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機器と憂鬱

電子機器、電化製品、車などの機器を深く考えることもなく使ってきた。
故障したら修理したり買い替えればいいと思っていた。
しかし、状況は単純ではなくなってきている。

機器というものは、物質で出来ている。
IT機器ならプログラムやアプリケーションなどのソフトウェアと、バッテリーやディスプレイ、キーボードなどハードウェアで構成されている。
ハードウェアは電子部品などの物質で必ず物理的に劣化するから寿命がある。そして機器自体が使えなくなってしまうのだ。

過去1年ぐらいの間に、次の事象が起こった。
①車のエアコンが夏期に利きにくいと思ったらコンプレッサーの故障だった。
②ノートPCのディスプレイ画面が半分しか表示されなくなり、液晶の不具合だった。
③iPhoneのバッテリー状況を確認したら最大容量86%となっていて"交換推奨"表示だった。
以上、お金はかかったがすべて交換して一応解決はした。

ただ、何か憂鬱な気持ちが残ったのである。
新製品を買ったところで、いつかは壊れるってことを明確に意識したからだろう。
買った途端に"壊れる"ことを認識するのは気分のいいものではない。だが真実である。
機器は必ず壊れるのだ。

特にIT機器には憂鬱さが増した。
今やPCは3〜5年で買い替えが普通であって、内臓HDDやSSDの寿命もそれぐらいらしい。
各種個人データや画像を格納していて消えたらショックは大きいだろう。
バックアップとしてクラウド保存する方法はあるが、セキュリティの心配は消えない。
米国セレブの画像流出もつい先日の話で、対策は万全なのだろうか。

根源はメモや情報をPCやiPhoneに保存、依存しすぎてしまった点にある。
ハードウェア破損に限らず、そもそも電気がなければ使えない。災害や僻地じゃ利用不能だ。
そうしたことを明確に意識して憂鬱になったのだと思う。

人は何かに依存すると、万一失う事を想像して不安になり弱体化する。
対象が人であれ、機器など物であれ、依存してしまうのは自立の阻害要因だ。
無くてもやってゆける覚悟をもって生活してゆくのが大事だし精神の安定に繋がる。

起こってない事を心配するのも馬鹿らしいものだが、"万一消失しても仕方ない"と覚悟したら、不思議と憂鬱さが希薄になったような気になった。

人は生まれる時も死す時も我身ひとつである。

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