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背伸びの必要性

あんたは自分の姿ってやつを見ているかい?

見た目の姿もさることながら、自分自身に周囲のヒトが期待していることってのがあるじゃんか。

あのヒトはあれが出来る。
あのヒトはこの商品を持ってる。
あのヒトは買い取るだけの資産力を持ってる。

ありとあらゆる評価が俺たちを値踏みしているってのが現実だよな。

その評価ってやつは実のところ実体を伴っていることって結構レアなんじゃないか?

何かを持っているって評価は、その「持っている」ってコト自体がヒトという生き物が作り上げた虚構なのは間違いないし、何かが出来るってのも「過去に出来ていた」って記録から推察しているに過ぎない。

それでも俺たちは誰かに期待するし、誰からかの期待に答えたいと思って過ごしている。

今回は期待ってものについて考えてみる回だ。

ちっと俺たちをつなぎとめているモノについて考えてみようぜ。

期待という行為が必要なわけ

実際問題、この期待ってのがなんで存在する必要があるのか?

ぶっちゃけて言えば、それは俺たちヒトという生き物の性質に起因していると思うんだよな。

ヒトという生き物の特殊性は、どうも頭の良さとか手が使えることによる道具の創造が出来るだとかってことじゃないんだそうだ。

ヒトがこの地球でこれだけの発展を出来たのはひとえに「虚構による団結」という特殊能力を持っているからなんだそうだ。

つまりはどの動物よりも「協力」ってことについてはめちゃくちゃ得意だってことなんだと。

うん?
そんなこと言っても、普通に団体行動する動物っているじゃんかって?

確かに群れで行動するような生き物って結構いる。
スイミーとか教科書で読んで動物ってすげぇなぁって思ったもんだもんな。

でもさ。

考えてみれば1億を超えるヒトが日本って言う国に属しているって認識して、そのヒトたちが日本ってものを大切に思っているって状態って、他の生き物に出来ないって思わないか?

だってさ、「日本人」って印が物理的についているわけじゃないんだぜ?

そう言う客観的に観測できないことを「現実」として共有することで協力することが出来る。

そいつがヒトという生き物の特徴ってわけだ。

協力し合うために必要なもの

で、その協力するってのがヒトとしての最大の能力だとして、その強力に必要なものってのもある。

そいつは何なのか?

上記のnoteがそのことを教えてくれている。

つまりは「信頼に足る人物である」と認識してもらうってことだ。

そのために俺たちは自分の能力を拡大し続けていく必要がある。
昨日までできなかったことを今日は出来るようになる必要がある。

そのために必要なこと。
そいつが「背伸び」ってわけだ。

今の自分よりもなにか余分に出来る存在に自分自身を変えるための行為。

この背伸びってものすごく俺たちにとって大切な行為なんだってことだと思うわけだ。

特に変化し続ける世界で生き延びるためには、自らの変わり続けるってのは避けて通ることが出来ないものだもんな。

もうダメだと思ったときに立ち上がること。
血反吐を吐きながらニヤリと笑って親指を立てること。

そう言うやせ我慢の先でようやく俺たちは生き延びる場を得られる。

そのことを上記のnoteは思い出させてくれていると思うわけよ。

背伸びする方向

とは言えだ。

俺たちの能力の伸びしろがどこにあるのかって見極めるのは結構難しい。

って言うか、俺たちのなりたい自分の姿ってのを言葉にすることすら難しいってのが現実だよな。

その意味で言えば、俺たちは「どう背伸びするのか」ってのは結構深刻な問題だとも思う。

ぶっちゃけ、10年後には背伸びできる方向がぜんぜん違う状況になっていることは想像に難くない。

それでも背伸びしないことには生きていくのも難しいなら、俺たちはどう背伸びするのか?

自分の周辺のヒトのニーズを捕まえに行くのか?
自分が持っているニーズを捕まえに行くのか?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちのやせ我慢は何に向かわせていけばいいんだろうな?

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