見出し画像

えんとつ町のプペルを好きな理由

あんたにも応援したくなることってあるかい?

いよいよ明日。
俺にとって近年最も応援をしたくなる映画が公開される。

そう。映画えんとつ町のプペルだ。

俺が所属している西野亮廣エンタメ研究所というオンラインサロンがある。
そこでは毎日欠かさずに西野亮廣さんという人物の思い、作戦、行動が共有されているんだけれども、この映画に対する思い、作戦、行動もすさまじいものがあったと思う。

そして、その様子を毎日共有してもらっている俺たちメンバーはそれに感化され、動かされ、そして明日という日を迎える。

今回はこのえんとつ町のプペルという作品について考えてみる回だ。

このnoteを読んでくれるあんたにとっては復習になるかもしれないけれど、付き合ってくれよな。

えんとつ町のプペルの物語が生まれた背景

西野亮廣エンタメ研究所にある程度所属していたり、西野亮廣さんの本を読んだりすると度々触れられている事がある。

なぜ西野亮廣さんは夢を追い続けているのかって話だ。

色々な著書や西野亮廣さんの言葉を追っかけていくと、そこには西野亮廣さんがその時の全力で挑んだ結果だったってことだと俺は感じたんだよね。

西野亮廣さんはお笑いコンビキングコングとして、非常に売れっ子だった。
はねるのトびらは最高視聴率24.1%を叩き出したおばけ番組だったそうだ。

その当時、キングコングはデビュー2年目でこの番組のセンターに抜擢されている。
それもそのはず、2000年から2001年でこんだけの賞を総なめにしてきているんだもんよ。

「NHK上方漫才コンテスト」(第30回(2000))最優秀賞
「ABCお笑い新人グランプリ」(第22回(2001))最優秀新人賞
「上方お笑い大賞」(第30回(2001))最優秀新人賞
「上方漫才大賞」(第36回(2001))新人賞

そして、はねるのトびらが視聴率24.1%をとったとき、それが西野亮廣さんの絶望の始まりだったそうだ。

最高のパフォーマンスで最高の結果をだした。
それで立てているのが「ここ」か?
「ここ」にはタモリさんも、さんまさんも、たけしさんもいないじゃないか。

「ここ」は彼らの敷いたレールの途中で、そのレールのはるか先に彼らはいる。
そして、このまま突っ走っていても「そこ」にはたどり着けない。

そう確信したんだそうだ。

その絶望から西野亮廣さんの絵本への挑戦が始まった。
最初は自分ひとりでの挑戦だった。
でも、作品の質にこだわっていくと、どうしてもひとりで挑戦出来る範囲には限界が生じてしまう。

そして、生み出されたもの。
それが絵本えんとつ町のプペルだ。

えんとつ町のプペルのテーマ

そんな背景で生み出されたえんとつ町のプペルのテーマってなんだろう?

絵本の内容そのものは全部ネットで見られるから見たとき無いってヒトは映画に行く前に一旦読んどくのが良いと思うんだよね。

テーマは「夢を見続ける」ってことの難しさと大切さってことなんだろうな。

この物語の中でゴミ人間のプペルはバケモノとして迫害を受ける。
唯一の友人だったルビッチですら周りからの同調圧力に屈してプペルから離れていってしまう。

それでもプペルはルビッチから聞かされた「ホシ」という夢に向かって突き進み、その夢にたどり着いたときに傍らにはルビッチがいた。

この夢に向かって突き進む姿は、当時芸人仲間からの「お笑い芸人らしくしろ」という同調圧力をかけ続けられていた西野亮廣さん本人の姿と重なる。

そうなんだよな。
俺たちは「知らないもの」を「嫌い」になるように出来ているんだ。
逆に言えば「知っているもの」は「好き」になるってもんだ。

だから俺は映画えんとつ町のプペルを応援したくなっているってことなんだろうな。

えんとつ町のプペルのストーリーを楽しむために

で、このえんとつ町のプペルの絵本で描かれた物語は全体の一部に過ぎないって話をあんたは聞いたことがあるかい?

その辺については、以前こんなnoteを書いてみている。

詳しくは読んでみてもらいたいけれども、このバックグラウンドを知ると、ルビッチに向けられた同調圧力にもきちんと理由があることがわかる。

しかも、その理由はワリカシ致命的で、そうならざるを得なくてなっているって事情がある。

映画に行く前に一回その辺のバックグラウンドについても理解していくと、よりえんとつ町のプペルを「好き」になれるかもしれないな。

なあ、あんたはどう思う?

映画えんとつ町のプペルはどれだけのヒトに感動を届けられるようになるんだろうか?

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?