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納得のいく一日を求めるかい?

あんたの今日はどんな日だったんだろうな?

どんな日であっても、それが確実にあんたの命の一部だったことは疑いようがない。

今日はあんたと俺にとっての一日が俺たちになんの意味を持っているのかって話。

俺たちの中で一日一日を精一杯生きているって言い切れる奴って、すげぇ幸せなやつだと思う。
あんたもそう思わないか?

究極の幸せってなんだろうって考えてみると、とどのつまり、納得した生き方を出来ている状態だよな。
ただ、この納得ってやつは結構奥が深い。

ただ単純に好きなことを出来ているってだけじゃ納得した生き方とは言い難い。

例えば好きな漫画を一日読んでいたとしよう。それなりに感動もするし、新たな気付きもあったかもしれない。
でもそんな日のありがちな感想は

「ああ~今日も一日終わっちまった~」

だ。

好きなことをしまくっていたにもかかわらず、その時間をもったいないと感じる自分がいる。そう感じたこと、あんたはないかい?

その好きなことをやっていた一日に足りなかったもの。それってなんだろうな?

充実感か?成長する感覚か?満足感か?

そのどれもが正解であり、どれもが足りない。つまり俺たちは何をやっても満足のいく一日なんてものは手に入れられないんじゃないだろうか。

そんな悲しいこと言うなってあんたは思うかもしれない。

でも考えてみな?

納得しきっちまった一日を過ごしたら、明日は何に向かってあるき始めればいいんだ?

だってそうだろう?
納得しちまったんだったら、そこからの変化は俺たちは望むはずがない。なんて言ったって納得しているんだからな。

納得は停滞を導く。停滞は時間を浪費する。

そう考えると、納得できない日々ってのは俺たちに与えられた祝福なんじゃないか?

俺たちは何かに恋い焦がれて、なにかが足りないと叫び、なにかを得たいともがき苦しむ。

その苦しみこそが宝なんじゃないか?

なあ、あんたはどう思う?

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