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おなじなのにひとつにはなれない



「おばけ、出なかったよ。」と、私が言って、たばこの煙越しに彼が笑った。

最後に会った十八歳の彼から、目の前にいる彼は三年分歳を取っている。髪がすこし伸びて髭なんか生やして、ずっと儚く、やさしく見えた。


きれいで澄みきっているもの、うつくしく輝いているもの、清く正しいもの。それらはすべて私たちにはそぐわない。曇り空、生暖かい空気、あいまいな逃げ道。積み重なった呪いを解く術を知らずに、逃げ続けている。



あの日、東京は私たちを薄めて、安心させて解放した。
濃過ぎる人口密度、気持ちと気持ちが擦れる温度でそこらじゅうがちいさく燃えている。少しずつ熱くなる街の端、段ボールが積み上がった部屋で、二晩、夢を見た。冷たい床に段ボールを敷いて、薄いグレーのシーツのなかに丸まって、社会的責任を捨て切れない己を呪い、彼はまだ若過ぎる数字を呪っていた。

「どうする、逃げる?」
「逃げよう。」

逃げ切れないと知りながら手を取った。明後日には玄関から彼を追い出すし、そうしたら彼は制服に付いたしわを気にしながら、電車に乗って帰って行く。


おなじシャンプーの匂いの髪を絡ませ合い、背中の皮膚とおなかの皮膚をくっつけながら手相をなぞって、ほくろの数を数え合った。私は四十六個、彼は三十二個。くっつけばくっつくほど、ひとつにはなれないと理解する。彼が好きだと言った私の脚、透けて見えるほどうすい彼の耳、ほとんどおなじ色の白い皮膚。

たばこをくわえて差し出す彼のほうに顔を傾けて、たばこを押し付ければ火が移る。ひとつだった火がふたつに分かれて燃える。開いた窓からとろとろと流れ込む夜の気配が部屋を満たして、この夜こそ現実だ、と思いそうになる。出会ったばかりの頃、私の喫うたばこが好きだと言っていた。

「半分喫ったら、親指と人差し指で挟むように持ちかえるでしょ、そこが好き。」
「そうやって私を呪わないでよ。」


ぼんやりとした視界で彼の体温を感じながら、雨の音を聞いた。黒から白に生まれ変わろうとする空が、灰色で力尽きて泣いている。

私はもう、逃げたくなっていた。際限なく積み重なる呪いから。
グレーのシーツから這い出して、二日ぶりに彼から私を引き剥がす。私のからだが存在していて、臓器が問題なく動いていることが信じられなかった。

「傘、玄関のやつ、あげる。」
「遠いところで一人で暮らすなんて、おばけでるよ。仕事、行かなくていいよ。」

そうだね、おばけでるね、と言って、制服ごと抱きしめた。
彼が思うよりずっと強い私が嫌だった。




「逃げる?」

髭の伸びた彼の隣、東京の空を覆う深い灰色に紛れて歩いた。追ってくるものは何もなくても、灰色の煙を吐き出して、時々うしろを振り返ってあいまいに逃げた。段ボールが積み重なった部屋で、グレーのシーツが入った段ボールを探す彼のまるい背中を見て、私は泣いた。

「おばけでた?」と彼が言って、私はもっと、泣いた。

たばこの火を分ける。ひとつだった赤い火がふたつになる。二人分の煙が、夜の気配に溶けていく。


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