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実は転職活動をしていた時期がある。今こう書いているということは、現在は現職のまま。

一体何がどうしてどうなったか。自分の気持ちを整理するためにも、当時を振り返ってみようかと思う。

40手前の葛藤

今の会社に入ってから12年目。博士課程を終了してからの入社なので、39歳になる。

このくらいの年齢ともなると、自分が管理職に就くかどうかを意識せざるを得ない。現に同世代はちらほらと役職に就き始めている。

自分自身はというと、自由気ままに思った仕事を続けられたら、と思っていた。ただ、自分の実績が認められたという何かは欲しい。その何かが管理職になるということであれば受け入れるべきだろう。

はっきり言ってこれまでの社会人生活は惨めなものだ。入社時こそ同期の中でも等級が高かったものの、年功序列感もあり、今ではほぼ同一等級。

仕事をしても仕事をしても報われない。そんな思いもあった。

確実に仕事のスキルを上げたい。そして、管理職に就くというのであれば、いずれは技術者目線でビジネスを開拓していきたい。そう思うようになっていった。

来る日も来る日も、一心不乱に働いた。だが、期待の現れなのか、上長からの当たりは特に厳しかった。ちょっとしたミスでも厳しく指摘された。

「これじゃあ仕事を任せられない」「君とは考えが合わない」「いまいち噛み合わない」

上から下へは、決して言ってはいけないことではないだろうか。しかもそれを23時を回ってから言われたりもして。

そう思いつつも、どうにか自分の中で処理し、耐えた。途中鬱病にもなった。それでも喰らい付いていってたつもりであった。

突然すぎる交通事故

どうにも最近眠気が強い。寝ても寝てもずっと眠い。今年の初め頃からそれが気になっていた。

とある2月の月曜日。前の日は日曜だったので、夜21時には寝て仕事に備えていた。

が、車に乗ってからしばらくして、視界がぐらつく。異常なまでの眠気が朝一から襲ってきた。

何とか騙し騙し運転を続けていたが、意識が途切れ途切れだ。でも、もうあと5分もすれば会社に着く。

使い続けた気力も途切れたのか、気づいた頃には大きく反対車線へと飛び出していた。大きな衝撃の後、全ての景色が止まった。

とりあえず動けそうだ。意識もはっきりしている。

そういえば相手の車は。最悪の事態もよぎったが、大きく弾け飛ばされながらもドライバーの意識ははっきりとしていた。

とにもかくにもできることをしなければ。保険会社や会社、家族への連絡を済ませ、警察との会話も済ます。病院へと足を運び、きちんと被害者にも謝罪をした。

幸い相手も打撲程度で済んだようで、こちらの誠意も受け取ってくれたようだ。

車は、とてもじゃないが乗れそうにもないくらい。見事なまでに大破してしまっていた。

明日からは会社へ、電車で通わなければならない。片道2時間前後の通勤生活が始まった。今までの倍時間がかかるが、それでも仕事をこなすという意識で満たされていた。

コツコツと続けてきた仕事も、ようやく報われる兆しが見えてきたところであったし。頭をフル回転させ、どうにか時間を有効活用させて業務に取り組もうとした。

だが数日後、部署のメンバー数名が呼ばれた。そこで伝えられたのは、自分が担当業務から外れるという通知であった。

不惑の手前に

突然すぎる発表。しかも自分以外にも誰かがいるという状況。どうしても担当業務を続けたかったのだが、抗議すらできないまま受け入れざるを得なかった。

煮え切らない思いを抱えたまま、ただただ時間を費やして会社に通う毎日。自分は何のために会社に向かっているのだろう。そもそも、自分は何者なのだ。

自分の体調を気遣った上での措置だったのだろうが、心には十分すぎるくらいに堪えた。

今の自分は誰にも受け入れられていない。でも、きっと自分はできる人間なはずだ。博士号だって取った。そういえば、博士号がまるで生きていないな。

10年勤め上げた会社を離れようと決断するのに、そこまで時間はかからなかった。

これまで転職サイトには登録していたし、オファーが来て面接を受けにいったこともあった。でも、自分から動くのはこれが初めて。

そしてこれが最後になるだろうとも思った。40の手前で、家族もいる。これ以上歳をとってから職を変えると、より自由度がなくなるような気がしたからだ。

フリーライターとしての道を選ぶことも考えたが、今の実績ではとてもじゃないが生活できない。いずれはなりたいという野望は持ちつつ、本業を確保するのが最良だという結論に達した。

少しでも自分の能力が活きると思える企業を選ぶ。まるで救いの手を探し求めるような気持ちでサイトを閲覧し、ひたすら「応募」のボタンを押す日々が始まった。

甘くない現実

実は周囲に転職をしたという人は少なくない。彼らの話を聞くと、そこまで時間をかけずに決まったという印象があった。ならば自分にもできるはずだ。

活動を始めてからまだ数日と経たないうちにエージェントから連絡が入った。転職活動の動機、希望する職種、会社に入ってからしたいことなどを事細かに聞かれ、私もそれに自分の思いを乗せて答えた。

