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父と僕の回顧録 村上春樹『猫を棄てる』を読んで

僕が25歳のときに、当時住んでいた神奈川県から地元の愛知県に戻ってきたのは、『そろそろ戻ってこないか?』という父からの1本の電話がきっかけだった。

『猫を棄てる』を読み終わって、寝ようとベッドに横たわっていたら、自然とこれまでの父と僕の関係の変遷に思いを馳せていた。

僕の実家は曽祖父の代から会社を営んでいる。去年で創業70周年を迎えた。僕が25歳のときなので、もう12年前のことになるが、当時働いていた会社のオフィスでデスクトップのモニターと対峙して、キーボードで顧客情報をバチバチ打ち込んでいたら、突然携帯電話のバイブが震えた。当時はシャープ㈱製の白い携帯電話を使っていた。

着信画面を見ると、父からだった。

僕が幼い頃から、平日は仕事でほとんど家にはおらず、土日も趣味のゴルフに出かけることが多く、父とはほとんど一緒に時間を過ごすことはなかった。毎年、夏休みに海に行ったり、冬休みにスキーに行ったり、学校が長期で休みになるときの家族旅行以外に父と一緒に長い時間過ごした記憶はほとんどない。家族旅行で一緒にいたからと言っても、専ら妹や弟を相手に遊んでいたので、特に父とは話すこともなく、ただ同じ空間にいるだけだった。家族なのだから、一緒にいるだけでよいのだろうけど。

父と僕はずっとそんな希薄な関係性だった。その父からの着信だったので、もしかして?と胸騒ぎがして、携帯電話を片手に椅子から立ち上がり、スペースが少し広くなっているエレベーターホールまで急ぎ足でいって、電話に出たことを鮮明に覚えている。

もしかして?と胸騒ぎがしたのは、当時、母方の祖父が胃がんと診断され入院していたので、祖父の容態が悪く、先が長くないから一度見舞いに帰ってきてくれという話かと勘ぐったが、もしそうならば母から電話があるはずだと思い直し、父からの着信は何だろう?と訝しがりながら電話に出たような気がする。

電話に出るやいなや、父は『そろそろ戻ってこないか?』と口にした。余分な話はしない父らしく、前置きは全くなかったと記憶している。実際の言葉と一言一句同じかと問われたら自信はない。ただ、愛知県に戻ってきて会社を手伝ってほしいというニュアンスだったことは間違いない。

父は放任主義者で、僕・妹・弟3人の子どもたちの人生にほとんど口を出してこなかった。本当は口を挟みたかったけれど、母方の両親の家に同居する婿養子という立ち位置的にそうできなかっただけかもしれない。本当のところは分からない。あくまでも僕から見たら、父の教育方針は放任主義だった。

なにせ父から着信があるまで約25年生きてきて、父が僕の人生に介入してきたと確実に答えられる機会はたった2回だけだったのだから。

1回目は4~5歳のときに友達の家に遊びに行って、どうしても欲しくなったキン肉マンのキャラクターの消しゴムを黙って持って帰ってきてしまったのがバレたときだった。ストレートに書けば、友人のおもちゃを盗んできたことがバレたときだ。リビングに置かれていた毛羽立ったソファの椅子と椅子の隙間に顔をうずめて隠れる僕のお尻を父がバンバン叩いてきたことを覚えている。その消しゴムを、後日友人に間違いなく返したのかどうかの記憶はなく、父にお尻を叩かれた記憶だけがはっきりと残っているくらいだから、幼い僕にとってはよほど衝撃的なことだったのだろう。

2回目は僕が高校3年生のときに大学も経営している中高一貫校に通っていて、推薦をもらってそのままエスカレーター式に進学できる状況だったので、どうしたらよいか?と両親に相談したら、父が『同じ名前の学校におまえは10年間も通うのか?その学校の最寄駅で10年間も電車を乗り降りするのか?』と問うてきたときだった。

暗にそれで本当によいのか?と突き放されて、10年も同じ名前の学校に通うのは嫌だし、同じ最寄駅で電車を乗り降りするのも抵抗があると感じて、結局受験する道を選んだ。

その時、父がどんな意図をもって僕を諭したのかは分からないけど、今振り返ってみるとあのとき推薦をもらってエスカレーター式に進学しなくてよかった。もしあのまま推薦をもらって進学していたらと思うと、背筋が凍る。

