未来への借金
あんたは自分や仲間の時間ってやつを考えることがあるかい?
時間ってのは実に難しい。
なにしろ使った時間というやつは取り返しがつかない。
なので、時間ってのを無駄に使うことは生命を無駄遣いすることと同じなんだよな。
ところがだよ。
この無駄に時間を使わないってのは実に難しい。
そもそも無駄ってやつが何を持って無駄かってことを言語化することそのものが難しいし、仮に言語化出来ていたとしても、それを行動に移すことは更に難しい。
どうやって今という時間を使っていくのか?
実に哲学的なテーマだ。
今回は俺たちの生命の使い方について考える回だ。
まあ、あれよ。
相変わらず正解なんて無いけれど、ちっと一緒にウンウンうなってみようぜ。
先延ばしという借金
今回、このことを考える切っ掛けをくれたのがこのサイトだ。
YURIさんはアパレルで力を発揮しつつ、自分のなるべき姿ってのを模索し続けている修験者だ。
まあ、聞いてみてくれよ。
きっと損はしないと思う。
で、YURIさんは言うわけだ。
やるべきことを先延ばしにすることは未来への借金だと。
おおう、めちゃくちゃインパクトのあるフレーズだ。
未来への借金。
例えば朝出かける前に食器を片付けないと帰ってから片付けないといけなくなるとかそう言う感じを話してくれている。
ははあん、なるほど。
今するべきを先延ばしすることは未来の時間って言う、めちゃくちゃ「あるかどうかもわからない」ものを消費することになるわけだ。
実に理にかなっていると思う。
今という時間を何に使うか
でだよ。
この今って時間ってものをどう使っていくのかってのは、誰にとっても厳密には制御されるものでもないと思う。
自分の意思ってのが100%自分をコントロールするはずだよな。
自分の意思そのものが自分のやりたいように動いてくれないって言うめちゃくちゃ哲学的な話もあるけれどね。
でも、どうやって自分の今を使っていくのかってことを「考えること」は自分や周りにとって意味があるはずだよな。
どんな意味があるのか?
もう、なんつーか煙に巻いた言葉になるけれど「意味を生み出す意味」なんだろうと思うわけだ。
何言ってんのかわからないって?
そうかもしれないなぁ。
俺もわかって書いているわけじゃない。
なんとなく、俺たちは「何のために俺たちの時間を使うのか」ってことに対する回答を出すことを「自分で考える」って価値は高いって思うんだよ。
いや、メタ的すぎて何言ってんのかって話だけれど、まず俺たちの生きる意味ってのを考えることで、誰かの生きる意味ってものも同時に考えることになると思ったんだよね。
生きる意味を想像すること
いや、俺ごときのその辺のオッサンがだよ。
日々生命をすり減らしながら誰かのために生きている誰かの命の価値を御大層にも語るなって話なんだけれどさ。
俺たちはヒトである以上、惰性で生活することもあれば、妥協で判断することもあると思うんだ。
それを「いいじゃん」って語ることも意味があると思う。
なんつっても、多くのヒトは苦しみながら何かしらかに取り組んでいるわけだ。
なら、その苦しみから開放されることを認めるってのは一つの価値だ。
でもだ。
それでもだ。
YURIさんの未来への借金という話は俺たちの心の何かを刺激するわけだ。
気がついたら山盛りになっている書類。
気がついたら先延ばしになりすぎてなかったことになってしまった仕事。
気がついたら出来ていなかった親孝行。
俺たちはその結果が現れてから、ようやくその過去の「今」を無駄にしてきたことに気がつける。
おかしいよな?
「今」を無駄にした未来では「今」を取り返すことなんて出来ないんだ。
ならどうするのか?
未来の自分が後悔する未来を俺たちは想像しないといけない。
生きてきたことを後悔する俺たちを俺たち自身が想像しないといけない。
じゃないと、その後悔が現実になっちまうからね。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは俺たちの想像力をもとにどれだけ「今」の自分を説得できるんだろう?
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