あひるさん。

東京の田舎にいる鴨。そのへん泳いでる。

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東京の田舎にいる鴨。そのへん泳いでる。

最近の記事

立夏 '24

下ネタ注意 立夏 5月5日 端午(菖蒲)の節句の日 暑くて。わざわざ買いに行った柏餅も食べる気にならないかなと思ったけれど、冷たい玉露に合わせるととても美味しい。決まった日に決まったものを食べるのは、新しい季節に新しい気持ちを迎えるために必要な儀式だと思う。 オットが突然、オレの珍珍は癌かもしれない。と言い出した。本人は極めて真剣だ。恐る恐る、なぜ..?と聞く。 ほら見て。オレのちん○、いっぱいほくろがある。。。と。 ええ..? ナニを一生懸命左右に絞りながらほく

    • コガネムシの夢

      わ、と声が出た。 家庭菜園の土作りをしていると、コガネムシの幼虫を掘り起こしてしまったのだ。 いつもならその辺に捨ててしまうのだが、内側に丸まった姿に、小さな胎児のようだと思った。白い体からオレンジ色の頭部までを、そろりと親指の腹で撫でたけれど、コガネムシの赤子は動かない。 きっとまだ夢を見ている。 近頃娘に、ママのお腹の中にいたときのこと覚えてる?と聞くと、決まって「うん。」というが、どうだった?と聞くと、いつもは常に何か喋っている娘も、この時ばかりはニシシと笑って誤魔

      • 此芽は何の草と知れるなり

        満員電車に乗って神田に通っていた頃は、ただただ東京という街に飼われた魚のようだった。 Applewatchで改札を通り抜ける。ノイズキャンセリングのイヤホンを装着する。AIが管理する空調の効いた部屋で仕事をする。行動も体調も全てスマホが管理する。 毎日が目まぐるしく過ぎていく。皿洗いも洗濯も床掃除も全て家電に任せてしまう。気がつけば娘は走れるようになり、ジャンプも出来るようになっていた。 そんな生活の中では肌に触れる空気の温度や、スターバックスのビバレッジでしか季節を感じ取

        • 花筏はどこへゆく / 花より団子の和菓子レポ

          世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし _在原業平 まだ寒い。 暑さ寒さも彼岸まで、とは言うけれど、まだ全然寒い。 おまけに今年は桜の開花が遅れている。おそらく3月過ぎに雪が降ったせいもあるとは思うが、桜を待つ気持ちはやはり落ち着かない。 在原業平は桜の花が咲いては散ることに人々を一喜一憂させるさまを、寧ろ世の中に桜の花がなければ人は落ち着いていられるのに、と歌っているが、あまりにも美しいものというのは、心をざわつかせるものだ。 今年はどうしても見

          ふりかけの配色

          娘と風呂に入って1時間が経過している。 娘の体に合わせて半身浴くらいになっているので、のぼせることはないと思うが、彼女は風呂で遊ぶのが好きなのでいつも長くなってしまう。 もうずっと、コップで風呂の湯を掬って、風呂桶に貯め、一杯になった風呂桶をひっくり返して風呂に戻す、という遊びというより作業のようななにかを続けている。 ずっと立って謎作業をして、身体が冷えるとしゃがんで暖まる。これはこれで見ていて何故か面白い。 彼女が立ち上がる度に、肌が水を弾いて玉のような水滴が流れる。

          ふりかけの配色

          桃始笑 '24

          咲く、ということを昔の人は笑う、と言ったらしい。 朝、目が覚めてXを開くと、ある女性からメッセージが届いていた。桃の花はまだ見れないが、花を眺めるような気持ちでメッセージを読んだ。スワイプする指先から花びらがこぼれるようなときめきを感じた。 梅の花の見頃が終わりはじめ、桜の蕾に世間の期待も膨らみ始めている。春の煌めきに似合いの桜の木はもちろん好きだが、寒い間の透き通った空気に両腕を広げる梅の木も大好きだった。 花の兄よ、一番に咲くあなたは今年も美しかった。来年も楽しませて

          啓蟄 ‘24

          過去の傷はなかなか癒えることはない。癒えたとしても跡になってそこに残っている。 癒えてないものにはどんなに目を背けても触れてしまう。 無意識のうちに瘡蓋を剥がしてそのかたちを確かめようとしている。 その痛みに顔を曇らせて、こんな傷は忘れてしまおうと何度も自分に言い聞かせている。 逃げても逃げても、過去はいつも私の足首を掴もうとしている。 昔、理不尽と皺寄せの掃き溜めみたいな場所で働いていた。 掃き溜めを整理するのに、自分を守ることに精一杯で何も見えていなかった。 ある

          雨と水仙

          水仙ほど冷たい雨が似合う花は無いと思う。 この時期は、本当に暦と天気がぴったり合って驚くことが多い。 今日から二十四節気のうちの『雨水』。 最近は近隣トラブルに耐えかね鬱蒼とした日々を送っていた。 自分の心身の疲弊とは対照的な立春の陽光は、まるで、私を励ましているように感じる日もあれば、辛く感じることもあった。 そんな中、今日の雨は、この窓ガラスを打つ雨音は、私の渇きを潤してくれる。 目を閉じて、2月の雨音に浸かりながら、少しずつ沈んでいく。 心の中の小さな薄暗い部屋で

