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エリザベート感想

※エリザベートの純然たるネタバレ感想です

恥ずかしながら今年初めてエリザベートを観た

名作として名高い東宝ミュージカル「エリザベート」。小池修一郎先生による演出が大ヒットを呼び宝塚バージョン、東宝ミュージカルと各登場人物のスター的な人気も目立っているけども。
情報として知っていてもこれまでちゃんと観たことはなく、アバウトな情報とミュージカル好きたちのカラオケでとFNS歌謡祭でやたら耳にする名曲「闇が広がる」しか知らんかった。

ミュージカル好きなら観とかなきゃいけないよな、あと私の好みの波動を感じるとずっと思っていたし
2.5次元舞台「A3!」沼に突き落とした立石俊樹さん張本人がルドルフ役で抜擢されたという事実が私の背中をぐいぐいに押してきたので今年やっとみることが出来た。(舞台「A3!」、とてもいいです。)

結論、めちゃくちゃ好みのミュージカルだったのだ。

全編通してまさに愛と死の輪廻、それぞれの目的と相手に求めるものの違いで人間関係がドッロドロのぐっちゃぐちゃになった劇。こういうのだーいすき。
好きなものは共依存クソデカ感情。栄養栄養。

ということで完全にハマったし配信も買ったので好きな部分をあっちこっち飛びながら己の解釈で語っておきたいと思います。

リプライズとパート分けが秀逸

本作が名作と言われる一つの所以はリプライズの巧妙さだろう。
エリザベートと彼女の夫、フランツとのデュエット「夜のボート」のリプライズ、パートの変更はなんとも秀逸だ。

互いを愛す気持ちで重なりあっていたはずの2人の心は、晩年のリプライズでは絶妙にすれ違っていくことが表現される。

2幕で描かれる青年ルドルフ周りの一連の流れが嫌いな人はいないと思うのだけど、このあたりのMの流れが本当にすごいと思う。
「闇が広がる」のリプライズはもちろん、「ミルク」では民衆の昂りを、「エーヤン(正式名称わからん)」ではエリザベートの栄光の姿にこがれ、追いかけるルドルフが表現される。

「闇が広がる」は最初トートが上ハモでルドルフが下なんですね。配信見返しててやっと気づいた。
トート主導からルドルフが煽られてその気になり、彼が前へ前へと立つようになるところが表現されているのかな。

本当にずっとリプライズしているしこういう意味づけがいくらでもできるところもまたエリザベートの魅力だと思う。

トートはかわいい

突然だがトート閣下、とても可愛くない?
それを語るにはまずエリザベートがかっこいい、ということに触れなくてはいけないのだけども。

彼女の軸として定められているのはやはり「私の人生は私のもの」「私の命は私に委ねる」という彼女自身の意思と力で動いていくことだろう。
自由でありたいと願う彼女の生き様の力強さは己の意思決定で生きていくことが幸せの一つとなった現代、とても響くものがある。

ただ多分こういう面がすごくフィットするようになった分トートの存在意義がすごーくギリギリのバランスで保たれるようになっていると思う。
気を抜くとすごく間抜けに見えちゃうというか。

きっと描き方や持っていき方によっては結局全てトートの手の上でした、という描き方もできるのかもしれないけどエリザベートが生き抜いた人生を強く描いている分トートの支配感はとても薄いものになってきているのでは。
その分その他のちょっとした動作でトートが操り、支配していることを示唆していくことでトートの力の強さというものは表されてバランスがとられているのかな。

エリザベートとトートの力関係の逆転(エリザベート>トート)が描かれることでトートの死の帝王としての虚しさも強調されていてとてもいいなと思う。
でもラスMのエリザベートの「私は私の命委ねる 私だけに」に割り込んでくる「俺だけに」はちゃうやろがいと思っちゃう。可愛いけど。

でも私はこれまでFNS切り取りトートとか知らなかったから激つよ魔王様と思っていたトートって、実はとても純粋な存在なのでは。
子ルドルフとトートのMを観てもトートが力を持った強者でありながらも人間を愛し、理解していく彼が最も純粋な存在として描かれることが「エリザベート」の真髄だったりするのかもしれない。

子ルドルフは勇気を試すために子猫を撃ったことをさりげなくMの中で告白する。当時の価値観の問題でもあるんだろうけど自分の欲のために生物は簡単に命を奪う行動を取れてしまうし、自由に生きたいと願っても自由には生きられない。ママに会いたいというだけの幼い子供の願いは叶えられない。
人間とは、つくづくぐちゃぐちゃな感情の中で生きる生き物だ。
トートの行動動機は「エリザベートに愛されたい」だし。初恋だもんな。そりゃ可愛くて当たり前だわ。

ルキーニの存在もまた

トートを初めとして人気のキャラクターが多い本作だが、その中の1人がルキーニだろう。
語り部であり、エリザベートを刺した張本人の彼がいなくては物語は始まらない。

1回目、観劇した時彼に対する私の感想は「よくわからん、確かにかっこいいけども」だった。なんでミルクMで民衆を煽るのか、トートを崇拝しているかのように描かれるのか、彼の目的とはなんなのか。
終始残忍な笑みを浮かべながら物語を飄々と語り、観客にとって都合のいいように動かされる彼。
トートがミルクMを指導する方が納得できそうとすら思っていたのだけど(宝塚バージョンはトートがミルクMなんですね)。

