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令和4年9月11日神州正氣の会 杉本延博先生講演「皇紀2700年に向けて」

今月の大阪護國神社、神州正氣の会の講演は御所市議会議長の杉本延博先生でした。​

杉本先生は昨年も一日会で著書『国家社会主義とは何か 「街頭新聞」の思想を読む』の延長線で西光万吉先生をはじめとする戦前の国家社会主義、農本主義による昭和維新と戦後の新右翼の行動、そして資本主義超克の思想と手段を論じておられた。

また、大夢祭五十周年の記念シンポジウムでも昭和維新と資本主義の問題を語っていました。

その杉本先生の本日の演題は「皇紀2700年に向けて」、会を挙げて紀元2700年奉祝活動へ邁進する神州正氣の会に相応しいテーマです。

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まずは、仁徳天皇陵問題=不敬な「世界遺産」騒動=大阪維新の会による電飾設置計画や、考古学界の発掘要望に触れて、私達は御陵に一歩も手を触れさせてはならないとの決意を新たにした。

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・「令和」の元号公表問題→践祚前の「事前公表」

最初の元号「大化」より247回の改元を数える。改元のルールには3パターンがあり、「践祚」「瑞兆(慶事)」「天変地異(凶事)」によって改元されてきたが、明治の御代より一世一元の制となった。

しかし、一貫して天皇による元号制定権、官位授与権は犯されることはなかった。

ところが、故安倍晋三政権は「国民生活の利便性」など諸々の理由をつけて、譲位による践祚(5月1日)以前の4月1日に「事前公表」を行った。

これは室町幕府すらしなかった大権干犯であり、これを糺さずしては「誤った日本」で皇紀二千七百年を迎えてしまう。

・2700年まで18年しかない!

皇紀2700年まで18年、人口減少と地方の衰退、消滅していく「郷土」。本来の日本らしさは「田舎」「郷土」にこそ残っている。これを如何にして守っていくか。

今の現状のまま、憲法改正しても、アメリカの属国にしかならない。昭和45年の三島義挙は戦後体制打倒への決起であった。続く昭和52年の野村秋介先生による経団連襲撃事件は資本主義の矛盾に一撃を加えるものであった。

今の対米従属、新自由主義に堕した自民党による改憲では日本は独立国にはなれない。

また、自然への侵食、乱開発も資本主義の暴走であり、これを矯正しなければならない。

その為のヒントは歴代天皇の御詔勅(みことのり)の中にある。

・紀元2600年紀元節に下されし詔書(昭和15年)→神武天皇建国の理想

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紀元節詔書                       朕惟フニ神武天皇惟神ノ大道二遵ヒ一系無窮ノ寶祚ヲ継ギ萬世不易ノ丕基ヲ定メ以天業ヲ經綸シタマヘリ                      歴朝相承ケ上仁愛ノ化ヲ以テ下ニ及ボシ下忠厚ノ俗ヲ以テ上ニ奉ジ君民一體以テ朕ガ世ニ逮ビ茲二紀元二千六百年ヲ迎フ               今ヤ非常ノ世局ニ際シ斯ノ紀元ノ佳節二當ル爾臣民宜シク思ヲ神武天皇ノ創業二馳セ皇國ノ宏遠ニシテ皇謨ノ雄深ナルヲ念ヒ和衷戮力益々國體ノ精華ヲ發揮シ以テ時艱ノ克服ヲ致シ以テ國威ノ昂揚ニ勗メ祖宗ノ神靈ニ對ヘンコトヲ期スベシ        御名御璽       
 詔書の大意は「私が思ふに、神武天皇は惟神の道に遵ひ、万世一系の皇位を継承し、永遠に変はらない国の基礎を定めて、国家統治を行はれた。御歴代の天皇が承けつがれ、天皇は仁愛の徳をもつて民を教へ導かれ、国民は忠孝の良俗をもつて公に奉公し、君と民が一体となつて私の世にいたり、ここに紀元二千六百年を迎へた。この非常時局にあたり、紀元節の喜ばしい日を迎へた。すべての国民よ、宜しく神武天皇の建国創業に思ひをはせ、皇国の理想は遠大であり計画は雄大であつたことを考へ、心から親しみあつて協力し、ますます国体の特徴をあらはし、時局の困難を克服し、そして国威の宣揚に勤しみ、皇祖皇宗の御霊に報ひ奉るやうに心がけてほしい。」である。

