美濃加茂市長汚職事件の真実 21

少し更新遅れてしまいました。
仮に楽しみにしていて下さる奇特な方がいらっしゃいましたらすみませんでした。
言い訳はTwitterの方にでもしておきます(笑)


取り調べと同時進行で、「もうひとつのセカイ線」裁判に向けての準備は着々と進んでいた。
毎日のように郷原弁護士から連絡があり、時間が許す限り打ち合わせをした。
正直この間自分の仕事も儘ならない事もあったが、藤井を守るために全てを犠牲にした。

郷原弁護士は私の「ど素人プラン」を受け入れる柔軟性はあったが、やはり「エリートヤメ検」らしく、どうしても「プロフェッショナルな弁護士感」が抜けきらない所があった。

先の「95000円」の件もそれ。
「裁判的に誤魔化せば良い」という考えが強すぎる為一般的には腑に落ちない部分も多かった。
私的には「これが後で致命傷にならないといいけど」と思うことも多々あったが、そこはプロに任せることがベターと考えた。

そして何故か裁判の打ち合わせの時に藤井が同席したり、直接連絡が来ることもなかった。

もうこの時点で私から逃げていたのだろう。

郷原弁護士は極力
「タカミネの知恵は借りるが、タカミネの手柄にしたくない」
というのが見え見えだった。

それは藤井に対して「全て自分がやっている」というアピールなのか、それとも単純なプライドなのかはわからないが、その辺りの歪さが少し懸念材料でもあった。

その一つが郷原弁護士の作った「陳述書」だ。
私は
「全然法廷に立ちますよ」
と言っていたが
「直接話すと何があるかわからないから陳述書の方がいい」
と無理矢理作成した。

内容は郷原弁護士の殆どが作文で全く「臨場感」のないものだった。
私が藤井を信じ、肩入れしているようなお粗末な内容で、読んだ人は「ウソくさいな」と感じる代物。

この事件の私の立ち位置のポイントは
「どちら側でもない、ただ席を外したかどうかを『ファクト』で語るだけの証人」
である事に意味があるのに、郷原弁護士の「陳述書」は私をただの「藤井応援団」に引きずり下ろすものだった。

結果後に私が出廷することになった事からもこの陳述書は何の意味も持たず、せっかくの私の証言も随分と薄れたものになってしまった。

そして「95000円」の件。
この証言が二転三転した件が後から大きな意味を持ってくるのだが、それらは
「郷原弁護士のプライド」
が生んだミスだった。

このプライドというものは厄介なものだ。
私は
「プライドがないのがプライド」
になっている。
ここまで来るのには随分長い道のりでもあった。

実際若い頃はプライドが高く、それを守るため、嘘や暴力的な言動も多かった。
好きなミュージシャンの歌で
「傷つきやすいが決して壊れないプライドがある」
という歌詞を聴き
「自分のプライドももう守らずしても壊れないのではないか?」
と守ることをやめさらけ出せるようになった。

そうなれば簡単で
「いくら傷付いても自分の為になるならばそちらを選ぶ」
事ができるようになる。
結果
「つまらないプライドより、実のあるものを選択する」
事になる。

ここで間違えて欲しくないのは
「プライドが必要ない訳ではない」
ということ。

当然若く対処法がわからない時は守ってでも維持すべきものだし、決して譲ってはいけない場面もある。
その場面場面で必要なプライドを保ち行動する事はとても大切で、それがない人間はその場では必要ない人間になってしまう。
傷付いて壊れてしまうようなプライドは最初から必要ないし、それでも自分の中に残るものを磨きさらけ出すことが「自尊心」であり、他人に左右されない自分になる。


と、ここまで読んで
「何を上から目線で・・」
と感じた人はいないだろうか?
実はそれはとても危険な思考だ。

「上から目線で腹が立つ」
とはよく聞く言葉だが、その殆どはその発言をしている人間が
「下から目線」
である事が多い。

私は人に対し「上から目線だな」と感じたことはなく、この時の郷原弁護士の対応も
「法律の知識や経験は明らかに上だけど、今ここでひけらかすものじゃないだろ。そういうレベルの低い議論をしてるんじゃないんだけどな」

さあここで出てきた私の
「レベルの低い」
という言葉にも過剰に反応する人がいると思う。
「やっぱり上から目線じゃん」と。

皆さんは「レベル」という言葉の意味を本当に理解しているだろうか?

ここで過去にどこかで書いた私のコラムを紹介する。

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コラム「レベルが違う」

よく「レベルが違う」ということを言うが、その「レベル」という意味をわかっているのだろうか?

