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一斉休校が俺たちに突きつけたもの

あんたの家にも学生さんがいたりするかい?

我が家は小学3年生の息子がいるんだけれども、改めて新型コロナウイルスの影響で学校が一斉休校に追いやられた状況ってやつを振り返ってみると、俺たちが普段は学校におまかせしている「子供の教育」ってものについて、親が真正面から向き合う機会になったことは事実だと思うんだよな。

この状況がなければ、俺は間違いなく仕事について考えていたはずの時間。
その時間が子供の教育ってテーマに注ぎ込まれざるを得なかった状況。

今回は一斉休校って状況を今になって考えてみようって回だ。

ちっとばかり、この特殊な状況について振り返ってみようぜ。

青天の霹靂とも言える一斉休校

今から思い返すと、学校の一斉休校ってどの程度の効果があったんだろうな?
色々とニュースが飛び交っているけれども、学校での活動が再開されている今となっても、夜の街関連とかいう形で「学校関連」ってクラスターのニュースはそれほど流れてきていない状況だよね。

ちょっと調べてみても、学校関連での感染のニュースってのはびっくりするくらいに情報が流れてきていない。

息子の学校でも、誰それが感染したとか言う話は出ていないし、あの新宿区ですら、中学校で1人の感染者が出たってニュースが出回っていたくらいだ。

結果論で言ってしまえば、安倍政権のスタンドプレーとも取れる一斉休校。

どうも、一部サイトが伝えるところによると、あの一斉休校を決める際のプロセスもだいぶ不透明な感じだったらしい。

一斉休校で俺たち親が得たもの

まあ、こんな未曾有の危機ってやつは、政治の道具にされたとしても不思議ではないわけだけれども、その政治決定によってなされた一斉休校という状態は、俺たち親を直撃するわけだよな。

仕事をしながら教育を子どもたちに施すことが、コレほど難易度が高いってことを思い知らされたわけだ。

というか、教育そのものの難易度がコレほど高いって実感したとも言えると思うんだよね。

我が家の小学3年生の勉強を見ていたときに強烈に感じたあの焦燥感。
あんたにも伝わるだろうか?

一番の危機感は国語なんだよな。

普通に話している内容が実はほとんど伝わっていないってことが如実にわかったりしたんだよね。

息子がわかったように受け答えしていたことが、実はパターンで反応していただけだったってわかった時の衝撃ったらなかったんだよ。

親が教育に正面から向かう意味

ものが国語の話だから、本質的には学校だけにおまかせできる話じゃないじゃんか。
普段の親子の会話でも気をつけていかないと文章を理解する能力ってのは育つことは難しい。

そんな当たり前のことについても、この一斉休校がなかったら、俺は思いを馳せることがなかったのかもしれない。

だって、俺たちオッサンが子供の頃に国語について親から何かを教わったなんてことはなかったもんな。
漢字の書き取りを宿題としてやっていたくらいの記憶しかないもんよ。

でも、情報の流通量が俺たちがガキンチョのころとは比較にならないくらいに増えている現状を踏まえていくと、相対的に言葉を使うことに対しての経験値の格差ってやつは結構えげつないことになっている気がするよな。

この間、西野亮廣さんのサロン仲間であるYさん(高校生)と会話させてもらったときに強く感じた事があるんだよ。

Yさんは結構な読書家で、会話の端々に出てくる単語でも、その語彙力についてはスゴイ基礎力を感じたんだよね。

で、ふと考える。
息子にこの語彙力を与えるにはどうすれば良いんだろう?ってね。

Yさんは父親の勧めもあり、結構な量の読書をこなしているってことだった。
シンプルに言えば息子にも読書を勧めればいいって話になるが、そもそも「読書が楽しい」って経験をさせてあげなければ、読書なんてただの苦行になっちまう。

学ぶって楽しい。

そのシンプルなことを経験させてあげるための工夫が必要ってことなんだろうな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たち大人は子供の好奇心をどうやってブーストしてやればいいんだろうな?

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