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オンデマンドの自由さが俺たちから奪うもの

あんたも日々の変化に対応していけるようにめちゃくちゃ努力しているんじゃないかな?

インターネットが出現して、SNSというツールが普通に使われるようになることで、俺たちの目の前を通り過ぎて行く情報量は指数関数的に増加するってことになった。

多くの情報が通り過ぎていくことによって、当然ながら俺たちの周りの環境は目が回るくらいの早さで変化していっているとあんたも感じているんじゃないだろうか?

俺たちオッサンがガキンチョの頃は、今の俺たちくらいの年齢のオッサンたちは、俺の印象だともっとどっしりと構えていたような気がするんだよ。
もちろん、俺たちがガキンチョだから、相対的にオッサンを絶対的な存在として捉えていたってのもあるとは思う。

でもそれ以上に、世の中の変化の速度ってのが、もっと安定していて、「こうすればいい」ってのがきっちりと安定していた時代だったってのもあるんじゃないかと思うんだよね。

今回は、時代の変化について一旦落ち着いて考えてみようって回だ。

俺たちオッサンには辛い事かもしれないけれど、ちっと付き合ってくれよな。

お笑い界の状況

今回、俺にちょっと考える機会をくれたニュースがあったんだよ。

そいつがこれだ。

ざっくり言えば、インターネットが普及してからも、依然としてナンバーワンのメディアはテレビで、そのテレビは40代のオッサン芸人に同じ世代のオッサンスタッフで作られていて、それを楽しんでいるのも同じ世代のオッサンたちだってことらしい。

なので、その笑いに使われる共通語が同じ世代のヒトに通じる言葉になっていて、その言葉を体感していない若い世代は「なんとなくそんな感じかなぁ」って付き合い笑いをしているってんだよな。

マジか。

具体的にはドラゴンボールのセリフとかをネタにしてしまうと若い世代はそれを見ていないので「ポカーン」ってなっちゃうよってことらしい。

マジか。

でも、テレビを見ているのはオッサンたちだから、多分この状況は変わらないよってことでもあるらしい。

マジか。

確かにお笑い第7世代って呼ばれるヒトたちのことをオッサン代表の俺はよく知っていないってのは事実だ。

俺の中でお笑いといえば、依然としてダウンタウンさんだし、明石家さんまさんだし、ビートたけしさんだし、タモリさんだし、キングコングさんだし、オリエンタルラジオさんだ。

びっくりするくらいに固定化されているんだなぁ。

インターネットが俺たちの感性を固定化しているのか?

なんで俺の感性はこんな風に固定化してしまっているのか?

そう考えてみると、俺たちのコンテンツの楽しみ方の変化ってのがあるんじゃないかと思った。

俺たちがガキンチョのころ、多くのコンテンツはテレビからゲットしていた。

毎日流れてくるバラエティ番組やアニメに夢中になってかじりついていたよな。

で、その番組の中でその時間に放送しているものの中から俺たちはオモロイと思う物をチョイスして見ていたよな。

でもその選択幅ってのはたかだか数チャンネルのTVチャンネルのなかからの選択って程度だった。

必然的に俺たちはおんなじような番組を見て、その番組の変化についていくことで時代についていくってことが自然に行われていったんだと思うんだよね。

毎週見ていた全員集合に出てくるゲストが変わることで人気のある芸能人の変化についていったし、毎日見るズームインに流れてくるニュースで世の中の変化について言った。

で、時は経ち、今やインターネットでコンテンツをオンデマンドで「検索」しながらチョイスするって時代になった。

そうなってくると俺たちは自らオモロイってものを「検索」して選ぶってことになる。

で、俺たちオッサンは経験上オモロイって思っているものの蓄積があるから、その蓄積の中からコンテンツをチョイスすることが多くなる。

結果としてこのオンデマンドという自由は俺たちの感性を固定化していっているってことなのかもしれないな。

じゃあ、俺たちはこの感性の固定化からは逃れることが出来ないんだろうか?

楽しむコンテンツが固定化する事で感性が固定化しているってんなら、俺たちができることは何になるのか?
多分、俺たちはヒトとコミュニケーションすることで変化していくってことなんだろう。

幸い、SNSは俺たちのコミュニケーションの幅を圧倒的に広げてくれている。

俺たちは、あんたらとやり取りすることでこの変化の時代についていくことができるんじゃないかな?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは、あんたらとのコミュニケーションで時代についていけるんだろうか?

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