俺たちの時間。相手の時間。
あんたは、相手の時間の価値ってやつを考えているかい?
俺たちオッサンは、色んな仕事をするわけだが、その多くの仕事には「相手」がいる。
相手には相手の都合ってやつがあり、その都合を無理やり調整することで、打ち合わせの時間が出来上がっているわけだ。
俺たちシステム屋は、システムをより良いものにするために打ち合わせを繰り返す。
時にはその予定時間をオーバーしてしまうようなこともある。
でも、それって本当にマナー違反なんだよな。
今回は、皆が等しく消費している「時間」ってやつを考えてみる回だ。
時間は有限
あんたに向けたつぶやきでは何度か触れているけれど、俺たちに与えられた時間ってのは有限だ。
子供の頃は、自分が死ぬ時が来るなんてことは知識では知っていても、実感することなんて、あんたもなかったよな?
でもまあ、年月を経て、家族ができ、子供ができ、子供が成長する姿を目の当たりにするにあたって、俺たちにはこんな感情が湧き上がってくる。
「この子がきちんとした大人になるまで俺は生きていられるんだろうか?」ってな。
ここに内閣府男女共同参画局ってお上が造ったグラフがある。
出展:http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h28/zentai/html/zuhyo/zuhyo01-04-01.html
このグラフによれば、男性は健康で生きていられる平均年齢は71.19才。女性は74.21才だ。
あんたが40才だとすると、31年後にはなんか病気してヒーコラ言わなきゃいけない計算だ。
俺たちに残されている時間。それがこのグラフにあらわれているってわけだ。
子供が生まれて成人するまで20年。大学出て就職するとすると就職まで22年。
まずはいっちょ前の仕事を任せてもらえるようになるのに早くて3年。
チームを率いていけるようになるのは就職から10年はいるかもな。
実に32年。
そんな時間をかけて、子供は一人前になっていく。
俺たちは子供たちを見守る時間はそれだけ必要になるってわけだ。
でも、そこまで俺たちが生きていける保証はどこにもない。
俺たちは、今この瞬間死ぬかもしれないんだからな。
そういう残高がわからない財布から常に支出し続けることを俺たちは強いられているわけだ。
時間に価値をもたせること
誰にとっても時間は有限。
だからこそ、自分の都合に合わせて時間を割いてくれた人には何らかの価値を提供することは最低限のマナーだよな。
問題は、その価値ってのが相手によってまちまちだってことだ。
相手は、もしかしたら明日までに仕上げなければいけない仕事があるのかもしれない。
もしかしたら、今日は子供の誕生日で、プレゼントを買いに行かなければならないのかもしれない。
大切なのは相手の立場ってやつに思いを馳せること。
相手のことを想像して、相手が望むことを一生懸命考えること。
それが相手の時間に価値を与える唯一の方法だと俺はおもうんだよね。
打ち合わせは、自分と相手の時間を使って何かを生み出すもの。
その何かってやつをきちんと目的共有して進める。それが俺たちオッサンが求められている最低限のマナーってやつなんだろうな。
あんたはどうだい?
あんたの時間を誰かの時間のために使えているかい?
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