明治維新然り、この神武天皇建国の精神に立ち還ることこそ変革の原点でないといけない。

大塩平八郎も以下の通り、決起の檄文で「神武創業の政道に立ち戻る」と訴えている。

都て中興神武帝御政道の通り、寛仁大度の取扱ひ致し、年来蹣奢淫逸の風俗も、一洗に相改め、質素に立戻り四海天思を難有存じ候て、父母妻子を取養ひ、生前の地獄を救ひ、死後の極楽成仏を、眼前に為見遣し、堯舜天照皇太神の時代には復し難けれ共、中興の気象に恢復とて、立戻可申候、

神武創業以来の政道とは国民一人一人が大御宝であるとする他国に類を見ない、王道精神にある。神道には本来経典はなく、自由に自然を愛する精神がある。

ローマ帝国、始皇帝の秦帝国は力による支配、「うしはく」の覇道国家であり、易姓革命によって次々と興亡する運命にあった。

日本は権力による支配に非ず、権威によって治める「しらす」王道国家であった。

・歴代天皇の詔勅(みことのり)から学ぶことの必要性→日本民族思想の根源

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天壌無窮の神勅→日本は天皇国である。

つまり、君民一体の國體の永続を誓う神勅である。

豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みづほ)の國(くに)は、是(これ)、吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たる可(べ)き地(くに)なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)、宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)り無(な)かるべし

稲穂の国、日本は今、減反政策という悪しき農業政策によって、次々と農家が減少し耕作放棄地が増えてしまっている。

ここで、生活に困窮する人達を耕作放棄地に「農業公務員」として雇用することを提案する。

・天神を祀り大孝を申べ給ふの詔→祭政一致たる国体の根源を示す

この詔が大嘗祭の起源である。

・国土讃美の詔→国見(視察)から「秋津洲」の国号が生まれる。

・仁徳天皇 三年の間課役を除き給ふの詔→「民のかまど」政治と聖帝(ひじりのみかど)

・天武天皇 貧民の負債を免じ給ふの詔→民の負担の軽減

世界最大の仁徳天皇陵は民が進んで聖帝(ひじりのみかど)のために御陵造成に尽力した。

「民のかまど」の故事から学ぶべきことは、現代のデフレ政策の問題である。

長く続く失策により、デフレが続き自殺者まで増えてしまっている。今こそ思い切った減税を行うべきである。

今般、朝政一新の時に膺(あた)り、天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆、朕が罪なれば、今日の事、朕、躬(みづか)ら身骨を勞し、心志を苦(くるし)め、艱難(かんなん)の先に立(たち)、古(いにしへ)列祖の盡(つく)させ給ひし蹤(あと)を履(ふ)み、治蹟を勤めてこそ、始(はじめ)て天職を奉じて億兆の君たる所に背(そむ)かざるべし。              億兆安撫国威宣揚の御宸翰

明治天皇の億兆安撫国威宣揚の御宸翰では「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆、朕が罪なれば、」と仰った。これこそ民族派の責務たるべきだ。一人でも苦しむ民がいればこれを救うことこそ臣道である。

