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怪談市場 第六十九話

『社員寮』

同級生の弟、ケンジ君(仮名)の体験談。
彼は専門学校を卒業して、都内の自動車部品メーカーに就職した。
会社には社員寮があったため、入社にともない入居手続きを取った。
欲しいバイクがあったから、家賃を節約して給料を少しでも貯金に回そうという考えだ。
社員寮は二人一部屋。同室者はやはり新入社員のモトキ君。ケンジ君同様バイク好き、遊び好き、女好きで、会ったその日から打ち解けた。
いろいろと面倒なこともあったが、それなりに充実した社員寮生活を楽しんで、半年ほど過ぎた秋の夜の出来事。

その日、ケンジ君は風邪気味だった。軽い頭痛と微熱。会社を休むほどではなかったが、同僚たちからの飲みの誘いは辞退した。みんなと飲みに繰り出す同室者のモトキ君と別れ、ケンジ君は独り寮へ戻る。部屋でコンビニ弁当をかき込むと、シャワーも浴びずにベッドへもぐり込んだ。二段ベッドの上段がケンジ君、下段がモトキ君の寝床だ。
どのぐらい眠っただろうか。
ドアの開閉音に眠りから引き戻された。飲みに行ったモトキ君が帰って来たらしい。蛍光灯は消え、豆球が灯るだけの部屋は暗い。それでも起きたばかりの眼には、室内を目視するにじゅうぶんな明るさだった。
寝ているケンジ君を気遣ってか、モトキ君は照明のスイッチに手を伸ばさず、薄闇の中を入室する。でも、なにか変だ。眼を凝らす。人影は二つだった。
モトキ君のすぐ背後、若い女がついてくる。
(なんだよ、あいつ飲み行ってナンパして女引っかけてきたのかよ!)
内心で呆れるケンジ君。早めに横になったおかげか頭痛は去り、熱も下がったようだ。だが翌日も仕事なので、朝までぐっすり寝て体を休めたい。
(なんで社員寮へ女連れてくるかな。ラブホ行けよ。頼むから静かにしてくれよな……)
願いが届いたわけではないだろうが、二人は異様に静かだった。ひそひそ話しすらしない。
モトキ君は皮ジャンを脱ぐと、なぜか所定のハンガーラックに吊るさず、隣に置かれたカラーボックスへ苦労して掛けた。かなり酔っているらしい。モトキ君は泥酔すると珍妙な行動を取ることがあると、ケンジ君は半年の共同生活で学習していた。だがカラーボックスに皮ジャンを着せる奇行は初めて目にする。凄く怒り肩の後ろ姿みたいで、少し面白かった。笑いをかみ殺すケンジ君だったが、女は無表情のまま立ちつくし、モトキ君の行動に冷ややかな視線を向けている。
思い通りに皮ジャンを処理して満足したか、モトキ君は千鳥足で二段ベッドへ歩み寄ると、ケンジ君の視界から消えた。着替えもせずに自分の寝床へもぐりこんだらしい。
連れて来た女は、部屋の入口で立ちつくしたまま動かない。
(ひでえな……連れて来た女、放置かよ)
同情しながらも、女の外見に違和感を覚える。十月も半ばを過ぎ、夜は皮ジャンをはおっても震えるほどの冷え込みである。なのに、その女はノースリーブのワンピース姿なのだ。コートの類を手にしている様子もない。
(こりゃ普通じゃねーぞ)
ケンジ君はようやく異変を察知した。
と、ケンジ君の視線に気づいたか、女は首だけ妙な角度に捻じ曲げて、二段ベッドの上段に目を向ける。
視線が合った。
途端、女は直立不動の姿勢を維持したまま弧を描くように「スッ!」と宙を滑り、一瞬にしてケンジ君に覆いかぶさると至近距離から顔を覗き込んできた。
ケンジ君は気を失った。

翌朝、眼を覚ましたケンジ君は大きく溜め息をついて、声に出さず呟いた。
(嫌な夢みたなぁ……)
たとえ夢だと分かっていても、鼻の頭が触れそうな距離で覗き込んだ女の無表情が、眼に焼き付いて離れない。枕元の時計を見るとまだ6時前。起床の時間には早いが起きることにした。夕方から横臥したままたったので腰が痛い。上半身を起こし、何気なく部屋を見下ろしたケンジ君。その眼が、カラーボックスに釘付けとなる。無理矢理皮ジャンを着せた、怒り肩の後ろ姿。
「夢じゃなかった……」
ケンジ君は二段ベッドを飛び降りると、下の段で寝ているモトキ君を叩き起こし、問い質す。二日酔いの寝ぼけ眼ながらも、彼はしっかりと質問に答えてくれた。
「昨夜はナンパもしてないし、まして女なんか連れてきちゃいないさ」
やはり昨夜の女は、この世の者ではなかった。ケンジ君はその週のうちにアパートを探し、寮を出た。あの女が、まだその辺をうろついている気がして仕方ない。欲しかったバイクは、あきらめた。
それからもケンジ君は、アパートからその自動車部品メーカーへ三年ほど通った。その間、寮でモトキ君と同室となる社員が目まぐるしく変わった。病気になったり怪我をしたり、交通死亡事故の加害者になったり失踪したり。ケンジ君が確認できただけで四人もの社員が会社を、そして寮を去って行った。
あの晩、モトキ君についてきた、この世のモノではない女は、いまだに寮内をうろついて、社員たちに恐怖を与え続けているのだろうか。
だがその元凶となったモトキ君は、毎朝元気いっぱい出社し、毎晩飲み会をエンジョイしている。
「それが一番、納得いかないんですよねぇ……」
そうボヤいて、ケンジ君はしきりに首を傾げた。

#怪談

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