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俺たちが提供する幸せ

あんたにもシンプルに大笑い出来ることってあるかい?

ネットを散歩しているなかで、そう言うコンテンツに出会った時ほど幸福な気持ちになることって無いよな。

そもそも自分でもなんでこんなに笑っているのかわからないのに笑っている。

そして、その笑いを提供してくれるのはプロだけじゃなくて、ただただシンプルにその笑いを発信している普通にいる何処かの誰かだったりもする。

今回はヒトを笑わせる発信をするヒトについて想像をしてみる回だ。

ちっと、まあ、一回笑っとこうぜ。

朝イチで俺を笑わせた動画

今回、このnoteを書こうと思ったキッカケはこの動画だった。

……もうさ、色々ツッコミどころが多すぎて、何処に反応して俺が笑っているのかわからなくなるやつだ。

まず写っているのが「チャハーン」という明らかにチャーハンを間違えたふうに書かれたケチャップ文字が添えられたオムライスっぽいもの。

……いや、どっちやねん!!ってか間違っとんねん!!

そして、動画の紹介には「お昼に焼きそばを作りました

……いや、どっちやねん!!ってかオムそばなんかい!?

そして、極めつけは「トントロは飲み物ダム」というお名前。

……いや、トントロ結構固体だぜ!?噛まないと飲めないぜ!?
そしてダムて!?

と、普段使わない関西風の言葉を駆使してしまうくらいにインパクトを受けて笑ってしまった。
いやあ、ずらしの笑いのお見本みたいなものを感じるのは俺だけか?

ユーモアのある日常

きっとこう言うユーモアを思いつけるヒトって日常の中で常にそう言う笑いの要素を作り込んでいこうって思っているヒト何じゃないかって思うんだよ。

この「チャハーン」も狙ってやってるのか、たまたま間違ったのがオモロイって思ったから撮ったのかわからないけれど、どっちにしても自分が感じたオモロイを素直に記録して、それを誰かとシェアしたいって思いがあるんだと思う。

その感覚ってさ。
きっと周りのヒトを幸せにしているはずだよな。

お笑いを職業でやっているヒトは日常の中で「仕事」としてそう言う要素を探しては「芸」として昇華させるってのをやっているんだと思う。
もちろん、「ヒトを楽しませたい」って言う原初的な欲求は持ち続けているとは思うけれど、「笑い」を生み出さなければいけない使命を負っているって感覚があると思うんだ。

その責任感はすごく大切だし、世の中はそう言う責任感をつなぎ合わせて出来ている部分も大きいと思う。

その上でシンプルに「ヒトを楽しませたい」って原初的な欲求だけのコンテンツを見た時、わけのわからない笑いが起きることがあるじゃんか。

それって絶対いっぱいのヒトの幸せにつながっていると思うわけだ。

俺たちの中の原初的な欲求

じゃあ、自分の中にもそう言う原初的な欲求ってのがあるんだろうか?

このチャハーンのヒトほどじゃないけれども、あるとは思う。

ただその方面のセンスが高い方でもないとは思っているんだよな。
いや、プロのヒトに比べてなんておこがましいことを言っているわけじゃなくて、いるじゃんか。周りに自然と笑い声が集まるタイプのやつって。

残念ながら自分はそう言うタイプじゃないってことね。

それでも周りを幸せにしたいって欲求はあるので、なんか方法を考えないといけない。

で、自分のやってきたことを考える。
システム屋として色んな仕事をさせてもらうことで、色んなヒトの立場ってのを想像するのは経験を積んできていると思う。

そう言ういろんなヒトの立場に立っていろんなことを考えること。

そう言うのを通じて周りのヒトやこのnoteを読んでくれるあんたが幸せになったら、これはメチャクチャ嬉しいやつだな。

そんなふうに考えると、俺たちは誰でも「誰かを幸せにしたい」って原初的な欲求を持っていると思うんだ。
そして、その欲求を実現するために、日々を過ごしている。

そうか、世の中はそう言う優しさで出来ているってのもあるんだな。

なあ、あんたはどう思う?

もう一回、俺たちの提供する幸せを考えてみることで生まれるものがあると思うかい?

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