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旧統一教会を考える

あんたも安倍元首相の殺害事件のニュースにからめてにわかに注目度が上がっている「世界平和統一家庭連合」いわゆる旧統一教会に関する情報に晒されているかい?

ぶっちゃけ、カルト宗教として結構な組織が認定している、とか合同結婚式とかで本人の意図とは違うことろで結婚とかする教義なんだよね、とか。
一応ベースはキリスト教なんだっけ?とか。

そのくらいのふわっとした知識しかないんだよね。

そのくらいの関わり方をしている俺としては、それでも信者になるヒトがいるってのがどういうことなんだろうって、考えたことがあんまりないんだ。

でもニュースとかで山上容疑者がさらされ続けてきた壮絶な過去の情報に触れると、どうしても思っちまうわけよ。

なんで山上容疑者の母上は入信したんだろう?

今回は旧統一教会について調べつつ、何がそこまでヒトを惹きつけているのかについて想像をしてみる回だ。

いやぁ、我ながら絶対的に危ないテーマだと思うけれど、ちっと付き合ってくれよ。

旧統一教会の教え

まずはきっと旧統一教会の教えってのが魅力的というかホントのことだって思ったから入信するんだよな。きっと。

で、若干怖いもの見たさってのもあるんだけれど、どういう教義7日ってのを覗いてみた。

なんか3つの柱があるらしい。

曰く

  1. 創造原理

  2. 堕落論

  3. 復帰原理

らしい。

創造原理で「ヒトは神様から愛されるために生み出されましたよ~」って言っていて、堕落論では「でもヒトが堕落しちゃったから神様から愛されなくなっちゃいましたよ~」って言っている。
でもって復帰原理では「堕落から立ち直る方法は聖書に書いてあるけれど暗号化されているからそのままだと良くわかんないところを教えてあげるね~」って言っている。

創造原理から感じる違和感

初手から俺の違和感大爆発なわけだ。

そもそも一神教ってのがどうにも俺の感覚とは合わないところがある。

原始宗教ってのはたいていアミニズムだったって話を聞いたことがあるんだよ。

○○の神様みたいなのがいっぱいいる世界観。つまり八百万の神の世界観だ。

一神教ってのは、そのたくさんいる神様にも力関係があって、なら一番ツエー神様を信じとけばいいじゃんって形で成立しているんだと思うんだ。

キリスト教の場合はヤハウェ以外の神性を持つ存在は精霊と表現しているんだっけか?

俺が違和感を感じる根っこにさ。
この神様同士のヒエラルキーってのがあるってポイントなんだよな。

いや、そもそも神様という存在はヒトという生き物が「他のヒトと協力できる」という特殊能力を発揮するための虚構なので、そもそも「神様とはこうあるべきだ」なんてメタ的な定義なんてデキッコナイスなんだけれどさ。

そう、違和感というか、俺は好きじゃないんだ。
世界を構成するもの同士にヒエラルキーがあるって考え方が。

山は山であって、川も川であって、太陽も太陽である。
その全てがつながって世界は構成されている。

そして、俺たちヒトはその世界のほんの一部しか知り得ていない。

なのにその一部の世界を眺めて神様(世界を構成する一要素)の一等なんてわかりっこないじゃん。
ってか上下関係って意味がわからない。

堕落論の示す「罪と悪」

のっけから俺の拒絶反応が大爆発しちまったが、堕落論に目を移そう。

どうやら、ヒトが戦争やらなんやらと争っているのは「神様が今のヒトを見て思ってたんと違う」って感じてるからってことなのかな?

この時点で壮絶に自己矛盾してると思うのは俺だけなのか?

いや、神様よ。
なんでそんな設計ミスやらかしてんの?ってさ。

ってかそんな設計ミスするような神様をありがたくも敬うって気持ちがどっから湧いてくるんだ?

そもそもヒトが「罪と悪」を持っているから思ってたんと違うってなっているって書いてあるけれど、そもそも罪ってのはヒトが作った法律に反しているってことなんだから神様関係ないんだよな。

百歩譲って、キリスト教とユダヤ教については十戒が神と直に交わした法だと思うんだけれど、それ以外は文章での神様とのやり取りって無いよな?
#間違ってたらごめんなさい

だとすれば、この十戒に反しているって状態だけがキリスト教系の宗教における唯一の罪ってことになる。

では悪は?

そんなもん統一的な見解なんて出来るはずない。
だからキリスト教一つとってもクリスチャンとプロテスタントみたいな宗派が出てくるわけだし旧統一教会もその一つってことなんだろ?

悪なんてものヒトは定義できねえんだよ。きっと。

復帰原理を信用できるためのもの

いかんな、今日は長文かつおもんない記事になっちまいそうだ。

で復帰原理ってのを見ると、要するにこう言うことか?

「オマイラ、バカばっかだから聖書の読み方教えてやんよ」

確かに聖書の内容なんて、俺はほぼ知らないに等しいから教えてやんよと言われたら、はいそうですかってなるのかね。

いや、ならないな。
だって聖書が正しいって大前提をなんであんたらは証明できるんだって思っちまうし、そもそもその読み方として旧統一教会のヒトが何を持って正しいって言っているかわからんもん。

旧統一教会を信じるというヒトという生き物

それでもだよ。

旧統一教会の教義にすがるヒトってのは確実に存在しているわけだ。

そこにはどういう背景があるのか?

きっとだけれど、すがりたいという感覚が前提にあるんだと思う。
ヒトは困ったときになんかしらかの解決方法を欲するってのは自然な感情だと思うしね。

それは仕事であれば、前例ではどうなっていたかってことだったり、他ではどうしているかってことだったりする。

この前例とか他とかで表されるモノに対して回答を出してくれるのを宗教に求めるヒトがいるってことなのかもしれない。

言い方を変えれば所属欲求ってことになるのか。

自分がとある組織の中のヒエラルキーの一部になれているという安心感。

その安心感を得るために山下容疑者の母上は家庭を壊してしまったってことなのか。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちが抱える不安から解き放ってくれるという甘美な誘惑に俺たちは立ち向かえるんだろうか?

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