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旅は散歩の先にある (徳島宿プロジェクト)

先日、建築事務所と宿改装工事に関する請負契約書を交わした。
最近はハンコを押すということも無く、オンラインで名前を入力して終わりといった感じ、まあ時代と言えば時代なのだが、儀式感が無いのが少し寂しい気もした。

ようやく工事が始まるのかと思う反面、とっ散らかったまま整理できていない宿の有り様というのか、いろんなアイデアをそろそろ整理する必要に迫られてきた。
次々と自由にアイデアを出すという作業は楽しいけれど、ちゃんと整合性を持たせ整理するという作業はなかなか大変で、重い腰が上がらないというのが本音。

そんな気分を変えたいと、何となく散歩に出かけてみた。

まずは倉庫を出て、隣の造船所跡でネコ探索。
みんな出払っている様だったので、そのまま目の前の海岸へ。

倉庫前に広がる無人の海岸

砂浜に続く猫の足跡らしきものを何となく辿って進む。
ふと視線を感じ見上げると、行く先にはカラスたちの群れ。眼光鋭くコチラを睨み付けている。こちらも負けじとガンを飛ばすと、甲高い声を発し飛び立っていった

小鳴門海峡の端っこ、向こうに外洋が見える

散歩のいいところは、目的が無いということ。

その時々で目に入るもの、興味をそそられるものに導かれるのが正しい散歩。
細い路地になるほど何故かウキウキするし、だから行き止まりになっても腹も立たない。細い路地が、違う路地に繋がっていたりすると、妙に嬉しかったりもする。

私が路地に惹かれるのは、猫率が高いから。
実際この日も、とある路地で地べたに2匹、ブロック塀に5匹、合計7匹の猫を一度に発見。嬉しい反面、変な緊張を持ち込んで「ゴメン」といった気持ちにもなる。
路地には路地に相応しい空気があり、よそ者には通らせて頂いてますという謙虚な気持ちが必要となるのだ。

路地猫たち

路地を抜けると、鳥居があった。
そういえばこの神社、津波があった際の避難場所に指定されていたような・・・。
鳥居をくぐるとすぐに山の中へと続く急な階段が現れた。
木が生い茂り、不気味なムードも漂ってはいたが、避難場所ということもあり、登って確かめておくことにした。かなり急なので慎重に一歩ずつ進む。
その先にあったのは、木々に覆われたせいぜい20名ぐらいがなんとか避難できそうな狭い平地。かなり年季の入った狛犬と小さな本殿が鎮座していた。

正直、少し気味が悪かったのでサッサと降りようと振り返ると、茂った木々の間からキラキラと輝く小鳴門海峡が見え、思いがけずテンションが上がった。
しばし、この心なごむ風景に浸る・・・。

神社の境内から観た小鳴門海峡

考えてみると、こうした小さな発見や喜びこそが、実は旅の醍醐味だったりする。

いい感じの旅というのは、散歩をしているような気分の延長線上にある。
私が作る宿も、そんな気分を味わう旅人の安らげる受け皿になれるといいな。

思いがけず、なんか頭の整理ができたような・・・
ムダだと思う時間や行動の中にこそ、大切なものがある。
これは、コロナ禍で見つけた真理かもしれない。

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