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こども家庭庁という名前

あんたもこども庁って名前がこども家庭庁になったとか言う話を聞いたりしているかい?

いや、ぶっちゃけよ?
名前なんてどうでもいいじゃんよって思ったりもするわけだけれども、その名前付けに対して俺たちの代表である政治家がめちゃくちゃ本気で議論しているってのが現実に起きていたわけだ。

おそらくはその名前に準じてその組織に属するヒトたちの意識が変わるって意味も大きいからってのはあると思ったりもする。

じゃあさ。
なんでこども庁やらこども家庭庁はあるってんなら、「おとな庁」は議論にも上がらないんだ?

今回はあえて言葉遊びをしてみることで、今の世の中にある違和感ってのを浮き彫りにしてみようって回だ。

まあ、正解ってわけじゃないけれど、考えるのって大切じゃん?

おとなとこども

まず大前提としておとなとこどもには絶対的な違いがあるという前提で世の中の仕組みが出来上がっている。

ぶっちゃけて言えば、ヒトという生き物は脳を発達させるために、脳だけが大きい状態で赤ん坊を生む必要があった。
でないと産道が小さすぎて母体が持たないって課題があったからね。

そうなると、他の動物のように生まれた瞬間にある程度の運動能力が確保された状態で生むことができない。

なので必然的に「おとなの作った社会でこどもを守る」ってニーズが生まれる構造になってくる。
これは個人の考え方とかの話じゃなくて生き物としてのヒトが前提として抱えなければならない課題ってことなんだよな。

こども家庭庁というスケープゴート

じゃあ、こども家庭庁がおかしいって話そのものが違和感を持つ話じゃんかってあんたは言うかもしれない。

たぶん、あんたとは友達になれそうだ。

俺がこれから書こうとしているのはだ。
こども家庭庁なんて名前でこどもが抱えている問題を集約することがホントに正解なのかって話だ。

だってよ?
仮におとな家庭庁なんてのがあったとして、「おめ~おとなの抱えている問題なめんなよ?」って話になるじゃんか。

なに?おとなの問題を横串で調整してるのが内閣府だろって?

そうなんだよ。仕組み的には「おとな」の持つ課題は「世の中」の課題なので、そこに「おとな」って区分けは存在しないんだよな。

だとすればだよ。
おとなが抱えている個別の課題について各省庁が具現化していく必要性があるのと同じようにこどもが抱えている個別の課題についても各省庁は具現化してかないとダメじゃんか。

それをこども家庭庁なんて名前をつけらた組織に抱え込ませたとして、なにかが生まれるもんなのか?って思っちまうじゃんか。

子育てをしているなかで感じる未来

ぶっちゃけ、子育てをリアルタイムにしている立場で考えると、マジで20年後くらいの世界で、俺たちのこどもがおとなになる世界でだ。
今のこどもたちはどうやってあがいていくんだろう?

たぶん、今の財政出動の感じからして、日本は諸外国に比べて経済的に弱い立場に追い込まれることは避けようがない。

つまり、俺たちが生き延びてきたためのあがきかたって経験値はこどもたちにとって有用な情報になり得ない。

経済が弱体化した世界観のなかでは、食料だとかエネルギーといった「もの」を持っているってことがヒトの持っている価値ってことになる。

まるで北斗の拳の世界だ。

なんらかの力を持っていないと、生きることが難しい世界観。
そんな世界が今の子どもたちがおとなになった世界として待ち構えているとする。

そんな想像をしたらさ。
こども家庭庁なんて、言葉遊びをしている現状に対して、すごい違和感を感じないか?

そうじゃないだろ?
もっと未来を考えた組織ってあるだろ?
そう思っちまわないか?

ところがだ。

俺たち自身も子どもたちの未来のために何をするべきかなんて答えを持っている訳じゃない。

だからこそ、俺たちは口をつぐんでしまう。
こども家庭庁なんて名前を議論する前になんかすることあるんじゃないないのか?って言葉を口にすることをためらってしまう。

もしかしたら、その俺たち一人ひとりの考えをきっかけに政治を動かす立場のヒトが未来を考えられる可能性があるのかもしれないのにだ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは子どもたちの生きる未来に対してどんな足掻きかたができるんだろうな?

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