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エンタメ研究所のメンバーになって思ったこと

あんたはオンラインサロンってやつに入っていたりするかい?

俺は西野亮廣さんのオンラインサロンに入っている。
毎日、俺の日常にはない体験や考え方の投稿がなされて、その内容にいちいち「そうだなぁ」って思ったり、「いや、それはどうなんだ?」って思ったりを繰り返している。

まあ、毎月1000円の価値はあると思ってて続けている。

今回は、そのオンラインサロンでの西野亮廣さんからの投稿に対する、サロンメンバーと呼ばれる会員の行動について考えてみる回だ。

ちっとばっかし、思い込みが入っているかもしれないけれど、付き合ってくれよな。

ファンクラブとしてのオンラインサロン

西野亮廣エンタメ研究所は、西野亮廣さんという人物の考え方に共感したヒトが集まっている集団だ。

毎日の西野亮廣さんの投稿内容に対して、一部のヒトではあるけれど、俺にとって見れば大量のコメントがついている。

Facebookの1回の投稿に対するコメントは200件くらい。いいねにいたっては2500件くらい、毎日ついている。

それだけの文章力があるし、表現している中身についてもなかなかに鋭く、そして納得感のあるものが提供されている。

西野亮廣さんのビジネス書を読んだことのあるあんたなら、あの内容に近いようなものが毎日投稿されるってスンポーだ。

オンラインサロンの投稿なので、サロンに加入していないヒトはその投稿を見ることが出来ない。
つまり、現時点で28000人にもなる規模ではあるが、ネット上に公開された文章ではないってことね。

その投稿に対するメンバーのコメントは当然ながら称賛と共感に満ちあふれている。
みんな西野亮廣さんが大好きってことなんだろうな。

ディスカッションの場にはなりえないオンラインサロンという場

なかなかによく回っている西野亮廣さんのオンラインサロン。ただ、他のオンラインサロンによくみられる、メンバー同士の活動って意味だと、なかなかに難しい側面がある。

他のオンラインサロンは28000人なんて規模のものはない。
つまり一つのサロンでこれだけの規模になっている例が無いんだ。

そうなってくると、サロンメンバーが各々別々の方向を向いて活動をし始めるようなことになってしまう。
こうなると、オンラインサロンの看板を使って、西野亮廣さんのやりたいこととは違うことをやり始めてしまう輩が出てきてしまう。

やりたいことじゃないことをやるだけならまだいい。
もしかしたら事件につながるようなことをやるメンバーも出てくるんじゃないか?

少なくとも西野亮廣さんはそう考えたようだ。

オンラインサロンが1万人規模になったとき、それまで認められていた「部活」という名の分科会のようなサロンメンバー同士のグループ活動が停止されてしまった。

もはや、株式会社にしのあきひろという1組織で全ての部活のコントロールを出来る状態ではなくなってしまったわけだ。

あらためてサロンと言う言葉を振り返ってみる。

フランス語で宮廷や貴族の邸宅を舞台にした社交界をサロンと呼んだ。主人(女主人である場合も多い)が、文化人、学者、作家らを招いて、知的な会話を楽しむ場であった。
出展:Wikipedia

そうなんだよな。サロンってのはそこに集まる人々の交流の場ってのが本来の言葉の意味なんだ。

でも規模が大きくなりすぎたサロンはサロンとして機能することが出来ないっていうのはなんとも言えない皮肉だよな。

自分がエンタメ研究所に入ったきっかけ

そのくらい巨大になった西野亮廣さんのエンタメ研究所だが、その規模を武器にしてありとあらゆる無茶を西野亮廣さんは続けている。

美術館を作るって土地を買ってすってんてんになったり、美術館の予定地のある街の町おこしをしようとしたり、突然外国の子どもを救おうとしたり、いずれにせよ普通の感覚ではありえないことを連続して行動している様子を俺たちメンバーは感じ取ることが出来る。

そもそもの俺にとってのきっかけは「革命のファンファーレ」という西野亮廣さんの本を読んだからだ。

まあ、あんたがまだ読んでいないならおすすめする。なんつーかビジネス書にカテゴリされる本としては、抜群に面白い。
エンターテインメントとして成り立っている本だと思うんだよね。

で、まあまあこの本にも色んなことが書いてあるんだが、中身のことをすっ飛ばして感覚だけあんたに伝えようと思う。

この西野亮廣という男は刺激的だ。

なんつーかビリビリくる。
このヒトと絡める。そう思ったときに、俺はまるで何かに操られるようにエンタメ研究所に入会していたってわけだ。

メンバーの不満

で入会して、日々の西野亮廣さんの投稿を読み漁る。
確かにものすごく刺激的だ。
入会のときに期待していたものは完全に満たされている。

だが、俺は西野亮廣さんと絡めているのかっていうと、まあ、ないわな。

言葉をかわしてもらったことはあるけれど、絡めているってわけじゃない。
それだけの行動を俺が起こせていないからだと思う。

そう思った上で、改めて思う。

自ら行動を起こすきっかけとして、「部活」っていう入り口はすごくありがたかったってことにね。

俺が入会した時。まだ部活という組織が残っていた。

その組織の中で、リーダーをかって出たヒトは部活員の様々な疑問や不満に必死で対応していた。
少なくとも俺が関わっていた部活では全部そうだった。

ある部活では、必死に対応するも、「独りよがり」ってレッテルをはられて、部員からのクレームのようなものに対処していた。
ある部活では、楽しくやろうとしているのに、終わらざるを得ない部活の行く末に非常に苦悩している部長がいた。

リーダーはみんな苦悩していたんだと思うんだ。

俺はそんなリーダーをかって出てくれている人たちがたまらなく魅力的に思えた。
行動することでキラキラと輝いている様に見えたんだ。

でも、リーダーたちは中核メンバーでもなんでも無いメンバーの「意見」を無視するわけにも行かず、ただ翻弄されている。

その状況そのものが西野亮廣さんの「部活廃止」という決断につながったのかもしれない。

そう、西野亮廣さんに信用されていなかったのは「行動しないで不満を漏らす」サロンメンバーだったってことなんだろう。

そらそうだ。月額1000円で買える信用なんてありはしない。
信用ってのは行動によってのみ得られるものなんだからな。

もし、あんたがオンラインサロンに「何かを為せる人になりたい」と思って入会するなら、多分順番が違う。
というか、オンラインサロンは「何かを出来るようになる」ためのプラットフォームとしては、結構問題がある。

なにかノウハウを伝えてくれるってうたい文句で募集しているオンラインサロンは、どういうときに会員がやめていくと思う?
その何かを出来るようになった時?
その何かが出来ないと分かった時?

答えは両方だ。

つまりノウハウ系のオンラインサロンは会員を維持できるようには出来ていないってわけだ。

ではあんたが「何かを為せる人になる」ためにはどうすればいいのか?

そりゃー、俺が知りたいよ。
行動すればいい。なら、何の行動を起こすのか?
俺が好きな人が喜ぶことをすればいい。
では俺が好きな人は誰か?
家族?友人?
それは俺が好きになった人の集団についている単なる名前に過ぎない。
俺が好きな人ってのは、一体全体「どんな人」なんだ?

俺は誰が好きなんだ?

そいつこそが俺たちを「何かを為せる人になる」ために必要な問なんだと思うんだ。

なあ、あんたはどうだい?

あんたが「好きな人」ってどんなやつなんだい?

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