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名も知らぬヒトへの感謝

あんたにもいつもの時間にすれ違ういつものヒトってのがいたりするかい?

俺の朝の行動時間帯にまあまあすれ違うヒトってのがいるんだよな。

駐車場から切り返しすること無くスムーズに車を出してくるダイレクトおじさん。

メガネにパリッとしたスーツ姿でさっそうと出勤するメガネダンディ。

今時珍しいツメ入りの学ランで投稿していくツメ入り少年。
ちょっと遅れて歩いていくツメ入りお兄さん。
まあ、今は夏服だけどね。

自転車で颯爽とかっ飛ばしながら風でおでこを晒している前のめりお兄さん。

ご自宅で経営をなさっていると思われる御老体。

なぜかいつもうつむきがちに自転車を漕ぐ女学生。

今回はそんな一人ひとりの物語を想像している自分を振り返る回だ。

まあ、ちっと俺のヒューマンウォッチングに付き合ってくれよな。

「おはよう」と心でつぶやく

まあ、いろんなヒトのことを書いたけれど、いつの間にやら俺はそのいつも見かけるヒトに向けて心のなかで「おはよう」って言っていたんだよな。

おお、ダイレクトおじさん今日もキレキレの運転っすねとか思いながらね。

この心のなかでのおはようってのが結構良い。
何がって?
ああ、俺もめちゃくちゃ細いけれど世間とつながっていられるんだなぁって感覚を持てるって感じ?

在宅勤務がメインになってから、ほとんどヒトと対面で会話することがなくなってしまっているんだよ。

もちろんオンラインでの会話ってのは毎日しているけれどね。

なので、ただ道で通りすがるいつも見ているヒトに対して一方通行のほとんど想像の世界での挨拶をするってわけさ。

当然、返事はない。
想像の世界でも返事をもらったことはない。

それでも思うんだよね。
「ああ、あのヒトに今日は挨拶出来た。今日はいい日だ」ってさ。

何?なんて寂しいやつなんだって?

まあ、そうなんだけれどさ。
名前も知らないいつも見るヒトが元気そうだっていうのを確認出来るのって結構良いもんじゃないか?

日々の他のヒトの発信を見る

そう考えると、同じように日々の他のヒトの発信を見るってのも同じ意味があるのかも知れない。

日常の一風景を切り取ったような発信もあれば、心の底から絞り出したような言葉もある。
テクニカルな説明をしてくれているヒトもいるし俺みたいになんかの事柄をこねくり回すような発信も見る。

いろんなヒトのいろんな発信を眺めながら、通りすがりのヒトへの心の中での挨拶と同じような感覚があるって気がしてきた。

「今日も元気で何より」

もちろんコメントとか返信とかの方法を使ってそんなことは伝えたことはない。
ただ、俺の中の何かが言葉にしないまでもそのヒトの存在があるってことに感謝しているってだけだ。

いろんな世界への感謝

感謝って不思議な漢字を使うよな。

謝るを感じるんだもんよ。

ありがとうじゃなくて、謝るを感じるんだ。

ありがたいも「有り難い」って漢字。
これも本質的にはネガティブな漢字だよな。

もっと嬉しいとか楽しいとか言うポジティブな漢字を使って相手への感謝を伝える言葉があっても良さそうなもんだけれど、正直俺の語彙力では思いつかない。

なんでだ?
たぶん、日本と言う土地ではヒトとの関係性ってのは「相手に負担をかける」ことを前提としているからなんだろう。

困ったときはお互い様。

その精神が無いと、この自然災害に襲われまくる土地では生きていくことが出来なかったってことだろうから。

だからこそ、自分が誰かに助けてもらったときは、「有り難い」という本当だったらそんなことしてもらえなかったはずなのに助けてもらったと言う言葉になった。

だからこそ「謝りたいと感じた」と言う感謝と言う言葉になった。

「有り難い」も「感謝」もその言葉を使うときにはまるで謝っているようなお辞儀をするだろ?

きっとそう言うことなんだろうな。

今日も一日が始まるとき。
俺は「おはよう」と心で言うだろう。
「有り難い」と「感謝」を込めて。

なあ、あんたはどうだい?

どこかの誰かの何かに向けてあんたの心はどう動いている?

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