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俺たちにとってのヒーロー

あんたにとって現実のヒーローってのはどう言うヤツのことを言うと思う?

物語の世界でヒーローって存在を真っ先に今思いつくものって言うと、今は僕のヒーローアカデミアだと思うんだよな。
もしくはアメコミのヒーローモノかね。

アメコミのほうが顕著に描かれているかもしれないけれど、どちらも自分の強みである能力を全面に引き出して敵と戦っていると思う。

まあ、逆にそう言う感じじゃないと物語として成立させるのが難しいってのもあるんだろうなぁ。

では現実の世界ではヒーローってのはありえないんだろうか?

今回は現実の世界におけるヒーローの姿を想像してみる回だ。

ちっと、現実での「戦い方」ってのを考えてみようぜ。

現実での「敵」

まずはヒーローのレゾンデートル(存在意義)は「敵」を倒すことだよな。

じゃあ、現実における「敵」ってなんだって話だ。

ウクライナを始めとする戦争や紛争が起きている地域では戦っている相手。
つまりヒトだ。

これは実にめんどくさいことにその「敵」は相手にとっては「ヒーロー」なんだよな。
つまり戦争や紛争って状況はヒーロー同士を戦わせる状況を作っているってわけだ。

ただ、これは敵同士が戦っているって見方も出来るから、今回の倒すべき「敵」ってのを考えるのにはちょっと適切じゃない状況なのかもしれない。

じゃあ、俺たちが今過ごしている日本を始めとする戦闘と言う行為が組織的に行われていない状況ではどうだろう?

仕事上での問題や、学校や職場で起きる人間関係の軋轢。
飢餓や貧困。それに犯罪。
疫病に難病。その他の様々な病気。
出産に臨むこと。それを助けること。
臨終の悲劇に耐えること。それを助けること。

一言で言えば敵は課題ってやつだよな。

こいつに立ち向かうのがヒーローってわけだ。

課題に立ち向かうって意味

ポイントはこの「立ち向かう」って言葉だと思うんだ。

この課題ってのは対応する方法が確立されていて、そこにマンパワーを突っ込めば解決するケースと、そもそもどうして良いのかわからないケースがあると思う。

例えば、医療現場では病気という課題が日常的に発生しているはずじゃんか。
マンパワーが十分にある現場では粛々と課題を解決し続けているってケースもあると思う。
でも当然いつだって突発的にマンパワーを集中しないと解決出来ないケースは起きうるから、その切り盛りをなんとかしながら課題の優先順位を瞬時に判断して、取り組んでくれていると思う。

つまり「無理」を押し通しているんだと思うんだ。

この無理を押し通すってことが「立ち向かう」って言葉の根っこにある気がするんだよな。

「無理」を押し通すために必要なこと

さて、ヒーローに求められるものが課題に対して「無理」を押し通してでも解決するって姿勢だとしてだ。

それをするのに必要なことってなんだ?

もはや、俺の心のバイブルとなっている高機動幻想ガンパレード・マーチってゲームがある。

その中にこんなセリフがある。

「努力は恥だが、悲しむよりはいい。
ただの人間である事を悲しむよりも、世界を敵に回して戦うための実力を磨くほうがいい。
己に自信が無いのなら腕を磨けばいい
「1+1」よりも簡単な数式だ。」

出典:高機動幻想ガンパレード・マーチ

たぶん、これだと思うんだよな。

他のヒトより少しだけ多く考え
他のヒトより少しだけ多く訓練し
他のヒトより少しだけ多く対応し
他のヒトより少しだけ多く耐える

そう言うやつのことをヒーローって言うんじゃないか?

そう思った上で周りを見てみると、確かにいると思うんだ。
ヒーローが。
手の届く範囲に。

あんたの周りにもいるだろ?

誰よりも多くを考え、時に拒絶し、時に巻き込み、状況を変化させ続けているやつがさ。

どんだけ周りに疎まれようとも立ち向かうことを止めないやつがさ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たち自身は「ただの人間」でいるべきか?
それとも「ヒーロー」になるべきか?

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