目的を強いられた若者と目的を与えられなかった若者
あんたも仕事の激変に戸惑いながらとりあえず前に進むってことだけをやっているってことがあるかい?
この間、突如部署異動を言い渡され、仕事のやり方が右に45度、上に45度変わった感じなんだ。
#伝われ
あんまりにも仕事のやり方が変わったもんで、もともとその異動先部署にいる入社3年目くらいまでのヒトに教えを請いまくっているって状況が続いている。
元々が若いヒトたちの試行錯誤によって出来上がっている仕組をアジャイルによって改修し続けているってわけなんだけれども、根っこの部分についてはある程度のフレームワークを確立しながら進んでいるので、なんとか読みこなすことが出来る状況になっている。
そんな状況の中で、俺自身はと言えば意外にもこの状況を楽しんでいる自分に気が付かされている。
オッサンにとっては変化への対応ってのが一番イヤなはずなんだけれどね。
今回は、この変化への対応を楽しめている自分を紐解いてみようって回だ。
ちっと俺の悪戦苦闘っぷりに付き合ってくれよな。
要件からではなくプログラムから考える
実際、システム屋になってからこっち、こんなふうにプログラムに向き合うことは無かったってのが実態だと思うんだよな。
データ構造とは向き合って、性能が出るようなデータ構造ってのはすごく意識しながら設計を進めていたけれども、プログラムをどう実装するのかを考えながら仕様を決めていくって作業は、ある意味斬新だ。
今ある仕組の制約事項を強く意識して、進めていく仕事ってのは下手をするとお客様を置き去りにしてしまう気がしてしまう。
それでも、短納期でものづくりをする必要性はある意味必然的に「出来ること」って現実を意識させることを強要するんだよな。
多分だけれども、これは本質にそった仕事の進め方ではないんだと思う。
仕事は誰かの幸せのためにあるのであって、形にすることが目的になってはいけないはずだもんな。
あくまで形にすることはアジャイル開発の手段であって目的じゃないはずだ。
このあたりは気をつけていかないといけないんだよなぁ。
若者に教えを請うって娯楽
その本質のズレみたいなものは一旦置いておくとして、俺としてはこの状況に対応するために若いヒトに教えを請うのが非常に楽しいってのが気づきとしてあった。
確かに俺がする質問に対して、的を射た回答をくれることは少ないんだけれども、彼らの回答に彼ら自身が苦労を重ねてきたことを肌で感じることができるんだよね。
若者が試行錯誤で形にしてきたモノが彼ら自身の誇りのようなものになっていることを実感できるんだよ。
これってさ、オッサンとしては無常の喜びってやつなんだよね。
なんつーんだ?
オッサンの感性の延長に無い人材としての価値を若者自らが作り込んでいっているって実感ってのか?
そして、その価値の延長線上に俺のようなオッサンが立って一緒になって走ることが出来るって喜び。
これってなかなかない体験だと思うんだ。
だもんで、もぉニコニコしながら若者の説明を聞いて、オッサン視点での質問をなげ、回答が無いと見るや一緒に考える。
これ以上の娯楽があるか?
手を動かさせてもらえなかった若者
そんな風に試行錯誤を仕事でさせてもらえた若者たちの素晴らしさにほほえみを禁じえない俺は、同時に試行錯誤を仕事でさせてもらえなかった若者の姿も見ている。
消費税増税に伴う不景気に加えて一連の自粛状況が生み出した「放って置かれる若者」ってやつだ。
今の状況は近年まれに見るほどの窮地なので、俺たちオッサンは必死になって仕事を何とかしようとする。
結果として若者を育てるっていう未来に対する投資に時間を使えないってのが実態だと思うんだ。
その状況で若者は自らスキルを習得するために動かないといけないんだけれども、そんなことが必要だってことすら大人たちは教えてくれない。
そうしたら「このままではダメだよね」って思いながら何をして良いのかわからないって若者はどんどこ増えていくのが自然ってやつだよな。
そして、その若者が試行錯誤をした若者の中につっこまれたとき。
どうやって自己肯定感を維持できるだろう?
今の状況はそんな残酷な現実を生み出しているのかもしれないな。
なあ、あんたはどう思う?
若者は手元の仕事のあるなしで未来を左右する状況に見舞われているって現実、オッサンが出来ることって何だと思う?
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