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コロナショックの影で。非正規という日本の「闇」

「派遣切り」「雇い止め」「契約解除」何年も昔に聞いたような単語が、最近のニュースにも並ぶようになりました。このコロナショックと呼ばれる経済の混乱のなかで、多くの非正規雇用者が被害を受けています。

私自身、幼い頃に父が失業し、家族5人で10年近くを、父のアルバイトの給料で過ごしました。大変厳しい生活でしたが、それすらも失っている家族が今、多くいるのだと思うと、とても他人事とは思えないのです。

でも、他人事でないのは私たちみんなも同じはずです。非正規雇用は私たちの4割を占めており、日本社会に大変大きな影響を与えているからです。今、この記事を見てくださっている方が正社員であれ、非正社員であれ、フリーランスであれ学生であれ、主婦であれ、みなさん自身に大変大きな影響を与えているのです。

では、非正規雇用とはそもそも何でしょうか?なぜそれは問題になるのでしょうか?私たちにはどんな影響があるのでしょうか? 今一度、非正規問題に注目してみましょう。すると、近年の日本が抱える、大きな大きな闇が見えてくるのです。そしてそれは、私たちが今後どのような社会を築いて行かねばならないのか、その道標にもなるでしょう。

非正規雇用とは何か

「そもそも、非正規雇用って何?」という疑問の声も実は少なくありません。辞典を開くと「正規雇用ではない雇用形態のこと」というよくわからない説明が頻繁に登場しますが、簡単に説明すると「期間を決めて採用される雇用の形」というのが正確な表現かと思います。

正規雇用の場合は基本的に雇用期間は設定されません。雇用されたら、基本的には、会社がつぶれるか、転職などで自分から会社を辞めない限りは雇用され続けることが可能です。
よって「正規雇用ではない雇用形態」すなわち非正規雇用とは、雇用期間が定められている雇用形態という意味であり、期間が過ぎれば雇用は終了するのです。この非正規雇用の代表例としては

・パート、アルバイト →短時間勤務の臨時雇用。
・派遣社員 →派遣元会社から他の企業に派遣されて勤務する社員。
・契約社員 →企業と直接に雇用期間を契約して勤務する社員。

などがあります。
(※よく聞く「日雇い労働」とは、これらのうち雇用期間を1日間に限定するものを差します。)

非正規雇用の本音と建前

当初、非正規雇用はサービス業でのアルバイトを除けば、高度な技能を要する職種などに限られていました。例えば、通訳という職種は、特定の会社にとって常に必要な職種とは限りません。「これから、インドの会社と数ヵ月間の交渉をするんだけど、通訳をその間だけ雇いたい。」というニーズがあったすれば、派遣社員として、通訳派遣会社からヒンディー語のできる通訳さんを数ヵ月間の契約で派遣してもらうという使われかたをしていたわけです。他にも、一定時期に需要の集中する職種においては、季節労働者としての非正規雇用が認められていました。このように、非正規雇用は当初、会社のピンチヒッターとしての役割を担っていたのです。

実は世界各国でも非正規雇用という雇用形態は一般的なわけですが、多くの国では正規雇用よりも非正規雇用の方が平均的な時給は上回っています。これは非正規雇用が会社のピンチヒッターとして、欠かせない役割を担っているからなんです。しかし、日本では独特な変化を遂げます。

最大の転機は、自民党政権に大きな影響力を持つ経団連(当時は日経連)が1995年に「新時代の『日本的経営』」というレポートを発表したことでした。このレポートでは、これまでの長期蓄積能力型の働き方(正規雇用)だけでなく、柔軟で流動的な働き方(非正規雇用)を拡大し、これらを分けて考えることで業務の効率化を図るべきだということが主張されたのです。しかし、そこには「バブル崩壊後の不況の中で、コストの7割を占める人件費を抑制することで利益を増やそう。」という本音が隠されていました。高度な職種に限らず、非正規雇用を大幅に拡大することで、企業の負担する人件費を抑制しようとしたのです。その「手口」を説明しましょう。

なぜ正規と非正規で賃金に差がつくのか

実は、正規雇用でも非正規雇用でも、若いうちは賃金に差はありません。 

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「人間としての能力差があるから賃金差があるんだ」という差別的な発言をされる方が多くいますが、そうであれば、若いうちには正規と非正規で既に大きな賃金差がついていないと十分には説明がつきません。もちろん、生まれ持った能力差もある程度の影響を与えていることは否定できないわけですが、あまり重要な要素ではないでしょう。
その後、正規では年々賃金が上昇する一方、非正規では賃金が上がりません。同じ企業に勤め続けることを前提にしている正社員には能力開発の機会が与えられたり、徐々に重要な職務を任せられたり、昇進制度がある一方、非正規は雇用期間を過ぎれば会社を去ってしまうので、決められた事をやってもらうだけであり、徐々に地位や経験に差がついてしまう。というのがその理由とされています。 結果、正規と非正規で平均的な賃金に大きな差が生じるのです。その結果、様々な不都合が生じるわけですが、何はともあれ、企業は、非正規の割合を増やせば、人件費を大幅に削減することができます。

