生きている実感を得る目的と手段
あんたにもお気に入りの漫画ってあるよな?
俺は、俺の経験の半分以上は漫画で出来ているんじゃないかってくらい漫画を読んでいる。
食べ物のことは「美味しんぼ」に習ったし、ボクシングのことは「はじめの一歩」に習った。
演劇のことは「The Star」に習ったし、駆け引きのことは「HUNTER×HUNTER」に習った。
そして、戦争のことは「エリア88」に習った。
今回はその戦争について教えてくれた漫画「エリア88」に触れながら、俺たちがどう生きるかを考える回だ。
もしか「エリア88」を読んだことなかったら読んでみ?マジでおすすめだから。
「エリア88」という漫画の舞台
エリア88は新谷かおるさんによる中東の外人部隊の漫画だ。
時代はベトナム戦争が起きた後の時代。つまり1975年でベトナム戦争が集結しているので、1976年より少し後位の時代設定だ。
その時代には当然だがインターネットなんてものはない。っていうか、メディアってものがカラーになりたてのテレビとラジオ、新聞、雑誌くらいしかなかった時代の話だ。
そんな時代で、親友に裏切られ中東の外人部隊に入る羽目になった主人公。シン・カザマ。
外人部隊から抜けるためには莫大な違約金を払うか3年間の期日を全うするか、脱走するしか無い。
そんな状況でひたすらシンはエースパイロットとして敵を倒し続ける。ただ生き残るために。
生き残るという快楽
シンは作中でこんな事を言っている。
「初めて撃墜したときは、頭の中が空白になってなにも考えられなくて…しばらくすると自分のやってることが恐ろしくなって……それを過ぎるとたまらなく面白くなる」
このセリフを聞いてあんたはどう思う?
これは殺しの快感なのだろうか?生きることを実感することによる快感なのだろうか?
シンは生きのこることの快感だと言っている。
このことを踏まえてあんたに聞きたい。
俺たちは生きていることに快感を見いだせているか?
シンは死というものが日常にある世界で生を実感し、その生の悦楽に溺れるがあまり、死と離れていることができなくなってしまう。
それほどまでに生きているってことは魅力的なことなんだろう。本来は。
だが、俺たちは日常に追いまくられている中で、生きていることの喜びってやつを体験できているんだろうか?
そりゃあ死ぬほど頑張って仕事することはある。オッサンである俺たちには普通の出来事としてあるわけだが、それでも「殺さなきゃ殺される」みたいな極限状態ではない。
俺たちはギャップでしか物事を感じ取ることが出来ない。つまり俺たちが生を実感するためには死を実感する必要があるってことだ。
実感なき生は俺たちを腐らせる
生の実感を持てない状態は、非常に俺たちを良くない状況に追い込む。
なぜかって?俺たちが生きていられる時間ってのは有限だからだ。
無駄な時間を過ごすってことは俺たちの命をドブに捨てるようなものだってことをオッサンになった俺たちは実感する必要がある。
時間が限られている以上、俺たちが出来ることってのは有限なんだから。
そんな限られた時間を「なんとなく」過ごしてしまうこと。それが一番恐ろしい。
そして、生の実感なく生きていることは、その「なんとなく」を流れるように自然に導き出してしまう。
俺たちは俺たちの周りの人のためにも生を実感する必要があるんだ。
ではどうすれば生を実感できるのか。
こっからは俺の相当な思い込みも入るからそのつもりで聞いてくれよ?
多分、俺たちが生を実感するためには、俺たちが死んだ後に俺たちが守りたい人たちがどうなっているかを想像するのが一番近道なんじゃないか?
あんたが死んだら、困るやつ。いっぱいいるよな?
そいつらのために、あんたが出来ること。あんたが死んだ世界を考えることだ。
あんた無しで、あんたが守りたい人たちは生きていられるかい?
あんた無しで、あんたが守りたい人たちは幸せになれるかい?
もし答えが「否」なら、今日からあんたは準備しなきゃいけない。
あんたが守りたい人をあんたがいなくなった後も守り続ける準備を。
まあ、俺たちの好き勝手で守るだけなんだけどな。
あんたは出来そうかい?
俺たちが託したい未来を守りたい人に届けることが。
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