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エルピスの定義する正義

エルピス
正義についての再定義がされていて面白かった
あらすじは、冤罪事件を追ううちに巨大な権力にぶつかり権力に抗うという話。
主人公の岸本はテレビ局に勤める金持ちボンボン息子のADで、最初とあることで脅しを受け泣く泣く冤罪事件を追うことになり、キャスターの浅川を巻き込み真実を追うことになる。
そこで真犯人の存在を突き止めるが、テレビ局へ権力の圧力がかかり、証拠があっても真犯人逮捕に至らず…という展開。

主人公は途中から正義に目覚め、真実の究明に燃えるが、自分の信念を貫く=自分を中心に考えることが正義とは限らないことに直面する。
相方の浅川は、真実の究明という正義も持ちながら、もっと大事な利害関係者の生活を優先するという、最大多数の最大幸福を優先し、主人公とぶつかる。
この、正義=個人の信念=真実の追求という主人公と、正義=会社や利害関係者の生活の保守=最大多数の最大幸福という浅川の正義の定義の違いでぶつかるあたりが面白い。
最近シン・仮面ライダーを見て、全然正義のアップデートができておらず、ヒーローモノでは正義を扱えないのか、と諦め気味だったが、民放ドラマが正義のアップデートを模索していることに感嘆した。
さらに面白いのは、主人公側の正義の追求は、所詮毎日生活のために死に物狂いで働く必要のない、金持ちのボンボン息子だからこそできる貴族の道楽である、と突きつけられるシーン。
個人の信念を貫く正義なんて、金持ちの暇つぶしなのだ、と。
これは完全に機動戦士ガンダム閃光のハサウェイにおける正義の定義と同義で、ガンダムレベルまで議論できているのが凄い。
現代において、正義は個々の持つ単なる価値観の一つであり、それを身勝手に追求することはエゴであり周りの迷惑に他ならないのだと。

他に面白かったのは、ご飯だ。
主人公も浅川も、ご飯を食べるシーン、しかもそのご飯が手作りで健全なものであるほど活き活きしており、逆に何も食べられず嘔吐したりインスタントなご飯を食べている時は何かに悩んで挫折している時なのだ。
このあたりは平成初期仮面ライダーシリーズにも、アンナチュラルというドラマでも使われていた手法だ。

そしてエンディングの映像も面白い。
浅川が料理番組でケーキを作り、ケーキを焼いて黒焦げで失敗し、それを見ている視聴者が市販のケーキを食べる、というもの。
これは、ケーキの個々の具材=情報はそのまま摂取すれば食べられる=情報処理できるのに、調理する=テレビ局が手を加えてしまうと失敗する=捏造した情報になったり情報として届けられないものになってしまうという比喩になっていると思う。

正義の追求、ご飯の使い方、エンディングの演出と意図含め、久しぶりに面白いドラマだった。

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