そんな父から『そろそろ戻ってこないか?』と電話があったので、これは只事ではないと感じて、迷うことなくそれまで働いていた会社を退職すると決めた。父が僕の人生に介入してきた3回目の出来事になった。

それから当時付き合っていた彼女に愛知県へ戻って、実家の会社を手伝うことにしたことを伝え、『大学2年生のときから6年付き合ってきて、ここまでやってこられたので、もしよかったら結婚してほしい。結婚してくれるなら付いてきてほしい、無理なら別れよう。』という内容の話をした。自分勝手極まりない振る舞いであることは承知の上で、そのときの僕は実家に戻らなきゃという直感に従った。

最初、彼女にとって全く縁もゆかりもない愛知県に行くことは想像もできないし、無理だと思うと言われ、それならば仕方ないので、実家に戻ってお見合いでもして結婚相手を探そうと思ったと記憶している。その後紆余曲折あり、約1年間の遠距離恋愛を経て、結果的にその彼女と結婚した。今では彼女との間に子供を2人授かり、4人で仲睦まじく暮らしている。縁もゆかりもない土地に思い切って付いてきてくれた妻に感謝している。

脱線したので、父の話に戻そう。

実家が営む会社へ入り、父と同じ職場で働くことになった。なぜこのタイミングで僕を呼び戻したのか?毎年売上が逓減していて、このままでは会社の存続が危ぶまれる事態になるという考えがあったのだろうか?

それとも当時僕の祖父の弟が社長として会社を経営しており、父の従兄弟にあたるその祖父の弟の子供たちも会社へ入ってきていた。そちらの勢力が拡大していくことで経営のバランスが崩れることを懸念して、僕を呼び戻したのだろうか?

当時父がお客様に、『今、息子を呼び戻さないと給料が増えて、戻ってきてくれなくなるのではないかと思って。』と口にしていたことをそのお客様本人から伺ったりもしたが、父の本心が果たしてどうだったのか定かではない。

父と同じ職場で働くようになって、1つそれまでと決定的に変わったことがある。それは、家にいるとき以外の父の顔を見られるようになったことだ。

僕が幼い頃から父がほとんど家にいなかったのは、理由がある。父は4姉妹の長女である母と結婚して、婿養子として母の家に入ってきたため居場所を見つけられなかったのだと思う。

男の子を待望しながら4人娘を授かった祖父は婿養子として入ってきた父より、初孫でしかも男の子として生まれた僕を可愛がった。実家の主権は祖父が掌握していたため、どんなことでも最終的に決めるのは祖父で、父はそれに従うしかなかった。

祖父が社長として働いているときも、きっと同じ構図だったはずだ。会社にいても、家にいても、祖父の支配下で生活しなければならない。そのストレスたるや相当なものだっただろうと今なら僕にも想像できる。もし僕が父の立場だったら、とっくに逃げ出していたかもしれない。それを辛抱して、ここまで結婚生活を続け、会社で働き続けてきてくれた父には感謝している。

そして、現在父は社長としてこれまでで一番自分の能力を発揮できる立ち位置にいる。ようやく日の目を見ることになったのだ。偉そうに聞こえるかもしれないが、これまで祖父や祖父の弟から抑制されてきた彼の能力を今こそ開花させてほしいと心から願っている。父の決めた方針が、よい結果につながるように、僕は全力で支えていくつもりだ。

あの父からの着信で実家へ戻る決断をしていなかったら、どうなっていたんだろう?時折、そんな風に妄想することがある。

ここからは少しスピリチュアルと捉えられるかもしれないが、僕が仮に父からの着信で実家へ戻ると決めていなくても、結果的には実家へ戻ることになったのだと思う。もしかしたら、祖父の死という形で実家へ戻ることになったかもしれない。僕が25歳のときに実家へ戻るという人生の大きな流れは、僕の意志でどうこうできる問題ではなかったのだ。だからこそ、振り返ってあのときの父の着信で実家に戻る決断を下せてよかったと思っている。なぜなら、当時胃がんで入院していて、実は余命6ヶ月と宣告されていた祖父が今でも元気に生きているのだから。

『猫を棄てる』の中の村上春樹さんの父親は亡くなっているが、僕の父はまだ元気に生きている。これからも一緒に働く父が持てる能力を最大限に発揮できるように支えていこうと思う。親孝行は、親が生きているうちにしかできないのだから。

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