プレゼントというツール
あんたはプレゼントってしたことあるよな?
オッサンとしては、家族や友人や色んな人にプレゼントってやつをする。
でも少し考えてみる。なんでプレゼントしているんだろう?
今回はプレゼントってやつが俺たちにもたらしてくれているものについて考えてみる回だ。
まあ、ちったぁ考えてみようぜ。
誕生日プレゼント
うちには小学生の息子がいるんだが、ご多分に漏れず誕生日やらクリスマスやらにプレゼントを渡している。
まあ子供だから普通にそのプレゼントを喜んではくれるが、数ヶ月もするとその存在をまるっと忘れてしまうこともしばしばだ。
それでも俺たち親は子供にプレゼントを渡し続ける。なんでだろう?
子供が不満を漏らすから?
子供が騒ぐから?
そういうネガティブな動機ももしかしたらあるのかもしれない。
ただ、一番の理由はその瞬間を喜んでもらえるから。なんじゃないかね?
誕生日ってのは、本来はめでたくもなんともない。ただ単純に命をその分すり減らしたって記号に過ぎない。
子供の頃は無限に誕生日が来る気がしていたもんだが、オッサンの俺たちにとっては誕生日ってのは残り時間のカウントダウン以外の何者でもないよな。
でも子供の誕生日ってなると俺たちはなぜか喜んじまう。子供の成長ってやつが俺たちの成果のように感じられるからなのかもしれない。
その理由はおいておいて、この「嬉しい」という感情を子供と共有したくなる。
だから、俺たちは子供にプレゼントを贈るんだ。
俺たちは、俺たちの感情の表現手段としてプレゼントを贈るわけだ。
両親へのプレゼント
では両親に対してのプレゼントってのは何故贈るのか?
毎年の恒例だから?
たまの連絡代わりか?
まあ、そういう消化イベント的な要素もなくはないだろう。
でも、根っこは何なんだろう?
あなたの子供は今も生きていますよ。って表現なんじゃないか?
俺たちが子供の成長を喜ぶように、俺たちの親も俺たちの成長ってやつをいつまでも見ていたいはずだよな。
オッサンが成長もないだろうってあんたは言うかもしれない。でも、この情報化社会の中、俺たちは成長を止めたら生きていくこともままならないってのは事実だと思うよな?
俺たちは生きているだけで成長し続けられているって証拠なんだ。
だからこそその成長した姿を両親には見せ続けなきゃいけない。それこそ俺たちを育ててくれた恩返しの一つとしてな。
プレゼントは、そんな恩返しを表現するツールの一つってわけだ。
だからこそ、何を贈るのかってのは、俺たちの成長バロメータってわけだ。気合い入れて選ばないといけないな。
友人へのプレゼント
ぶっちゃけこの友人へのプレゼントってのが一番難しい。
おごったりするのは普通にあると思うがプレゼントとなると、なかなか難しい。友人ってのは基本は対等の立場だ。その立場からするとお互いの成長を認め合うためってのは、なんか違う。
実際、俺の場合は友人へのプレゼントってのはほとんどしたことがない。
クリスマスパーティとかそういうイベントがあって、そのイベントに乗っかってプレゼントってのはあるかもしれないが、誕生日にプレゼントを贈るなんてしたことがない。
でも、学校を卒業したときにお互い頑張ろうぜってイラストを描いてもらったことはある。
これはなんとなく印象的な出来事だった。
友人へのプレゼントってのはレアなんだ。基本。
それ故、友人へのプレゼントってのは記憶に残る。
そうか。プレゼントは記憶に残してもらうためのツールってことなのかもしれないな。
俺たちが生きていたという事実を記憶してもらうためのツール。
なあ、あんたはどうだい?
あんたがそこに生きているってことを誰かに伝えているかい?
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