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芸能レポーターって存在を考える

あんたはcakesってメディアを楽しんだことがあるかい?

俺はこのnoteを活用していながら、同じ会社が運営しているcakesについてはほとんど読んだことがなかったんだよね。

なんでだ?って言われると全く理由が浮かばない。
単純に俺の検索に引っかかってこなかったってだけかもしれないね。

ただ、一連の炎上騒ぎに関するニュースを読むにつけ、それほど尖ったコンテンツが揃っているんか?って逆に興味をそそられたんだよね。

今回は、そんな興味本位でcakesの記事を読んでみた感想を綴ってみる回だ。

まあ、たまにはオッサンの読書感想文を読んでみてくれよ。

松坂桃李さんと戸田恵梨香さんの結婚

今年の激動の1年の中で、この二人の結婚のニュースは少なからず俺たちをホッコリさせてくれたよな。

でだよ。このニュースみてちっと違和感無いかい?

今年のニュースなのに2015年の映画での共演ってところから二人の結婚に結びつけているんだよな。

実はこの違和感について、俺はあんまり感じていなかった。
はは~んそうなのねぇ~ってどっかのオバサンよろしく思ってただけだったんだよ。

ところが、cakesの記事は違っていた。

この記事を書いた武田砂鉄さんは俺のGoogle予測変換で「たけださ」まで打つと出てくるような有名人らしい。知らんかった。

この記事を読んでみるとテーマは芸能レポーターってやつの必要性だった。

曰く、もはや芸能レポーターという芸能人と一般人の橋渡しをする存在っていらんようになってきたんじゃないかってことらしい。

なんでだって?

ネットで芸能人が自分自身で発信をする手段を得ることで、下手な媒介を必要としなくなってきているってのがあるわけだ。

エンタメ消費者にとっての芸能レポーター

とは言えだ。
芸能人にとっての芸能レポーターってのがメディアとしての価値が薄らいでいるってのが現実だとしても、俺たちエンタメ消費者にとってはどうなんだろう?

あんたはここ最近で芸能レポーターごしの情報ってやつを堪能した記憶があるかい?

俺自身はない。
ってか芸能情報を好き好んで取りに行った記憶もない。

放っておいても届くような芸能情報は目の前をかすめていくけれども、自分から情報を取りに行くような芸能人ってほとんどいないような気がするもんな。

西野亮廣さんや中田敦彦さんとか自ら発信をしているヒトの情報を取りに行くことはあっても、NIZIUだの欅坂だの嵐だのの情報を積極的に取りに行くことは無いんだよな。
うん?そりゃ単純な好みだろって?
ごもっとも。

で、そう言う俺にとって芸能レポーターってのは非常に意味のわからない存在なんだよな。
取材対象からも疎まれて、消費者からも疎まれて、それでも誰かに必要とされているからこそ存在し続けている。
多分、俺が理解できていない職業の最右翼ってことなんだろう。

芸能レポーターを必要とするヒト

そう考えると、芸能レポーターを必要としているヒトが誰なのかってことを考えたくなっちまうよな。

そのことを考えるためには芸能レポーターをどこで俺たちは目にしているのかってことを考える必要があると思うんだ。

ためしに「芸能レポーター」で検索してみるとちょっと予想していなかった結果になった。

検索結果で目立っていたのが謝罪会見ってやつだったんだ。

これって結構な闇だよな。
つまり、俺たちは誰かの謝罪を俺たちの代わりに糾弾するための存在として芸能レポーターって職業を必要としているって意味じゃんか。

試しに芸能レポーターなしで動画配信サービスで謝罪会見ってのが配信されたってことを想像するとどうだろう?
俺たちはその謝罪会見動画に対してSNSで総攻撃を始めちまうんじゃなかろうか?

つまり、芸能レポーターは俺たちの攻撃する代わりをしてくれることで、結果としてSNSによる総攻撃から芸能人を守るって側面があるのかもしれない。

いやいやいや、これは救いがたい感じがするよな。

だって俺たちは誰かを正義の名の下に糾弾したい欲求を持っている。
そして、その欲求を実現するための存在としての芸能レポーター。
その結果として、SNSによる総攻撃を免れる芸能人。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはどうしたらこの正義の味方病から脱することが出来るんだろうか?


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