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悠然と広がる裾野のように

▼前回の大須賀先生の記事はこちらです。


とってもよい記事です。ぜひご一読を。

一度読んでから、ここに戻ってきてくださったらいいなと思います。



ところで、大須賀先生の記事に使われているトップの画像。おしゃれですね。

noteで使える無料の画像ではない(クレジットがない)。ということは、ちゃんと選んできたんだ。

そういうところにも、心を込めているんだな。




前回の記事で、大須賀は言いました。

「私の医療情報発信はやさしいのだろうか?」

私は、「やさしさ」こそが医療情報発信におけるメインテーマだと思っていて、以前からこの言葉の意味を追い続けています。

「やさしさ」という言葉には色々な意味があると思っています。
「理解しやすさ」「平易」という意味での「やさしさ」。
「心がこもった」「温かい」という意味での「やさしさ」。
色々な意味が含まれる深い言葉だと思っています。

そう、確かに彼は、渋谷ではじめてお目にかかったときも、同じように、「やさしいとはどういうことなのか」を考えていました。



彼はあの頃からぶれていません。そして、今回の往復書簡では、考え続けていた彼が新たに紡いだ言葉を読むことができます。


「何としても治したい」と藁にもすがる思いで治療を探している患者には、この嘘の方がはるかに「やさしい」です。
もし、あなたが「やさしい」医療情報を限りなく追い求めていったとします。出来るだけわかりやすい情報、出来るだけ優しい情報を。

その追求の先にあるのは何でしょうか?

それは嘘であることが多いのです。


私は何度もこのくだりを読みました。

「どこかに隙が無いかなあ、」と思って。

「嘘ではない、強いやさしさ」はないのだろうか、と思って。



いや、もちろん、嘘のないやさしさだって、ありますよ。

けれども、大須賀が言うように、病気や健康を語る上では、嘘をまじえたほうが、より「度の強い」やさしさを簡単に達成できるのです。

比べてしまうと……かなわないかもしれない。



日ごろ、私たち医療者が、頼りにしている情報の源は、

【1】どこかにいる「権威」(エライ人やスゴイ人)が出す情報

です。

大須賀がこの往復書簡の中で用いていた言葉を借りるならば、「政府機関・国際機関が発する情報」こそが、我々のコアですね。

ただし、このコアは、そのままではちょっとやさしさが足りないんですよ。

わかりやすく「ひらく」ことが重要です。専門用語を読み替えたり、絵や図を付け加えたり、文脈を補足したり、Q&Aに答えたりしながら。

専門情報の一般化は、私たち医療者の大事な仕事です。しっかりお仕事としてやることで、だいぶわかりやすく、やさしくなります(趣味でちょろっとやるくらいだと全然ダメ)。


でもね。大須賀の言う通り。

究極のところでは、嘘のやさしさほどやさしくなれない

んだよなあ。

そのことは本当に実感します。



だから……そこで……。

私はTwitterでもうひとつ、違う要素をブレンドするようにしています。

それは、

【2】身近にいる「仲良し(※たまたま医療者)」が中継する情報

です。


先に述べた、【1】どこかにいる「権威」(エライ人やスゴイ人)が出す情報ってのは、結局のところ、遠くにいる第三者が放り投げてくる、外野からのコメントみたいなもので。

どこか、他人事感があるというか。

根本的な親しみやすさが、ハナっから足りてない気はしますよね。


だったら、日ごろから多くの人に親しんでる人が、情報をいったん受け止めて、中継して、「わかりみ」「それな」を付加したらどうなるだろうか。


情報の本質は特に変わってはいないんですよ。

でも、「やさしそうな人から伝わった情報」は、やさしいと思えるんじゃないかなあ。


私は、途中からこのことを意識し、自覚して振る舞うようになりました。


「ふだん、ワクチンを2倍にしたらワクワクチンチンって言ってるヤンデルがここぞとばかりにまじめにRTした厚生労働省のツイートだ、きっと重要な情報なんだろう!」



そしてこれが、一種の「嘘」にならないかってのは、ずっと悩んでいます。



困って、パニックになって、さまよって、気持ちが小さく、視野が狭くなっている人に、「やさしい嘘」を仕掛ける人たちと。

親しみを増すことで、偏って、ゆがんで、盲信すらしてしまうような人たちに、「そのうち読んでねとリンクだけを渡す」ような、医療情報の伝え方。



なんかなー。

なんだかなーって、いつも思っています。

もっと、圧倒的に、裾野の広い、安心の総量が多い、本当にやさしい医療情報を行き渡らせる方法はないのかな。