さて、経団連のレポート発表の前後から、非正規雇用の規制は小泉政権や安部政権などで次々と緩和・自由化され、日本の非正規雇用は世界各国とは異なる形態へと変化して行きました。企業は社員のうちの非正規雇用の割合を高め、安い労働力の供給源として利用しました。さらには、景気の良い時は契約を更新して非正規を雇い続け、「もともと期限付きだから」と、景気の悪いときは契約を更新せずに手放す。解雇しやすい非正規は、いわば雇用の調整弁としての役割をも付与されたのです。 

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現在では、非正規雇用は、全労働者の半数弱に達しています。非正規雇用者が家計を支えているという世帯も珍しくはなくなりました。「本当は正規で働きたいのに非正規でしか雇ってもらえない」という「不本意非正規」は260万人(2018年)にのぼり、30代から50代男性では非正規雇用者の半数が不本意非正規です。それだけではなく「自分は高卒だから非正規しか無理だろう」などと、正規雇用を諦めているか、それ以外の選択肢が念頭に無いなどの「隠れ不本意非正規」が大変多くいることも指摘されています。
そして、この非正規雇用という働き方と、その拡大は、非正規雇用で働く人と私たちの社会に、大きな影を落としているのです。

非正規雇用が豊かな人生を破壊する

非正規雇用で働く場合、多くの困難に直面します。そしてそれは、人生設計をも狂わせるのです。

① 賃金が低いまま

まずもって賃金が正規と比べてあまりにも少ない。それだけで大きな困難を非正規雇用者に与えます。具体的には、時給換算で正規雇用が2500円なのに対して、非正規雇用は1200円(厚労省)と、正規雇用の半分以下にとどまります。年収ベースでも正規男性で平均548万円に対して非正規男性は229万円、女性では377万円に対して158万円と、それぞれ大きな差があるのです。

そして、賃金が年々上がる正規に対して非正規は上がりません。結婚や出産、子育て、老後の蓄えなどのために徐々に必要なお金が増える人生に、正規雇用は対応できますが、非正規雇用は対応できないのです。こうした賃金の低水準固定も非正規雇用の問題のひとつです。

さらには「非正規への固定」という問題もあります。正規雇用への転換率は1割を下回っており、不本意非正規でも2割程度です。一度、非正規雇用になれば、そこから正規へと転換するのは現状でも困難なのです。
それだけではありません。雇用保険加入率でも正規と非正規とでは開きがあります。雇用保険に加入できなければ、解雇されて失業しても失業手当が支給されず、再起不能に陥るなどの深刻な事態が生じてしまいます。

② 結婚・子育てができない

非正規雇用では結婚が難しくなるという現実もあります。例えば、男性就業者では、30代の未婚率は正規雇用で30.7%なのに対して非正規雇用では75.6%にのぼります。また、40代でも15.1%に対して45.7%と、3倍以上の差があるのです。これには賃金差や賃金の低水準固定も大きく影響しているでしょうし、いつ職を失うかわからないという非正規雇用の不安定さも原因として指摘されています。

また、育児休業制度についても、非正規雇用では利用することが難しくなっています。育児休業制度取得条件として政府が指定している「同一の事業主に引き続き1年以上雇用されていること」「子が1歳6か月に達する日までに、労働契約の期間が満了することが明らかでないこと」などの条件が、非正規雇用では越えられないほど高いハードルとなるからです。実際に、非正規・女性のうち、育児休業を取得できたのは22.8%(2015年)と、正規・女性の71.7%の、3分の1にも満たないのです。

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③ 老後が不安定になる

正規雇用者と非正規雇用者とでは、老後の安定にも大きな差が生まれます。例えば、非正規雇用者の多くは国民年金しか将来の支給対象になりません、正規では国民年金に加えて厚生年金も支給されます。さらには正規雇用者に企業独自の年金を加えて支給する企業もあり、差はさらに大きくなります。国民年金の支給額は多くて最大月6万円程度と、生活保護受給額を下回る程度のものであり、これだけでは老後の生活は難しいものになります。また、低賃金から年金保険料を払えず、無年金となる例も多く報告されています。
また、平均1000万円にものぼる退職金も基本的には正規雇用者のみに支給する企業がほとんどであり、非正規雇用者は受け取れません。
このように、非正規雇用では老後の安定にも大きな支障が生じうるのです。

