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友達と子ども時代を過ごせない意味

あんたは行動制限のない今年の夏をどう過ごした?

俺の場合はここ数年の行動規制ってのが骨の髄まで染み込んじまって、すっかり出不精まっしぐらな感じになっちまった。

暑い外界に出るよりも、空調の効いた室内でネットで情報を漁る毎日。
行動制限のない世界観になっても、この行動しない病からなかなか立ち直ることが出来ない。

そんな中、息子が一言つぶやいたんだ。
「夏休み面白くない」

今回は子どもと活動について考えてみる回だ。

まあ、ダメ親の愚痴に付き合ってくれよな。

俺の行動しない病

そもそもなんだけれど、俺にとって夏って天敵なんだよ。昔から。

もとより暑がりで、冬でもコートとか着ないで過ごすタイプだったんだ。

真冬でも電車の中で暖房とか入れてほしくないんだよな。
ヒトがこんだけ乗ってんだから、それで十分じゃんって思う感じ。

そんなもんだから、夏なんてもう大変。
普通にホームで電車を待っているだけで、汗だくになって比喩じゃなくて汗がポタンポタンと滴り落ちる。

立てて加えてマスクだ。
確実に俺の息の根を止めに来ているよな。このアイテム。

冬でもマスクして歩いていると、汗がにじみ出てくる。

かくして、マスクをしないと出歩けない世界観で、俺は出歩く事ができない行動しない病に罹患したってわけだ。

息子にとっての面白かった記憶

とは言えだ。

息子にとって小学生時代の夏休みは今5年生だから5回目になるわけだけれども、そのうちの2回は流行り病でほぼ潰れているってことになる。

そんな灰色の思い出しか出来ないのってあんまりだとは思うんだ。

なので、祖父母の家に泊まらせてもらったり、動物園に行ってみたりと今年はちょいちょい出かけるイベントを作れた気がする。

それでもだ。
息子は「面白くない」と夏休みを評価した。

これはなぜなのか?

どうも話を聞いてみると、各種イベントではそれなりに楽しんでいたらしい。

問題は、漫然と感じられる不満ってやつのようだ。

そりゃあ、夏休みの宿題やら日々のくもんだとか空手の練習だとかで時間を取られているってのはあるけれど、問題はそこじゃないっぽい。

どうも動画を見たり、ゲームをしたりして楽しいはずの時間が全然楽しい記憶として残らないっぽいんだよな。

そう。勉強とかが辛いのが嫌なわけじゃなくて、面白いはずのことが面白い記憶として残ってないってことなんだよな。

動画やゲームが記憶に残っていない理由

俺たちがガキンチョの頃には動画配信なんてものは存在していなかったし、ゲームだって今みたいに精巧にできているものじゃなかった。

それでもビデオ録画した金曜ロードショーを文字通りテープが擦り切れるまで見て楽しんだし、ゲームだってめちゃくちゃいっぱいやった記憶がある。

それは俺にとって面白い思い出なわけなんだよな。

でも息子は面白いとは感じていない。

何故か?

あ、そうか。

友達が横にいないんだ。

俺たちがガキンチョの頃の夏休みなんて、毎日のように友達の家にアポ無しで突っ込んでいっては「〇〇く~ん、あ~そ~ぼ~」ってな感じで遊んでたと思うんだ。

ところが一連の流行病の影響もあって、友達の家に遊びに行くというアクションが出来ないって生活を今の子どもたちはこの2年間以上強いられているわけだ。

子ども時代に積極的に友達と関わりに行けない環境で育つって、考えてみたら結構エグい。

なんつーか、人間関係の基礎が全然作り込めてないってことな気がするじゃんか。

人間関係の基礎を失った世代

これって多分我が息子だけの話じゃない。
そう言う人間関係の基礎を作ることが出来なかった世代ってのが作られたってことを意味しているんだよな。

そう言う世代が世の中に出た時には、どういうことが起きるんだろう?

当然世の中の状況も変わっているだろうから、その結果がポジティブなものになるのかネガティブなものになるのかはちょっと想像ができない。

でも、友達を作るってのがやりにくいのは間違いない。

一番深刻なのはこの2年の間に大学一年生だとか高校一年生だとかの「一年生」がぶつかっちまった世代だと思うんだ。

何しろ新しく友達を作るって言う、ただでさえ難易度が高いミッションに足かせをはめられたようなもんだもんな。

特に小学一年生なんて、SNSでつながるとか言う技も使えないわけだから、とりわけ深刻だよね。

中学、高校みたいに「おな中」「おな小」みたいなつながりもないし、私立の学校の場合はそれすら無いこともあるだろうしね。

なあ、あんたはどう思う?

友達の作り方を学べなかった子どもたちは、どんな世界を作っていくと思う?

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