殆どの人がレベルというと「上、下」で考えがちだが、それは大間違い。

レベルの違いとは「上、下」ではなく「抽象度が違う」という意味だ。

同じ犬の話をしていても、「動物全般」と「うちの可愛いポチ」では話は噛み合うわけがない。

そのまま議論をしているので当然議論は噛み合わない。

犬だけをとっても抽象度が違えば「生き物」「動物」「犬」トイプードル」「うちの可愛いポチ」もっと多くの概念がある。

「うちの可愛いポチ」が「生き物」であることには間違いはないし、「犬」が「動物」であることも間違いではない。

しかし「生き物」が全て「うちの可愛いポチ」ではない。

相手の話している「レベル(抽象度)」を理解しないと「ゴキブリを殺した」事実が「生き物を殺した」と表現され、「うちの可愛いポチが殺された」と受け止めてしまう。

相手レベルを理解し、相手のレベルに合わせた話をする事が議論であり、それこそが新たな哲学を産み出す。

「レベルが違う」と言われ腹が立つのは「自分の方が下」という「下から目線」であり、「レベルが違う」と言って相手を揶揄するのは「無知な上から目線」である。

人生全てにおいてこの「レベル(抽象度)の違い」を理解する事がとても大切である。


って釈迦は言いたかったんだと思う。

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ということだ。
ここで行われた郷原弁護士のプライドは
「藤井の裁判を無罪に導く」
という「抽象度のセカイ」では少しレベルが低かった。
また私の「素人考えの裁判プラン」はその意味ではレベルが高かった。

法曹界で言えば当然郷原弁護士の方がレベルが高いのだが、
「藤井を無罪に導くという抽象度」
の中では、私の素人考えの方がレベルが高い。

このように人生では物差しが大きく変わる事がある。
その都度物差しを持ち替えること、さらには多くの「客観視できる物差し」を持つ事がとても大切で、その結果
「上から目線で嫌だなぁ」
という感情はなくなり
「この人レベルの違うことを言っていて愚かだなぁ」
となる。

なぜこんな話をするのか?
また「有料記事への序章」と思った人もいると思うが、それは「レベルが違う」(笑)

ここでの郷原弁護士のレベルの違いに苛立つことなく、冷静に対処できた私の哲学的思考が「一審無罪判決」に導いたことだ。
正直「誰のおかげで裁判に期待が持ててると思うんだ」や「なんで俺の言う通りにやれない?そのせいで全て無駄になるだろう」と相当な苛立ちは多かった。

さらに言えば藤井から礼のひとつ、謝罪のひとつもない状態で、自分の仕事やプライベートを犠牲にして毎日過ごす事への不満もあった。

しかしここでの抽象度は「藤井を無罪に導くこと」であった為、私は自分の感情やプライドを捨てそのためだけに粛々と行動した。

そしてその「藤井を無罪へ導くこと」は「藤井の為」という安いものではなく「最年少総理になる」という「約束、目標」に向かったものであり、その抽象度には郷原弁護士はおろか、

『私や藤井の感情すらも必要のない「やるべきこと」』

が存在していた。

この辺りを是非読者の人には理解の上読んで欲しい。
それはきっと今後読まれた方に降りかかるであろう事例にも大きく役立つ思考であり、「有罪率99.9%」を覆した「実績のある思考」である事にも信頼を持っていただけるものだと思う。

で、それを踏まえて郷原弁護士のミスの話。

この話は裏どりもできていなく、その内容が表に出ると郷原弁護士の弁護士資格に関わりかねない事なので慎重に言葉を選ぶ事にする。
その為「少しわかりづらい」と感じる人もいるだろうが、もし気になる人がいればいつもの通りDMなどで問い合わせて貰えば「私が聞いた話」として答えることはできる。

結果的に私は郷原弁護士の思惑に反して、裁判に証人として出廷する事になった。
その同日にもう1人の証人が出廷した。

20万円が渡された居酒屋の店長だ。
本来なら「ただそこに居た」だけの存在である店長が、なぜ「裁判の証人」になったのか。

私が聞いた話では郷原弁護士がその店長に「藤井に有利になる証言をしてほしい」と依頼したらしい。
正しくはわからないが少なくともその店長は「犯罪者を守れと依頼され腹が立った」と言っていた。
正に「勇足」だ。いや「蛇足」かもしれない。

放っておけば「ただそこに居た人」なのに、おかしな感情を芽生えさせたせいで「裁判で発言する証人」になってしまった。
それも「マイナス証人」に。

やはり証人には「嘘をつくメリット」がない事から、いくらおかしな感情が芽生えた状態であってもその証言はひとつの材料になり得る。

わざわざこのような敵を作った郷原弁護士の失敗は大きかった。
またその手法は今後もおおごとに成りかねない手法でその火種は今も残ったままだ。(ここに関しては一方的な話しか聞いていないのでもしそれが事実ならという事になる)

なぜこのようなミスが起きたのか。

やはり自分のプライドから「タカミネ頼りは嫌だ、自らも手柄を立てたい」という感情が芽生え、そのような「蛇足」を描いてしまったのだと思う。

実際は「ただそこに居た人」であった事と、その直後行われた「タカミネヒロシ裁判ショー」によってかき消された為、事なきを得たが、郷原弁護士の取った行動は今も火種として消えていないことは付け加えておく。

次回は「いよいよ裁判」に行くつもりだがそれはあくまで「予定は未定」

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