・平城天皇 衛士をして左右京の堤溝を修補せしめ給ふの詔→国土強靭化の推奨

民主党政権の時代に「コンクリートから人へ」と言ってインフラ整備の予算を削減した結果、熊本や広島では豪雨による被害が大きくなった。

「わずかな決壊から大きな決壊が起きる」と仰せになった平城天皇に学ぶべきである。国民を守る為に国土強靭化が必要だ。

「勅 水之浸損 積微為害, 属干小決 功在一籄 而無人監修 到此多壊 宜衛門衛士府, 専当左右京講 勤加修補」                       「水害は小さな損壊が積み重なって害を及ぼすのであり、 決壊がわずかなうちならば、少しの労力で修復する事ができる。 今回は小さな壊を見過ごしている間に、大規模な決壊を出来させてしまった。 そこで、衛門府と左右衛士府に左右京の溝を管掌させ、つとめて補修を行わせるようにせよ。」          わが国の「土木事業の空白期」における土木と関係する役職 西山孝樹 藤田龍之https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejhsce/70/1/70_9/_pdf

このように歴代天皇は国家国民を思う詔勅を発せられてきた。

済生会病院も明治天皇による恩賜財団である。

しかし、ここで一番の問題は日本国憲法体制では詔書が渙発されないことである。

・紀元ニ七〇〇年に向けてなすべきこと

・各地で荒廃しつつある「紀元ニ六〇〇年」顕彰碑を守ること。→奈良県だけでも草だらけでどこか分からなくなっていたり、私有地になって入れなくなってしまっている。

余談だが、朝廷に従わなかった所謂「まつろわぬ民」の土蜘蛛の顕彰碑が存在している。それは神武天皇顕彰会が建立したものであった。これぞ寛容の精神を表していると思う。

・飛鳥時代、奈良時代の皇居跡への碑の建立→大正時代の先例では浄財(クラウドファンディング)によって行われた。

・経済問題

今や「神の国」から「カネの国」になってしまった。「お金がある限り自由ではない。」

私有財産制の矯正、資本主義の打破の為に新しい経済システムを考えていく必要がある。

民主社会主義やファシズムのコーポラティズム、ナチス左派のゴットフリート・フェーダーが唱えた「利子奴隷制の打破」、このあたりも良いヒントになるだろう。

・戦後体制打破

紀元2700年には戦後体制を打破し、正常な日本で天皇より勅語を賜われるようにしよう。

その為には、左右の違いを超えて、尊皇・勤皇で一致団結し、天皇を敬愛している者の意見は採用していかないといけない。

以前、神州正氣の会で「新左翼の歴史」について講演したことがあった。

その新左翼の理論家の一人、太田龍は右旋回して縄文文化至上論者になったが、遂に天皇を認めることはなかった。最終的に縄文時代に回帰する左翼は多いが、どうも天皇を認めることに抵抗があるらしい。三島由紀夫が全共闘に呼びかけたように「天皇」という一線を左翼に超えて欲しい。

天皇は国民を、自分自身を映す鏡である。あらゆる国民や思想を包括するものが「スメラミコト」である。

反天皇の思想さえ、包括する。スターリンやヒトラーという鏡には反スターリン主義者や反ヒトラー主義者は映らない。それではいけないのだ。

今から20年ほど前、台湾で李登輝元総統に会った時、「日本を頼みます。」と声を掛けられた。

このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。

この三島由紀夫先生の予言を覆し、本当の意味での日本を取り戻し、紀元2700年を迎えるまであと18年しかない。今日から戦いの始まりです。

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以上、とても熱い訴えでした。

質疑では、著書の『国家社会主義とは何か 「街頭新聞」の思想を読む』の内容である、西光万吉先生の奉還思想をどうやって実現するかという問いがあった。

天智天皇の公地公民制や明治政府の版籍奉還をヒントにしたと推察されるが、残念ながら方法までは踏み込めてはいない。今後の課題だと答えがあった。

「憲法の条件」について問われると、「その国の国体に馴染んでいること。」との答えであった。

また、民族派学生運動を戦った先輩からは、民コロ(民青)とは違い、新左翼とは天皇以外の反米論や経済問題、戦後体制の問題では話が合ったとの回顧の声もあった。





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