目標がくれる達成感
あんたも何らかの達成感ってやつを求めて日々をすごしているかい?
俺たちは何らかの目標を抱えることによって、その目標を達成するという快感に酔いしれることが出来るじゃんか。
逆に言えば目標を持っていない状態ではその快感とは無縁の人生を送る羽目になるとも言える。
今回はこの目標を持つって状態について考えてみる回だ。
結構難易度が高い話っぽい気がするけれども、ちっと付き合ってくれよな。
仕事は「目標」にあふれている
俺たちが日々こなしている仕事。
こいつには目標ってのが嫌でもついてくるじゃんか。
いわゆるサラリーマンのケースがわかりやすいとは思うけれども、会社や組織の目標ってのが設定されて、俺たち下々にはその目標達成に向けて自分がどんな目標に取り組んでいくのかってのを考える事になる。
一つの目標を達成したらまた次の目標ってふうに、俺たちは無限に目標をもって仕事をこなしていると思う。
で、この仕事における目標ってのは、別にサラリーマンだけのものってわけじゃなくて、フリーランスでやってても派遣社員的に仕事をしていても持つことが求められる。
なんなら、主婦のような直接的に金額が発生しないような仕事でも目標ってのはついてくると思う。
「よーし今日はこの本棚をやっつけるぞぉ!」って意気込んで片付けしたりするじゃんか。
あれよ。あれ。
仕事以外の「目標」
そう考えていくと、仕事以外の行動、例えば趣味でも目標なんてのはついてまわるもんだと思う。
映画鑑賞ひとつとったって、「シン・エヴァンゲリオンを見るまでは!!」とか思って過ごしていたヒトって結構いそうじゃんか。
このnoteだってそうだ。
一度離れていたnoteを再開するきっかけになったのが、壇珠さんの連続投稿宣言の記事だった。
なんとなく熱量を感じて、この熱量が3年間毎日続くってすごくね?ってシンプルに思ったんだよね。
何より宣言して続けるってのがすごい。
俺も1000日以上テキスト記事を連続投稿しているけれども、そう言う宣言ってしてないもんな。
ずりぃ大人だ。
で、壇珠さんはめでたくこの度、当初目標を達成なさっている。
いや、すごくね?
絵に書いたような有言実行だ。
で、壇珠さんのこの行動に伴う達成感って普通のヒトに味わえるもんじゃないと思うんだよね。
ひとえに、この達成感のデカさってのは最初に据えた目標のデカさに比例していると思うんだよ。マジで。
「海賊王に俺はなる」的な。
目標を自らに課すむずかしさ
目標が俺たちに達成感という果実を与えてくれるってのが事実だとわかった上でだ。
それでも俺たちは俺たちに目標を課すってことに対する抵抗感は半端ない。
なんつーんだ?
びっくりするくらい、俺たちは俺たち自身に対して甘やかしたくなる衝動に常にさらされているじゃんか?
「明日からダイエットする」的なやつ。
結局の所、俺たちは外部からの何かしらの刺激がないと目標って持てないってのが現実なのかも知れないな。
と、するとだよ。
達成感という果実を得るために「一緒に目標を考えてくれるヒト」ってニーズは結構メジャーにある話なのか?
いわゆる「大人の習い事」みたいなものに「目標を設定してもらえる」ってニーズって確かにあるような気がするもんな。
○○が出来るようになるってのは、すげぇ達成感を意識した目標だもんな。
で、その何かが出来るようになった次にも同じ様に目標が見える構造。
これって多分、習い事を習う生徒さんにとっては、非常に麻薬的に魅力を感じるポイントってことなのかも知れない。
空手やら剣道やらの武道に非常に細かなランク設定がされているってのはそう言う意味なのかもしれない。
これは習い事でビジネスをしているヒトが結構やっていることなのかな?
「○○ができるようになりました」ってことに名前をつける。
これによって達成感を与えて行く。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは誰かのつけた能力の名前をコレクションしていくことで達成感を感じ続けられるんだろうか?
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