          立春大吉

          2月6日 雲に覆われた太陽が白く光っている。 自然のレフ板に照らされた、すっかり雪化粧をした街並みには独特の明るさがあり、雪かきをする手を止めて丘の上の住宅街からその見慣れぬ景色を眺めていた。 ご近所の紅梅の枝にも雪が積もり、まるで日本画のよう。 年に一度の大雪に街の人たちも興奮が隠しきれないようで、知ってる人から知らない人まで1日で10人ほどと立ち話をした。 保育園まで娘を送る道中、私が雪道に四苦八苦する様子に、和かに話しかけてくれた老夫婦がいた。 最後に、『お母さん

          大寒 ’24

          ストーブの筒が青色から赤色へかわってゆくのを眺めていた。 どんな季節であろうと、昼間の生き物たちが寝静まり、月がのぼり夜になるうちに、時間の密度が濃くなり、すこし特別な時間へと変わっていく。私は夜が好きだ。 大寒の夜。 冴え渡る月夜の下、足元の底冷えするような寒さを味わいながら、指先から伝わる温かさに瞼を閉じると、安堵のため息が出た。 ** この間、xの相互さんが、東京出張から大阪への帰宅の新幹線で、関ヶ原付近の大雪で足止めを食らって帰れないと呟いていた。 雪が年に一

          雪下出麦 ‘24

          『おかあしゃ、こえ、たびたぁい』 最初に娘が指さしたのは紛れもない大トロであった。 私と夫は黙って小さな指の差す方向を見ている。 元旦の昼。正月特番の音だけが響いている12畳のリビングは、かえってとても静かなように感じられた。 刺身を食わず嫌いする娘のために、大皿寿司のほかにも納豆巻きを買っていた。 それにもかかわらず彼女は初めて握りを食べたいと言い始めたかと思いきやまさかの大トロをチョイス。 小さく切られて皿に置かれた大トロは脂がきらきら輝いていて、うっとりするようなピ

          雪下出麦 ‘24

          小鯵のきずし

          終業式が終わった後の学校から家までの道のりは長い。 私の実家は小学校からはさほど離れた場所にあるわけではないが、夏休み目前の最終日となるといつもの倍近くの時間を帰宅に要していた。理由は至って簡単だ。馬鹿だからである。 この最終日に備えてクラスメイト達が計画的にコツコツと荷物を持ち帰る中、家が近いからとそれをしなかった。宿題とリコーダーが詰められたランドセルを背負い、首からぶら下がった水筒とピアニカが交互に揺れている。ここからさらに追い打ちをかけるのがアサガオの鉢だ。水を吸

          小鯵のきずし

          (コロナ禍)イケメン看護師にホの字で鼻の穴を広げていた私の悲劇

          3月13日にマスク解禁となり、街ゆく人々の中にもちらほら、素顔の人たちが見られるようになった。 コロナ禍の長い長いトンネルも、終わりを迎えようとしている。 2020年年明けから、その存在に動揺が広がり、同年7月には、『NewおだまLee男爵』なるハッピーな店名のオカマバーでクラスターが発生、素晴しく漢気のある店主の対応に賞賛が寄せられた。 個人的な事ではあるがその1ヶ月後に妊娠が発覚、当時お腹にいた娘は来月(2023.4)、2歳になろうとしている。 これから話すのはその娘が

          (コロナ禍)イケメン看護師にホの字で鼻の穴を広げていた私の悲劇

          ムラ社会と思春期

          中学生の頃、告白されたことがあった。 多分今ぐらいの季節だったと思う。初冬の海沿いの通学路は、雪が振っていなくとも全体的に白みがかっていた。 彼の赤みのある顔色と真っ黒な髪と瞳は、その景色にとてもマッチしていた。告白の言葉は至ってシンプルだった。 確かわたしはそんな彼をまじまじと見つめながら、 何言ってんだこいつ。と思っていたのだ。 なんせ十数年も過去のこととなると衝撃的な出来事ですら記憶は断片的になる。確か動揺して、お気持ちだけ頂きます的なババ臭い台詞を吐いて誤魔化した

          ムラ社会と思春期

          子のあたまの匂いを嗅ぐ / 祖母について

          「ばあばが、昨夜お星さまになりました。」 母から、祖母が亡くなった旨のメッセージが届いて、もう何日が経っただろうか。 親族の中で1人遠方に嫁いだ私は、祖母の葬式に参列する事もなく、彼女が長い人生を終えたことについて、未だに実感が湧かないでいる。 私が東京に住み始めた頃から足腰が悪くなり、コロナ禍で会えないうちに、祖母はどんどん弱っていった。 そのスピードはゆっくりに見えてとても早かった。 春に何年かぶりに帰省した際、病院の面会室でリモート面会をした。 母のことも、姉のこ

          子のあたまの匂いを嗅ぐ / 祖母について

          親愛なる修羅の町北九州

          この間書店で町田その子さんの『コンビニ兄弟』なる本を購入した。本作品は福岡県北九州市にある門司港が舞台になっており、かなり人気を博している作品らしい。 あの門司港が舞台になっているなんてーー。 私はあまりの懐かしさにかなり興奮した。嬉しくて小躍りした。小躍りしながら少し怖くなった。 というのも、私は過去門司港のすぐ側に住んでいたのだ。 門司港はとても魅力的な街で、というのは観光地としてのバナナの叩き売りだとかアインシュタインが食べたカレーだとか作られた観光地としての一画は

          親愛なる修羅の町北九州