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非正規雇用の問題は私たちの問題でもある

こうした非正規雇用の問題は、私たちの社会を悪化させ、私たちにも被害を与えます。
例えば、賃金の低い人を多く生み出してしまえば、個人消費の落ち込みによって経済を構造的に冷え込ませます。日本の実質GDPの成長は、バブル崩壊以降、明らかに各国と遅れをとっています。その大きな原因として、非正規雇用の拡大に伴う、実質賃金の低迷が挙げられているのです。

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また、結婚や子育ての難しい人を増やしてしまえば、少子高齢化が加速してしまいます。非正規雇用は20代から30代の若い世代を中心に拡大しており、事態はより深刻と言えます。加えて、育児休業を取れない非正規雇用者が保育所を利用して働き続けることが待機児童問題の原因としても指摘されています。

それだけではありません。老後に十分な余力の無い非正規拡大後の世代が今後、老後を迎えれば、生活保護に頼らねば生きていけない人が多く生じるでしょうし、経験や技能の蓄積されにくい非正規雇用が多ければ、社会的資本の形成がなされず、全体の労働生産性を下げ、経済を低迷させてしまうのです。

そう、非正規雇用の問題は決して他人事ではありません。この非正規雇用の拡大こそが、経済の低迷や社会保障のパンク、少子高齢化など、この国の「国難」とまで呼ばれるような社会問題の大きな大きな原因のひとつでもあるのです。

よく、非正規雇用者の窮状を訴えた時に「自分で非正規を選んだんじゃないか」という反論が投げかけられることがあります。しかしどうでしょう、非正規を拡大してきたのは政府や企業ですし、正規になりたいのに不本意で非正規になっている方も多くいる。大学に行けずに非正規でしか雇ってくれなかった人も多くいますし、何より、どんなにそれが自己責任であっても、私たちにとっても問題となる以上は解決した方が良いわけです。

求められる対応

では、非正規雇用を禁止するのかというと、それは得策ではないでしょう。学生や、長時間の勤務ができない高齢者、あるいは高度な技能を有する方など、非正規雇用と親和性をもつ方も多くいらっしゃいます。自由化しすぎた部分をある程度規制し直すことは必要になるでしょうが、踏み込んだ規制は経済やライフスタイルへの影響があまりに大きくなってしまうのです。

非正規の問題はどこから生じているのか、その本質を分析すると、

1、「賃金がいつまでも上がらない結果、徐々に賃金差が生じてしまうこと」
2、「正規を望んでも転換が難しいこと」
3、「社会保険など各種制度の待遇に差が生じていること」

の概ね3つに集約することができます。そこで、これらに対処する策を打てば、非正規雇用を禁止せずとも問題を解消することができるはずです。

1の問題については、OJT(企業内トレーニング)の実施支援や、ハローワークなどを仲介した職業訓練の実施などによって、非正規雇用者が技能や経験を積む機会を設けることによって解決可能でしょう。スウェーデンなどでは、職業訓練が大きな効果をあげています。

また、最低賃金の引き上げなどによって正規と非正規の賃金差を解消するという案もあります。確かに、唐突に大幅な引き上げを行えば、年率20%にも迫る最低賃金の大幅引き上げを行った韓国のように、経済へ多少の混乱をきたす恐れがあります。しかし、5年で1500円まで引き上げ、10年で2000円に引き上げるなど、漸進的な引き上げを行えば、日本ほどの経済基盤をもつ国では大きな混乱にはならないはずです。産業構造の転換を進める可能性もあり、選択肢のひとつとして検討に値します。

2つ目の問題については、実は1つ目の解決方針で解決可能です。なぜ正規雇用ではなくて非正規雇用として雇用するのかというアンケートに、ほとんどの企業は「求める能力との違い」をあげており、能力向上を行えば、企業にとって、正規雇用で採用しても良いようになるからです。もちろん、アンケートの回答は「建前」であり、正規転換を阻んでいる合理的な理由などなくて、ただ企業側が人件費を抑制したいだけかもしれません。その場合には能力向上策だけではなく、さらなる規制等が必要になるかもしれません。

3つ目の問題については制度の対象を拡大する必要があります。厚生年金については適用拡大の議論が進んでいますが、その他の制度についても非正規雇用への拡大が求められます。特に雇用保険については、再起不能に陥る状況を回避するために、早急な適用拡大が求められます。各種の社会保険から育休に至るまで、制度の適用や利用に正規と非正規でそれぞれなぜ差が生じているのか、ハードルは何であるのかを今一度分析する必要があるでしょう。

おわりに

コロナショックと呼ばれるこの混乱のなかで、非正規雇用者が大きな犠牲を被っています。これまで確認してきたように、非正規雇用者はこのような経済の混乱のなかで、真っ先に犠牲になる存在であり、その後の支援も薄いのです。そして、そこにはバブル崩壊後の日本が抱える「闇」が隠されています。今こそ、ここに光を当てなければなりません。弱体化した社会では、コロナ後の復興もままならなくなってしまいますし、何より、非正規雇用の問題は私たちの問題でもあるのです。

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