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ドラゴンボールスーパーヒーロー〜悟飯の変身演出という芸術と敵の不在〜

シナリオより演出、画の力に振り切った作品だった。悟飯好きにはたまらない作品。
あらすじ:レッドリボン軍のDr.ゲロの孫、Dr.ヘドが、レッドリボン軍トップのマゼンタにそそのかされて人造人間セルを超える人造人間を作り、悟飯とピッコロたちと闘う話。
解説:レッドリボン軍、ピッコロ大魔王という設定を持ってきたのが見事。
悟飯とピッコロが主人公だと、Z以前の無印のドラゴンボール好き(50代以降)にとって興味ないもなになりがちなところを、冒頭いきなり子どもの頃の悟空の回想シーンを入れることでターゲットを広げている。セル編の回想シーンは自分の世代ど真ん中だから号泣した。
作画はアラレちゃん的な日常的なタッチなのでシリアスさがなく、前回のブロリーとは違うことを示している。
とにかく絵が綺麗で、二次元なのに三次元、立体的なのに驚く。
正義のヒーローはレッドリボン軍、悪の枢軸はカプセルコーポレーション側、という風にヒーローとヴィランが逆転してるのが面白い。今の時代敵を作ることが難しい中、フリーザ=核兵器、セル=悟空撃退用兵器、ブウ=己を写す鏡(倒すべきものではない)と、敵が矮小化していく中、今回はサイヤ人=宇宙人=悪というフェイクニュースによる風評被害により対決に持っていくあたりが賢い。
家族論としても、前回ブロリーは三者三様の血の繋がった父子像を描写したが、今回はピッコロ・悟飯、ピッコロ・パン、悟空・ブロリーと、血の繋がりのない師弟関係を描き、擬似家族論になっているのが面白い。
悟空、ベジータは戦わないが、シーンとして入れておくことで観客の満足度は下げないよにしており、ベジータの、ムダのない動きが大事で戦闘力を鍛えるだけがトレーニングではない、というセリフも伏線になっていて素晴らしい。
結局映画としては、セルゲーム=悟飯を怒らせるゲームであったように、今回も悟飯がキレるところが最大の見せ場だが、それをピッコロのセリフも相まって露骨に確信犯的に描写している。
セルマックスとピッコロの闘いで両者左腕が無くなるのは、未来トランクス編の悟飯およびセル編の悟飯の左腕が無くなる・負傷することのオマージュになっている演出が粋。
悟飯が覚醒するときの、ピッコロを写した悟飯の目のアップから頭に赤い線がよぎり、アップからのヒキ、そして足元から徐々にアングルが上がっていき銀髪と赤い目を写す演出は、本当に神がかっている。
悟飯は身勝手の極意になったのか?については、おそらく目が赤いのと純粋なサイヤ人ではなくアルティメット悟飯以降独自の進化を遂げる方向性への示唆、悟空とはもう師弟関係ではないことの表明から、身勝手の極意ではない別の何かであると推測できる。
道着からも、今回ピッコロの道着を着ていることや、最後の必殺技も、かめはめ波でも何でもいいから打て!と言われてからの、あの技を出すあたり、完全にピッコロ派であることを演出している。
悟空は一度も敵を殺したことがない、を持論にしているが、今回悟飯は露骨にセルマックスを殺したことから、やはり悟飯は敵を殺しても悟空は敵を殺さないことは確信できる。
評論:Dr.ヘドとは何か?それは、俺ら観客自身を表している。死なない身体、お菓子を食べながら戦況を見守る、ヒーローになりたい願望、それらは全て劇場に足を運んでいる観客そのものの姿だ。そして、ヘド=我々が生み出したセルマックスとは何か?セルとは過去の細胞や記憶の集合体である。つまり、我々がドラゴンボールを思い、またドラゴンボールを見たいなぁと過去も含め妄想し出来上がった過去の我々の欲望の産物なのだ。それが暴走し、今回の映画が出来た。
我々自身そして、我々が生み出した欲望そのものが今回の映画である。素晴らしい。

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