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言葉の使い方の工夫

あんたは言葉の使い方ってのを気にしたりするかい?

日々発信なんてしていると、つい言葉遣いがテキトーになっちまうこともあると思うけれども、それでもある程度は正しい言葉遣いを心がけていきたいとは思ってるのよ。俺も。

そんなことを感じている中で、こんな記事を見つけたんだよね。

やべえ。
「恋人はサンタクロース」って普通に思ってた。
「恋人がサンタクロース」が正解なのね。

ってか日本語の難しさの一つの要素にこの助詞ってのがあるよな。

今回は日本語の表現について考えてみる回だ。

まあ、俺もうまいこと出来ているわけじゃないから、ちっと振り返ってみようぜ。

なんで恋人「が」サンタクロースなのか

上の記事によるとだ。
どうも、この曲の歌詞のストーリーが関わってくるってことらしい。

改めて歌詞を読んでみると、この恋人がサンタクロースと言う歌の主人公の「私」には恋人がいないんだよな。

つまりは「私」にとって恋人と言うのは未知な存在ってわけだ。

で、上の記事によるとだ。
「が」と言う助詞は未知のものについて使える助詞で、「は」の方は既知のものに使える助詞だってことらしい。

ほほう。マジで。

試しに他の文章で試してみるか。

歌はいいね。リリンの生み出した文化の極みだよ。

出典:エヴァンゲリオン

これをだ。

歌がいいね。リリンの生み出した文化の極みだよ。

出典:エヴァンゲリオンをもじった俺

おお、たしかにこれからなにかに歌を使うって意味に見える。
もう一つくらい試してみるか。

ララアは私の母親になってくれるかもしれなかった女性だ。

出典:逆襲のシャア

こいつを

ララアが私の母親になってくれるかもしれなかった女性だ。

出典:逆襲のシャアをもじった俺

うむむ。微妙に文章として成立していない感が醸し出されるけれども、ララアのことを知らないって感覚はたしかに醸し出される。

ニホンゴムズカシーネ。

俺の発信での言葉

ぶっちゃけ、俺の日々の発信で上の記事みたいな理屈を意識して文章をこさえているって感覚は無いと思う。

せいぜい、読み返してみて違和感のある文章を手直ししたり、言葉が足らないと感じたところを足すとか冗長な文を引くくらいかな?

それでもコメントをもらえたり、スキをもらえたりすると、そりゃあ嬉しいんだよな。
こないだとか、言葉のチョイスが独特とか言ってもらえた。
これは嬉しい。
褒めてもらっているかどうかは別として(笑)。

で、考えるわけだ。
俺の文章の源泉ってどこにあるんだろうって。

たぶんだけれど、俺が今まで触れてきた数多くの作品の中から言葉を拾い上げているんだと思うんだよ。

ベースの文体とかモロに池袋ウエストゲートパークの影響を受けているし、使っている言葉もいろんな作品から影響を受けているはずだ。

流石に二人称を「卿(けい)は」とか言わないけれど。
©銀河英雄伝説

そう考えると、いろんなヒトの発信も、何がしかの物語だったり発言だったりの影響の集大成ってわけだ。

お互いの発信が影響しあう

で、ここ。
noteの場合って他のSNSに比べると文章量が多くなる傾向があると思う。

もちろん画像メインで投稿してくれているヒトも多いけれどね。

テキストメインで投稿するヒトは短文で済ませるヒトはそれほど多くない印象なんだよな。
で、長文ともなると読んでもらわんといかんから、いろんな工夫をするわけだ。

で、その工夫にまんまと乗って読ませてもらうと、ふとその工夫ってやつを見えたように感じることがあるんだよね。

『恋人「が」サンタクロース』である最初の記事の理屈みたいに言語化出来るわけじゃあないんだけれどさ。

例えばさ。
タイトル一つとっても工夫を感じるじゃん。

SEO的な工夫もあれば、そうじゃない工夫もある。

最近俺が感じたのはタイトルに「感情」を乗っけられると読みたくなるってことかな。
「好きなヒト」だの「腹を抱えて笑った」だの。

その意味では俺はその工夫はあんまり使えていないかなあ。

なあ、あんたはどうだい?

あんたの発信に込められた工夫を教えておくれよ。

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