2週間程度であっただろうか。とある有名な企業が興味を示しているとの連絡が入った。2つ返事で面接を受けることにした。

その企業で働いたこともある人を知っていたので連絡を取り、社風などをヒアリングした。想像以上に自分を活かしてくれるような環境だ。

入念に準備を整えて望んだが、結果は不合格。エージェントの話では、評価自体は高かったものの、悩んだ結果別の候補者を選んだとのことであった。

最初の面接で評価も上々。本命の企業はまだ残っている。そう考えれば幸先は良いようの思えた。

けれどそこからは連戦連敗。日程調整や長時間にも及ぶ移動に疲れたこともあって、ダメージは増幅された。

そして、本命と考えていた企業からも、ついに不採用の通知が届いた。自分自身を全否定されたような気になり、急激に気分が落ち込んだ。そしてそれが体調にも影響を及ぼし、通知があってから2日間会社に行くことができなかった。

疑問

転職活動で2日。体調を崩して2日。4日連続で会社を休めば、さすがに会社も異変に気付く。

出社してすぐ、上長に休んだことを詫びに行った。温厚なはずの上長の顔はみるみる曇り、別室に呼ばれた。

出社するはずだった2日間は重要な仕事を任されていたということもあり、何とも気まずい空気に包まれた。思い口を開いた上長からは、

「この2日は何としても会社に来るべきだったよね?」「体調を整えるとか努力はしたの?」

と言われた。

私は鬱病だ。体調不良が予期できるのであればこんなに苦労することなどない。何か寒気のようなものが走った。

「何かおかしなことをしているんじゃないの?」

どうやら、転職活動していると感づいたようだ。

だが、それが正解であっても不正解であっても、答えは「ノー」に決まっていた。今それを正直に答えるわけにはいかない。

それに、「おかしなこと」って何だ。会社に魅力を感じなくなった。自分自身レベルアップをしたい。それが叶わないと思ったから転職活動をしているというのに。おかしいのはそっちじゃないか。

会社を離れたい思いが、より一層強くなった。

希望の光

相変わらずの連敗続きで心も体も、そしてお金も尽きようとしていた。そんなある日、「緊急案件」という連絡が届いた。

とある企業が人材を募集している。早い時期に、しかも特定のエージェントにしか声をかけていないというのだ。

情報を集めるうちに、自分のやりたいこともできて、しかも家族に迷惑をかけずに済みそうだということが分かってきた。捨てる神あれば拾う神ありだ。

千才一遇のチャンス。これを逃してはいけない。

エージェントとも密に連絡を取り合った。少しガツガツした感はあったが話が早く、こちらの要望にも適切に応えてくれた。

その甲斐あってか、事はとんとん拍子に進んだ。簡易的な面談を済ませ、別日に本面談。きちんと話を聞いてくれたし、こちらも確実に自分の希望を伝えることができた。

こうして、無事に最終面接に進むことが決まった。

晴れのち暗雲

最終面接の日程調整は、意外にも難航した。様々な部門の人間に触れてもらい、自分の会社を分かってもらった上で入社してほしいという思いがあるようで、メンバー全員の日程を合わせるのが簡単ではないのだそうだ。

こちらもいつでもOKという訳ではない。この日は業務都合で、この日は通院でといった具合に自分の予定をエージェントにインプットしていった。

通院という言葉に、エージェントが反応した。

「病院に行かれているんですね。大変なんですか?差し支えなければお聞きしてもよろしいですか?」

と聞かれたので、素直に心療内科へ通っていることを伝えた。さしたる問題ではないと考えたからだ。

その後も相変わらず日程調整に苦労していたが、何とか都合をつけ、最終面接を済ませた。手応えもある。後は待つだけ。

数日後、エージェントから思いもよらない報せが届く。

「先方の人事の方が、簡単な電話面接をしたいと言っています」

エージェントが私が病気を抱えていることを話し、であれば事前にヒアリングしておこうとなったのだそうだ。

私の許可なく話したことに少し違和感を覚えたが、エージェントの「選考には関係ないはずなので」という言葉を信じることにした。

そして土砂降り

2〜3日後には嬉しい報せが届くはずだった。だが、待てど暮らせど連絡が来ない。

私の病気のことで慎重になっているのだろうか。時間の経過とともに不安は募る一方。

1週間が経過した時点で痺れを切らし、私の方からエージェントに確認の連絡を入れた。2時間後に折り返しの連絡がきたのだが、この時点で何となく分かった気がした。

「ダメでしたか?」

こちらからそう聞くと、もどかしそうな声で「はい」と答えた。そして、私の病気がネックになったことも伝えられた。

「そのことだけが理由ではないのですが」

と繰り返し言われたのだが、あれだけ評価が高かったのに、他に理由などあるのだろうか。「病気のせい」であるとしか考えられない。

質問とも愚痴とも区別がつかない口調でひたすら問い正したが、いつまでたってもすっきりとした回答はない。それに、謝罪もない。

「病気のことをインプットしなければこんなことにはならなかったのではないですか?」

心の内に留めておいた言葉を、ついに発してしまった。それでも「聞いてしまった以上は私も先方に伝えないわけにはいかないかと思いまして」と。

心底自分が嫌になった。自分がエージェントに伝えさえしなければ。自分が病気でさえなければ。

終戦ののち

完全敗北。新たな行き先が決まらぬまま、転職活動を終えた。

もちろん、続けようと思えば続けられたのだが、心底期待した企業から選んでもらうことができなかったということが、1つの区切りであるような気がした。

負け戦からの出戻り。会社に行けば自分しか知らない事実ではあるが、はっきりとそれを自覚していた。

今はというと、部署も変わりやりたいことができるようになってきたところだ。会社にはもはや何も期待していなかったのだが、こんな環境が残っているとは思いもしなかった。

この世に神様はいるのだろうか。いるとすれば、相当ないたずら好きに違いない。

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