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変化を与えた出来事

あんたは自分自身の変化ってやつについて考えたりすることがあるかい?

半世紀も生きていると、それなりにいろんな経験値ってのが自分の中に蓄積されてきているとは思うんだけれど、それでもその経験値だけでやっていけるほど、世の中ってのはゆるくない。

なぜって?
変化しているのは自分だけじゃないからだ。

自分も周りも変化し続けているんだから、その変化への対応ってのはそれまで後生大事に溜め込んできた経験という辞書だけでは足りなくなることがあるのは自明の理ってやつだよな。

今回はこの変化ってのがどうやって俺に影響を及ぼしてきたのかを振り返ってみる回だ。

俺たちがさらされてきて、これからもさらされるであろう変化の渦。
まずは振り返ってみようぜ。


就職と言う出来事

まずは俺たちに変化を促してきた出来事ってのにどんなのがあったのかってのを振り返るところから始めてみようぜ。

個人のレベルでデッカイ変化をもたらしたのは、やっぱり就職と結婚ってことになるんだろう。

就職によって、自分自身の好き勝手に出来る部分と出来ない部分がそれまで以上に明瞭になった記憶がある。
そのことは自分の無力さってのを実感するのと同時に、一つの気づきってのを俺に与えたと思うんだ。

それは「ドライな人間関係の心地よさ」だ。

学生時代は良しにつけ悪しきにつけ「あいついいヤツだ」っていう感情が第一の判断基準になっていたと思う。

それ故に「あいつはやなヤツだ」って思った瞬間に、そいつとのコラボレーションってのは発生し得ない。
なので出来るだけ「やなヤツ」って思われないようにおっかなびっくり過ごしていたと思うんだ。

就職してからも、そう言う要素が皆無とは言わないまでも、建前として成果を出すことが第一の目的ってなる世界観だったわけだ。

今にして思えば、これが俺のデッカイ分岐点だったような気がする。

学生時代の経験から、俺はヒトってのは本質的に自分を拒むものだって思っていて、それでも拒まれたくないから成果と言う「相手が自分を拒まない言い訳」を用意するって手段に飛びついたってわけだな。

結婚という出来事

そんな状況だったから、俺は昔の友人とのやり取りも希薄になっていき、プライベートでの人的交流みたいなのがどんどん無くなっていった。

最初の頃は友人とつるんで行動できないことに焦りにも似た感覚に包まれていたけれど、どんどんその孤独と言う状態が心地よく感じられていったのを覚えている。

休みの日に一人きりで植物園を回ったり、映画を見に行ったり、焼肉を食いに行ったり、絵を書いたり、ゲームしたりと。
俺が「心地よい」と感じられる孤独はその時の俺の周りに無数にあったような気がするんだよね。

カンファタブルゾーンにめちゃくちゃ沼ってたってわけだ。

そんな状況のなか、ひょんなことからお見合いをしようって話になって、何人かのヒトと会わせてもらって今の妻と結婚と言う運びになった。

この結婚生活ってのが俺にものすごい変化をもたらしたと思うんだよね。

それまで俺は「成果」でしかヒトとつながることは出来ないと本気で感じていたのに、気がつくと本気で「このヒト感情で出来上がってるんじゃないか?」って思えるようなヒトが生活の中に存在するって状況になったわけだ。

ぶっちゃけ理屈が想像できない「愛情」だとか「怒り」だとか「悲しみ」ってのがそこにあるって状況だ。

妻の感情は縦横無尽に相手を選ばずに放たれ続けている様に俺には見えたんだよね。

そんな状況は俺に少なからず変化をもたらせたと思うんだ。

どんな変化だって?

俺がヒトをスキでいて良いって思えるようになったってことだ。

「好きとか嫌いとか最初に言い出したのは誰なのかしら」
©ときめきメモリアル

こればりに、「成果」と言うものでしかヒトとは関わりを持てないと感じていた俺にとっては、ヒトをスキでいて良いってのは革命的だったんだよな。

そして、良いのか悪いのかわからないけれども、この変化によって俺は今の俺になったってわけだ。

なあ、あんたはどうだった?

今のあんたにたどり着くまでにどんな変化があんたの身の回りに起きていたんだい?

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