
 
帰りにスーパーマーケットに寄って、晩御飯の食材を買わないといけない。
人間は毎日食事をしないといけなくて面倒だなと思いながら、ひとつの噂話を思い出した。
 
透明人間に興味を割くと、自身も少し透明になれる。
 
感染、と呼ぶには少し瑞々しいイメージが想起され、なんとなく私は安堵を覚えた。


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