一つ腑に落ちたのは彼の代表的なソロM「キッシュ」だ。
「紛い物」「見せかけ」「ハリボテ」のような意味。多分。
彼はエリザベートについて彼女の存在は「キッシュ」だと言い放つ。

聞きたいことと違うだろう 真実なんてそんなもんさ

そんな彼はエリザベート暗殺の動機を物語の冒頭から、いやもっと前から問われ続けていた。
「死に愛されたからだ」と語り続けた彼は、最後の最後でようやく彼の真髄に触れられるような動機を語る。

「偉そうなやつなら誰でもよかった」

この言葉が真実なのか、虚構なのかは解釈によるものだろう。
一つ、このセリフを聞いて思ったことはルキーニの存在≒キッシュだということだ。
魅力的に物語の語り部として存在し、彼自身もまたトートに魅せられエリザベートを死へと導く。

それはあくまでも私たちが望む姿であって、真実なんて実は「偉そうなやつなら誰でもよかった」なんてそんな理由なのかもしれない。
彼の存在もまた「キッシュ」でしかないのだ。

白と黒、そして水色

思いついたままに書いているから順序も何もない、エリザベートはあと衣装もめちゃくちゃいいですよね。
白と黒がとても効果的に使われている。

最初の純粋な少女時代のシシィは真っ白なワンピース。
白い美しい汚れなき存在だった彼女は彼女の存在が最も美しく、力強くなったとき一幕の最後では真っ白なボリュームある美しいドレスを纏う。

二幕では徐々その身にまとう衣装に黒が織り込まれていく。
ハンガリー訪問では上半身に僅かに黒が織り込まれる。
精神病院を訪れる際には全身グレーのドレス、逃避行ではさらに黒の濃度が増していく。
そしてルドルフの死後、真っ黒なドレスに身を包むようになる。
彼女が少しずつ自由を奪われていくように、黒が徐々に彼女を侵食していく。
序盤のトートが黒い衣装を纏っていることも考えると死に侵食されていくとも捉えられるのだろうか。

最期、真っ白な衣装で死を迎える彼らを見るとそれはあくまでもミスリードな気がするけれど。

エリザベートの夫、フランツは皇太子としての立場に圧迫されるときは水色の衣装。
エリザベートと出会い、彼が初めて自分の意思で彼女との結婚決定したときは黒がほのかに組み込まれているものの唯一の白い衣装だ。彼もまた黒に侵食されていく。姑ゾフィーは最初から真っ黒いドレスだし。立場に縛り付けられている様子とも言えるのかな。

そう考えると皇太子ルドルフは子供時代からすでに水色の衣装で死を迎える際にようやく白い衣装を身に纏える。
彼が心から解放されることはなかったし、逆に皇太子という立場以上に成長することもなかったとも言えてしまうのだろうか。

死は救済か

そんな様々なメッセージを含むエリザベートにおいて重要なテーマの一つが「死」だろう。
主人公として描かれるエリザベート女王は幼い頃死を間近に体験した時、死の帝王トート閣下に愛され常に死に取り憑かれているかのような運命を辿る。
娘、息子の死、そして自身の最期。

「死」そのものであるトートは自分を愛せ、とことあるごとにエリザベートに語りかけてくる。
希死念慮とも捉えられる彼の存在をエリザベートは突き放し続けるが、最期には彼を愛し、受け入れる。とても晴れ晴れとした顔で。

私が今回エリザベートで感動したのは「死」が単なる救済に見えなかったことだ。
ルドルフの自死のシーン、エリザベートの最期。
配信によって詳細に見ることができた彼らの最期の表情は晴れやかな顔ともいえ(演者の解釈によっても違うとは思う、立石ルドルフは死の間際のほっと気が抜けたような笑みが印象的だった)、「皇太子」「皇后」といった立場の重責、生きる苦しみから解放されたようにも見えてしまう。

そう、つまり捉え方によっては「死」をとても素敵なもの、希望と捉えることも可能なミュージカルだと思うのだ。
でも、エリザベートの生き方はそうは教えてくれなかった。

ラスMのエリザベートの歌詞が私はとても好きだ。

「泣いた 笑った 挫け求めた 虚しい戦い敗れた日もある
   それでも私は命委ねる 私だけに」

死は救いかもしれない。
それでも命を自分に委ね、理想との違いに苦しみ、逃避し、正しい戦いばかりではなくとも彼女は自分の意志で生き抜いた。
そしてその生き方を美しいと私たちに思わせてくれた。

ルドルフの死後、一度エリザベートは「死なせて」とトートに懇願する。
しかし、トートはそれを「まだ私を愛していない」と突き放す。
「死を望む」こと=「死を愛す」ことではないのだ。

死は救いかもしれない。時に目の前の現実から逃げてもいい。
それでも生きなくてはならない。生きてこそ選び、戦っていけるのだと彼女が教えてくれた。
「生」を愛すことこそ、「死」を愛すことなのかもしれない。

最後に

ただただ書きたい感想を連ねるとこんなにいろんな方向へ行くんだな反省。
ライターの人たちがテーマを設けて書いているのはこういうことか、と。
配信買って見返してみて、見れば見るほど色々な感想が出てくるし私の感想もまだまだ浅いものなんだろうなと思います。
とにかくいろんな解釈ができてとても楽しいミュージカルでした。好!
今度はS席ちゃんととってみたい!倍率!!

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