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「あいつ」という存在

あんたにとって、「他人」って存在はどんなもんだい?

俺たちの生活のなかでは実に多くの「他人」が存在するじゃんか。

道を歩いているときにすれ違う他人。
職場で一緒に仕事をしたこともない他人。
近所で住んでいるけれどやり取りがほとんどない他人。
そもそも見ることも交流することもない他人。

実に多くのヒトが俺たちのかたわらを過ぎ去っていくって構造だ。

ところが同時にだ。
俺たちは多くのヒトと関係性を持ちたいって思ってるのも事実じゃんか。

今回は俺たちにとっての他人ってやつについて考える回だ。

まあ、人間関係とかいう全く回答がでないものについてウダウダ考えてみようぜ。

「他人」が俺たちに与えてくれるもの

そもそも「他人」ってなんだべ?

ぶっちゃけ、「自分以外の誰か」って定義しか出来ない気がするんだよな。

親兄弟、妻や子ども、親戚にまで考えても「他人」だってのはまあそうだ。

ヒトと言う生き物はハチに代表されるような群体生物とは違って、個体の意識を集団の意識と直接共有するようには出来ていない。

そのためにヒトは物語と言うものを作り上げた。

宗教に国に貨幣。
実に多くの物語が俺たち「他人」をつなぎ合わせてきた。

そうなんだよ。
「他人」がいなければ、俺たちは出来ることがほとんど無くなっちまうってのが現実ってわけだ。

俺一人だけだったら、パソコンを作ることも出来なきゃ、インターネットなんて言う世界的な通信網を作ることも出来やしない。
野菜も作れないし、家畜を世話する事も出来ない。
バスも運転出来ないし、電車の運転も出来ない。
料理も出来ない。家も建てることが出来ない。

出来ないことだらけだ。
その状態の俺は「他人」の力によって今の生活を続けさせてもらっているってわけだ。

人間関係ってもの

で、その偉大なる「他人」様から様々な力をお借りするために必要なのは何か?

お金?
それも一つあるよな。

先立つものがなければ誰も協力してくれない。
そう考えるのが自然だもんな。

でもさ。
そうじゃないことも経験してないか?

例えば学校での部活。
サッカー部とかやってたとして、チームの勝利に向けての練習をするじゃんか。
そこにお金を使ってチームメイトを鼓舞したか?
おごりおごられみたいなのはあったかもだけれども、それってチームのためにしたことか?

そうなんだよ。
「他人」との協力に必要なのはお金だけじゃないってことなんだよな。

それをよりまるっと表現すると「人間関係」って言葉になると思うんだ。

あのヒトに好かれたい。
あのヒトとは距離を起きたい。

そんな根源的な感情を表現するために物語を使う。
宗教だったり国だったり貨幣だったりね。
それらの物語の中で結構中核的なものがあると思うんだ。

友人だ。

友人ってさ「友人である」ってことを客観的に観測出来ない。

つまりこれも物語なんだよな。

友人関係ってものを貶めたいと思って書いているわけじゃないんだ。
むしろそれが俺たちにとって最も大切なものだって思っているんだよ。

「あいつのためになにかしたい」
そんな思いの集積で世の中は作られているって思うからさ。

「あいつ」という存在

そう考えてみると「あいつ」って存在って結構貴重なもんだよな。

場合によって「あいつ」は相棒になる。
場合によって「あいつ」は敵になる。
場合によって「あいつ」は興味を持てないやつになる。

何れにせよ「あいつ」と言う風に認識できる距離感に居るヒトってことだもんな。

例えば名前も存在も知っていたとしてもアメリカの大統領を「あいつ」とは思わんだろ?

「あいつ」はいつだって自分の相手の言葉でお互いの存在を感じられる存在ってわけだ。
言い換えれば双方向性が求められるってこったな。

例えば「あいつやなやつだな」って感情があんたにもあったとする。
それってさ「あいつ」と何かの経験を共有したから起きる感情だよな。

それってよ。
もしかしたら、俺たちの人生でかけがえのない経験だったんじゃないか?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはどうやって「あいつ」と向き合うのが良いんだろう?

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