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体験のプレゼント

あんたは毎日どんな体験をしているのかね?

俺の妻は日本舞踊を通じて色んな体験をしてきているようだ。

この間も、日本舞踊を広めていくのにどうしたらいいか、みたいなことを色んな人に聞く機会があったらしい。

今回は、その体験をまた聞きした俺の感想を残しておく回だ。

まあ、なんとなくオモロイと思ったことなんで、読んでみてくれよ。

日本舞踊という体験

実際問題、日本舞踊というのは非常に閉じられた世界だと思う。踊りも伝統的なものから増えていくわけでもないし、なにより、「ここに行けば日本舞踊を体験できる」って場所がない。

俺の妻も、そのときに読んでいた本が日本舞踊の良さを語っていた本だったので、興味を持って日本舞踊という世界に飛び込んだと聞いている。

でも普通は日本舞踊に興味を持つきっかけが無いんだよな。

そんな思いもあって、妻は日本舞踊体験教室を定期的に開催して色んな人に日本舞踊を体験してもらっている。

その教室の中で日本舞踊を体験した方は例外なく「笑顔」で帰っていくそうだ。つまり日本舞踊を通じた体験はその経験をした人に少なからず幸せを提供しているってことなんだよな。

プレゼントをする目的と体験をプレゼントするということ

そんな日本舞踊を体験することで幸せを提供できるのに、マイナーなためそのニーズにアプローチする方法が思いつかない日々を妻は送っていた。

でも、一つのアイディアが雑談の中で生まれたらしい。

体験を求める人だけではなく、体験をプレゼントしたいという人も少なからずいるはずだ。

その雑談で生まれたアイディアはなにげに的をいている気がするんだよな。

プレゼントというのは、確実に需要がある。
プレゼントという市場はおそらく無くなることがないからな。

なぜプレゼント市場がなくならないのか?

その理由は「なぜプレゼントするのか」という質問に対する答えが正解へと導いてくれる。

なぜ俺たちは誰かにプレゼントをするのだろう?

お祝いをしたいから。なぜお祝いをしたいのか?
その人にいい人だと思ってもらいたいから。なぜいい人と思ってもらいたいのか?
いい人と思われることで、悪い評価をされたくないから。

つまり、プレゼントの本質は「保身」にあるわけだ。

その保身のためには出来るだけ、印象的なプレゼントのほうがいいに決まっている。

その中で「体験」というプレゼントは非常に良い。

何かのモノが残るプレゼントは、この狭い日本の中で、非常にうざったがられる可能性がある。
考えてみてほしい。例えば素敵な花瓶があったとする。
花瓶自体は素敵かもしれないが、限られたスペースでやりくりをしている俺たちの家に花瓶を新たに置くスペースは現状は無い。
そこに「花瓶でござい」とプレゼントが送りつけられてきたら、それは迷惑以外の何物でもないよな。

じゃあ食べ物のような「消えちゃう」モノだったらいいのか?
それも場合によっては難しい。
例えばプレゼントを受け取る人は必死でダイエットしているかもしれない。そこにお菓子の詰め合わせを贈ったら、それは拷問以外の何物でもない。

それに対して「体験」というのは非常に後腐れがない。

もちろん食べる体験の場合は相手がダイエットしているのであれば考えなければならないが、日本舞踊の体験であれば、手軽な「非日常」をプレゼントすることが出来る。

非日常は、印象に残りやすい。その結果としてプレゼントすることの目的を達成しやすいはずだよな。

しかも自分では積極的に体験しようとは思わないけれど、贈られてきたものであれば、体験してみようと思う人も多いんじゃないだろうか?

あんたはどうだい?

そんなプレゼントを受け取ったら、世界観が広がると思わないかい?

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