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コガネムシの夢

わ、と声が出た。
家庭菜園の土作りをしていると、コガネムシの幼虫を掘り起こしてしまったのだ。

いつもならその辺に捨ててしまうのだが、内側に丸まった姿に、小さな胎児のようだと思った。白い体からオレンジ色の頭部までを、そろりと親指の腹で撫でたけれど、コガネムシの赤子は動かない。
きっとまだ夢を見ている。

近頃娘に、ママのお腹の中にいたときのこと覚えてる?と聞くと、決まって「うん。」というが、どうだった?と聞くと、いつもは常に何か喋っている娘も、この時ばかりはニシシと笑って誤魔化してばかりだ。
もちろん私も胎内記憶なんてものは残っていないにしろ、潜在意識の中に胎児の頃の感触だけは残っている気がする。

嫌なことがあったとき、つらいことがあったとき、浴槽で、布団の中で、膝を抱えて丸まっていると、過去の愛情に包まれているような気持ちになるのだ。

愛とは記憶だと思うときがある。
私の髪を耳に掛けて、そのまま撫でてくれる暖かい手のひらを思い出す。
何年経っても、彼女があのとき私に何と言っていたかどうしても思い出せない。それでもそれは確かに愛だった。
ぎゅっと目を閉じて、愛の感触を思い出そうとするけれど、これ以上はもう潜れない。
悲しいけれど、記憶は薄れていくものでもあるから。

少し考えてから、コガネムシは使っていない植木鉢の中に埋めた。コガネムシを気味悪がっていた娘も、土の表面をトントン、と撫でる。
「ねんね、ねんね、いいこ、いいこ」と言いながら。


ねんね、ねんね。
いいこ、いいこ。


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