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胡蝶蘭に込められた思い

あんたの家には観葉植物ってやつがあるかい?

俺の家には身分不相応な蘭の花があったりする。
妻が日本舞踊の舞台に上がるときに、体裁を整える意味で俺から妻へ蘭の花を想定する必要があるんだが、この間の舞台で贈った蘭の花は我が家の居間に鎮座ましているってわけだ。

今回はこの蘭の花を見ていてなんとなく感じたことをツラツラ書いてみる回だ。

まあ、気楽に付き合ってくれよな。

蘭の花という植物

蘭の花って結構高いんだよな。普通に1万とか2万とかする。

それだけ、この花に対する価値観ってやつが作り上げられているってわけだな。

実際、その花の付き方ってのは、見事だと言っていいと思う。まさに俺たちヒトに見られるために生まれてきた植物だと感じるよな。

この蘭の花が俺のところに来るまでは、生産者の愛情と言ってもいいくらいのものが注ぎ込まれているって話をよく聞く。

蘭ってのは、その苗をチップという木片に植えるらしいんだが、そのチップの木の種類によって育ちが違うんだそうだ。
日の当たる角度に時間。水のやり方。
その全てに神経を注ぎながら育てる。

そんなヒトの努力の結果として蘭の花は俺の家にあるってわけだ。

蘭の花の散り方

そんな努力の結果として、見事に咲き誇った蘭の花が妻の舞台当日には飾られていた。

なかなかに見事だろ?

しっかりと一定方向を向いた花々は絢爛豪華な雰囲気を醸し出してくれる。

まあ、それもこの花の値段を知っているからってだけで、ほんとうの意味での価値なんて、俺には分かっちゃいないんだけれどな。

写真にも写っているように、蘭の花ってのは、どうやら根本から咲いて、つるの先の蕾が最後に咲くものらしい。

そして、根本から散っていって、つるの先の花が最後に落ちる。

花が一個一個散っていく様子はなんとも言えない侘しさを感じさせてくれるんだよな。

きちんと美しくあって、その美しさを最後まで演出してくれているように、あんたは思わないかい?

また来年も花は咲く

蘭の花ってのは多年草で、ちゃんと育てれば来年も花をつける。

とは言え、俺にプロのようなお世話は出来ないから、当然その花の咲き方ってのは自由奔放になってくる。

それはそれで味のあるものだと俺は思うんだけれどね。

きちんと生きてくれているってのはそれだけでなにか勇気づけられるものがあるんだ。

植物でも動物でも、俺たち家族の周りに生き物がいるっていうことは、そういう頑張って生きている仲間が家にいるってことだと思うんだよね。

そしてその仲間が家に来るまでには結構な人数の仕事が関わっている。

苗を育てる人。チップを作る人。チップの材料になる気を育てる人に伐採する人。苗から蘭の花を育て上げる人。そして蘭の花を売る人に運ぶ人。

その人たちの数の分だけの思いが詰まっているんだよな。

つまるところ、俺がこの蘭の花に感想を抱くまでには、それだけの思いを経由する必要があったってことだよな。

仕事に俺たちが込める思い

蘭の花に限らず、俺たちの日々こなしている仕事には俺たちなりの思いを込めているよな?

どうやったら伝わるんだろう?どうやったら同意してもらえるんだろう?
そんなことを一生懸命考え続けている。

それは何のために思っていることなんだろうな?

お客様に認められたい?
上司に認められたい?
同僚に認められたい?

おそらくその全てがYESでNOだ。

俺たちは認められたいから仕事をしているんじゃない。

俺たち自身が納得したいから仕事の質ってやつを高めたいんだ。

俺たちは言われたことをやるだけの仕事では満足できていない。
ではその満足ってやつはどこにあるのか。

なあ、あんたも感じているんだろう?
俺達の満足ってやつは、俺たちの外からもたらせられるってことをさ。

俺達の満足が俺たちの外にあるってのが事実だとすれば、俺たちは俺たちの外に満足を提供する必要がある。

なるほど、俺たちは俺たちが満足するために誰かの幸せを想像する必要があるってことなんだろう。

その想像の結果として、今日も蘭の花は美しく俺の目の前にあるってわけだ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちの仕事は、本当に誰かの幸せにつながっていると確信できるかい?

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