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ヒトと仕事との出会い

あんたは就職活動の記憶ってどんなものが印象に残っている?

ぶっちゃけ、俺の場合は同じ会社(合併やらなんやらで社名はコロコロ変わるけれど)でずっと仕事をさせてもらっているのもあって、就職活動ってのははるか昔の記憶になっちまうんだけれども、当然っちゃあ当然ながら、その時の状況と今の世の中の状況は似ても似つかない感じだと思う。

ぶっちゃけ、俺の就職活動時はそれこそ電話帳みたいな企業情報の冊子がどこからともなく送られてきて、そもそも会社がどうとか企業活動の意味とか、そんな俯瞰したようなことも考えることもなく、ただひたすらに自分というリソースを使える場所を探していた気がする。

その時から、あんま自己肯定感みたいなものは高くなくてさ。
ぶっちゃけ、就職活動でもなけなしの鼻っ柱を折られまくってた気がする。

そんな風に俺がへこみまくっているのを横目に、考えてみると周りの奴らの就職っぷりって結構多様性にあふれていた感じがするんだよな。

専門学校に行ってゲーム会社に行ったやつもいれば、生鮮卸みたいな俺としては全く想像も出来ないようなところに進んでいったやつもいた。

なんなら、電気系のメーカーに就職したかと思ったら、犬の散歩代行みたいなことを始めたやつもいたな。

なんつーか、その時の俺がイメージしていたよりも世界はずっと自由でずっと厳しくて、そしてずっと平等だったような気がする。

今回は今という世の中での若者の就職というものについて想像を巡らせてみる回だ。

ちっと、いつもとは違う角度で世の中を眺めてみようぜ。


今は売り手市場らしい

なんか、いつも通りなんとなくネットをぶらついていたら、こんなニュースが目に入ってきたんだよね。

なんでも今は大学生の人材確保も難しいってんで高卒の採用ってのが増えているんだそうだ。
それこそ昭和の時代と比べても同レベルの高卒採用ってのが行われているらしい。

確かに技術系大学とかでもなければ、大学で学んだことだとかを直接仕事で使うシーンって結構レアだし、なんなら大学で自堕落な生活を経験したやつよか、高校で清く正しく美しく生活してきた若者のほうが企業にとっては戦力になりやすいってのもあるかもしれない。

下手気に即戦力とされるようなスキルを持っているヒトを中途採用するよりも、若さとパワーで押し切るような仕事が求められるシーンも普通にあるしね。

その意味では確かに高卒採用ってのは企業としてはありな選択なのかもしれない。

そう考えてみると、ヒトにとっての仕事の在り方が俺が経験してきた世界よりもずっと広がりを見せているってことなんかもな。

人材確保の難しさ

と、言いながらだ。
企業にとって「人材」を確保するってのは切実な問題であるってのは間違いないわけだ。

出来るだけ自分たちの業態に良い影響を及ぼすような人物を雇いたいわけだけれども、そもそもそれがどういう個性によって成立するものなのかなんてわかっている企業のほうがレアだと思うんだよな。

例えばいわゆる大企業で出世コースに乗るようなヒトが中小の経営者として適性を持っているかっていうと、そうでもないわけじゃん。

ぶっちゃけ、ヒトの個性と仕事の適応っぷりなんてのはやってみないとわからないってのがあると思うのよ。

でも、義務教育にしろ、高校、大学にせよ、そこで施される教育内容がその適応の可能性を高めるのかって問われると、こいつはYESともNOとも言えない気がする。

確かに共通する知識ってのは人間関係を構築する入り口としてはまあまあな意味を持つと思う。
でも入り口以上のものではない気もするんだよな。

その入り口をクリアして、実際に成果を出すかどうかってのは、そのヒトが持っている運を含めた資質によるところがでかいってのが率直な印象なんだよ。

ヒトと仕事

そして、こっからが困ったもんなんだが、その資質ってのを見極める方法ってのがほぼほぼ定まっていない。

そらそうだ。仕事の内容はどんどこ変わっていくわけだし、その仕事に必要なスキルってのを適切に定めて、そのスキルを調達できるんなら、だれでも成功者一直線だもんな。

どこかの会社で採用試験として社長が一緒にお昼を食べに連れて行って、魚をどれだけきれいに食べるかで決めるなんて話を聞いた気がする。

それほど、ヒトと仕事ってのの組み合わせってのは摩訶不思議なもんなんだろうな。

なあ、あんたはどう思う?

いまを生きる俺たちは仕事とどう向き合っていけばいいんだろうな?

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