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ヒトとの関わりを考える

あんたも自粛生活を続けているかい?

緊急事態宣言が解除になったとて、この自粛を前提とした生活を求める空気ってのは、結構しぶとくあるよな。

もともとインドア派の俺としてはお家生活について、きっと一般的なヒトよりかストレスが少ない方だとは思うんだけれども、それでも行動制限について残念に思うことはあるんだよね。

一番はヒトに会うことが出来なくなっているのがメチャクチャ自分の可能性みたいなものを狭めている感じがする。
そう感じているヒトって結構いるんじゃないかな?

ワクチン接種率が上がっていけばヒトと会うリスクってのは下がっては行くと思うんだけれど、完全に前と同じってわけには行かないってのが現実だと思うんだ。

今回はヒトと直接会うことなく、ヒトと関わりを持つってことについて考えてみる回だ。

なんとも難易度が高い課題だけれども、一緒に考えてみようぜ。

SNSでのつながり

オンラインを活用したヒトとの関わりってなると、まず思いつくのがSNSでのつながりだと思う。

実際に俺自身もfacebookやらtwitterやらこのnoteやらでつながってもらっているヒトはいる。
でも、実際に会ったことのあるヒトってのはその中でも一部なんだよね。

オフラインで会ったことのあるヒトの印象ってメチャクチャでかい。
まあ、そう言うふうに今までの人間関係は作ってきたわけだから、そう感じることそのものは自然だとは思うんだ。

とは言え、なかなかに直接会ってコミュニケーションをするのが普通になるまではまだ時間を要するってのがあると思う。

ってなると、自分のことを表現するのと同時に、相手のことをキチンと見るってことを意識する必要性ってのがものすごく高まってくると思うんだよね。

ヒトを見るってこと

って言ったって、そのヒトを見るってどういうことなのか?

これがまた難しい。
相手のヒトが発信をしてくれている場合はその発信の意味を考えるとかの方法もあると思う。
その発信に対して反応を返すのも良いかも知れない。

ただ、1億総発信者って状況が言われているけれども、必ずしも発信をし続けているヒトばっかりじゃない。

実際、俺の古くからの友人もめったに発信をするタイプのヒトじゃないやつもいる。
でも、間違いなく俺の中では友人なんだよね。
なんでそう思うんだろう?

きっとだけれども、過去にその友人との思い出が俺の中に残り続けているからなんだろうな。

今という時代で生きるってこと

と書いておいてなんだけれども、今の時代の変化の速度は指数関数的に増してきている。
当然、俺の古くからの友人を取り巻く環境も激変していると思う。

その激変にどう対応しているのか?
頻繁なやり取りをしていないことには、その情報を捕まえることは出来ない。

俺はその古くからの友人の今を把握できていないってのが現実ってわけだ。

ダイレクトメッセージを投げかけても良いんだろうけれども、この時間が大切な現代で、大切な友人の時間を奪うような真似もしたくはないんだよな。

こう考えていくと結構八方塞がりな気もしてくる。
でも、待てよ?
俺たちは発信をする自由はあるはずだよな。

だとすれば、友人たちの行動に思いを馳せて、それに関する考えを発信していくってのがもしかしたらいいのかな?

読みたいときに読んでもらえれば意見交換につながるかも知れないし、そもそも自分の見聞を広めるって意味でも自分以外の誰かの行動について考えるってのは意味がありそうだしな。

でもなぁ、それってなんかストーカーっぽくね?って言われると、ぐうの音も出ない。

さて困ったぞ。マジで結論が想像できない。
まあ、今まで話をさせてもらったコミュ力おばけみたいなヒトたちに比べると、俺なんてヒッキーみたいなもんだしなぁ。

俺は俺の考えを言葉にすることが精一杯の今ってことなのかもな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはこの非接触に価値観が置かれている世界で、どうやってヒトと関わっていけば良いんだろうか?

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